雑報によると、TikTok-Armyであるカディロフ部隊が、陜西省にある「Shaanxi Baoji」という軍用車メーカーから、「タイガー」という4×4の装甲車を複数両、調達したとして、ビデオで自慢している。

 中共製の新品兵器がロシアによって輸入されている、わかりやすい証拠。メーカーのHPによれば、AK-47のタマまでを止められるアーマーだという。

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 SNSに出た、ウクライナ製の冠水地救難車「ボーグン」。こんなものをあらかじめ複数台、用意していたのだから立派なものだ。2020年からあるという。

 エンジンはクボタの44馬力。4×4のタイヤが特大で、水に浮く。もともとは山岳雪上車だったらしい。浮航時の推力はタイヤ回転だけを利用するので、水上では6ノットまでしか出せない。しかし成人6人を車内に掬い上げられる。

 このデザインなら、装軌車にくらべてかなりコストを抑えられるだろう。

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 Vytautas Valinskas 記者による2023-6-7記事「MLRS launchers also come in “Mini” size: Croatian RAK-SA-12 now actively used in Ukrainian Armed Forces」。
    ウクライナの国境警備軍SBGSが、「RAK-SA-12」というミニミニMLRSを先月、受領した。
 クロアチア製。

 径128ミリの地対地ロケット弾が9.6秒で12発、飛び出す。
 ロケット弾は最大で8540m飛ぶ。
 飛翔体に空力フィンはついておらず、おそらく、ノズルからの噴出ガスで旋転させて飛行姿勢を安定させる。

 装填されていない状態で重さ720kgのラーンチャーは2輪のトレーラーになっている。12発装填済みの状態だと975kg。被牽引の運行姿勢から1分半で発射可能に。12発の再装填には3分半かかる。

 ※クロアチアは、弱小国が隣の強国から侵略を受けたときに役に立ちそうな装備をさまざまに工夫して形にして輸出もしている。台湾のメーカーはクロアチア人を見習うべきなのだ。

 ※ところでこのトレーラーを側車にして、12連装ではなく、2連装~4連装にしたらどうなる? おそらくロケット弾4発で75kgだから成人×1人乗せたと同じだ。『ワイルドセブン』の流儀があっさり実現しそうな気がする。

 ※ウクライナ国産の対戦車ミサイル「STUGNA-P」の場合、誘導装置が32kg+ミサイルが24kg、合計58kgなので、やはりこの側車に載せられる。ということは、兵装の何もついていない「シンプルな荷物台車状の側車」をとりつけた、馬力にちょっと余裕のある自動二輪車を、「デュアルユースの援助品」として、内外から堂々とクラファンを募る形で、メーカーや、中古車ディーラーや、ガレージ改造屋が、ポーランドの港まで舶送してやるという、民間主導の有意義な事業が成立するではないか。ロケット弾の発射装置のチューブ(筒長1.2m)は、現地人が現地でDIYすればいい。もちろん、素のまま、《物資運搬車》として使ってくれても構わないのだ。「武器」とは違うから、輸出にさいして通産省には面倒もかけない。患者搬送車にだってすぐ改造できてしまうだろう。まさに人道支援。

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 2020-2-4記事「A brief history of motorcycle sidecars」。
   サイドカーはいつ発明されたか? 1893年に仏軍将校のジャン・ベルトーが作った。ただし、さいしょは自転車の側車であった。

 当時のフランスの新聞社が、自転車にもうひとりの乗客を乗せる、いちばん良い方法を、懸賞公募したのだ。それに応じた回答であった。

 1903年、英国のW・J・グラハム兄弟が、オートバイ用サイドカーの特許を取った。そのイラストが当時の『モーター・サイクリング』紙に出ている。

 四輪乗用車よりも安価で、しかも「使える」性能だったことから、サイドカーは市場で人気を得た。

 デザインはいろいろあった。そしてその当時、共通していたことは、側車に乗っている人は「安全」でも「快適」でもなかった。

 側車に乗っていて事故死した人々の多大な犠牲の上に、そのデザインは、徐々に洗練されたのだ。

 1913年、米国のヒューゴー・ヤングが、サイドカー設計に新機軸を導入した。二輪車本体との結合をリジッドにせず、バランスに悪影響がない程度にフレキシブルにしたのだ。これで、安全性と乗り心地の両方が向上したという。

 ヤングはオハイオ州に「フレキシブル・サイドカー・カンパニー」を設立。たちまち、世界最大の側車メーカーに急成長した。
 しかし1920年代にフォードが安価な大衆向け四輪車を普及させると、この会社は行き詰った。

 そんな流れの中でも、警察と軍隊だけは、サイドカーに特別な価値を認め続けていた。それで、1950年代までは、ふつうに使われたものである。

  第一次世界大戦中、英国陸軍は、サイドカーにヴィッカーズ重機関銃を載せて戦場を機動させることを思いついた。当時のヴィッカーズの水冷式7.7㎜機関銃は、重さが36kgもあり、これを徒歩の歩兵に担わせるのは非現実的であった。サイドカーの姿勢は馬よりも低く、側車に載せたままでいきなり発砲しても問題は無い。

 墜落して負傷している味方の戦闘機のパイロットを急いで救出してくるのにも、英軍は特別製のサイドカーを使っている。

 ドイツ軍は第二次世界大戦中も、全地形走破車としてBMWやツェンダップのサイドカーを駆使した。

 1970年代に『オン・ザ・バセズ』というコメディTVドラマが制作されている。主人公の義理の弟がしばしば500cc.の「ノートン」サイドカー(1963年型)に乗って登場したので、リアル市場でもサイドカーがよく買われるようになり、業界は潤ったという。

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 2022-9-1記事「Brough Superior Sidecar Motorcycle: Lawrence Leaping Lena」。
   1932年、豪州人のアラン・ブルースが、ウィーンにて、初めてサイドカーで時速200kmを出すことに成功した。

 そのサイドカーが「ブラウ・シュペリアー」である。エンジンは1000〔cc.の?〕JAP(英国のジョン・アルフレッド・プレストウィッチ)製。
 乗り手はこのサイドカーに「リーピング・レナ」というあだ名をつけた。

 速度を計測するにあたり、側車部分には、乗客代わりの65kgのバラストが置かれた。

 側車は、チタン枠にアルミ板を張った、アールデコ調のシルエット。熔接の天才とよばれた職人が仕上げるのに120時間かかった。

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 「History of Sidecars and Motorcycles」という記事。
    1916年、パーシング将軍がメキシコ遠征に乗り出したとき、20台のハーレーダヴィッドソンのオートバイに機関銃付きの側車をとりつけたものが投入されている。

 JAFのような組織が古くから米国にはあって、それをAAAという。僻地の道路でガス欠になってしまった自動車やオートバイのところまで、予備燃料やスペア部品を持って行ってやるのに、AAAは、サイドカーを活用した。

 欧州では、フォルクスワーゲン社が1950年代後半に大衆車を売り出したことが、サイドカーの人気を終らせた。

 ハーレーデヴィソン社は2011年に市販用としてのサイドカー製造は打ち切った。しかし大統領警固隊がパレードを先導するさいの特装車としては、納品を続けている。

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 Martin Fornusek 記者による2022-6-7記事「Governor: Russia fires at ammonia pipeline in Kharkiv Oblast for second time」。
   ハルキウ州のクピアンスクというところに、アンモニアを輸送するパイプラインがある。そのポンプステーションを露軍は6-5と6-7に砲撃した。

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 Tom Porter 記者による2023-6-6記事「How a coup to force Putin from power could go down if he loses in Ukraine, according to former intel officers」。
    クレムリンでかつてスピーチライターとして働いていたアバス・ガリャモフは2月にCNNに語っている。露軍内に反戦ムードが昂じており、プーチンはひきずりおろされる可能性があると。

 プーチン権力を支える鷹派のとりまき連を「シロヴィキ」という。こいつらが実は、宮廷クーデターの潜在首謀者たり得るのだ。

 プリゴジンも、遠まわしのプーチン攻撃を繰り返している。
 ただ、現状、彼の手兵は、プーチン護衛部隊に敵わない。

 シロヴィキの大多数は、プリゴジンやカディロフのような軍閥の親分にクレムリンに来てもらいたいとは思っていない。

 外国の論者の見るところ、クリミア半島から露軍が叩き出されれば、さしものプー之介もその地位にはとどまれまい。したがってクリミア戦線が天王山である。