「バカ右翼」と官僚が反日プロパガンダを助けている

 「なぜ外務省に宣伝は任せられないか」を7000字以内で説明してみたい。以下は、別宮暖朗氏のサイトや鳥居民氏の著述などを参考に、兵頭の想像によって事態を単純化したストーリーである。
●靖国神社がなぜ国際宣伝戦のイシューになるのか
 保守派が歴史を知らない。そのために、国際宣伝戦のステージで、日本は大きなハンデを負うている。
 半世紀以上も昔の、シナ発の反日ブラック・プロパガンダ(捏造中傷宣伝)。これを、わが国はいまだに打ち消すことができず、日々、不利益を受け続けている。
 かつて起きたことは、また起きる。すなわち、支那事変に関するシナの言い分を黙って聞いていたら、やがて「第三の原爆」が、こんどは東京・大阪に落ち、「第二の東京裁判」が日本を待つ。
 やるか、やられるか。
 相手は反近代主義、つまり条約や契約など、公的な約束事を破っても恥とは感ぜぬシナ人だ。独裁者が法令を変えてしまえる国である。「宥和」はありえない。独裁政権と宥和ができるとの甘言こそ、侵略に先立つプロパガンダの常套句である。第二の東京裁判を日本が避けたく思ったら、逆に日本がシナを国連安保理常任理事国から追放する、容赦の無い政治的攻勢以外に道はない。
 その第一歩が、日本がシナの捏造中傷宣伝を米国においてすべて論破する「ホワイト・プロパガンダ」だ。近代国家の宣伝は真実に基づかなくてはならない。
 ところが、それを最も有効に邪魔してシナに得点を稼がせているのが、他ならぬ「真珠湾攻撃は日本の自衛だった」等と、事実と異なる主張をし続けるわが国の頭の痛い「バカ右翼」たちなのである。
 「過去の歴史において、果たしてどっちが正しかったのか」という日支国際宣伝の争点の多くが「A級戦犯を合祀したとされる靖国神社を日本国政府が公的にどう扱うか」の問題と関係づけられるのは、いささかもこじつけではない。
 1948年にA級戦犯として絞首刑にされた、東條英機、木村兵太郎、武藤章、土肥原賢二、松井石根、板垣征四郎の6人の軍人たちの合祀(1978年)以降、シナにとっては、「靖国神社へ日本の首相が公式参拝しても良いですよ」と認めることは、「東京裁判は不当であった」「国際連合の安保理常任理事国にシナが座る資格がそもそもない」と日本人に米国で主張させることを許すことに直結する。
 6人の合祀者のうち、確かに1941年の対米開戦計画に参与していたと言えるのは、東條、木村(陸軍省の次官)、武藤(陸軍省の軍務局長)だけだ。この3人は、開戦に先立つ「動員」の命令権者であった。したがって、動員先制開戦を禁じた「パリ不戦条約」(ケロッグ=ブリアン条約。日本は1929年に批准書を寄託)を破ったことについて「つかさの長」としての責任を問われても文句の言えぬ立場であった。その条約を破った結果、米英人が何万人も殺されたのだから、パリ不戦条約には罰則規定はないのだけれども、被害当事者の米国としては自国の刑法を準用した次第。
 ポツダム宣言で開廷が予告されていた東京裁判で、訴追側がもちだしてきた「カテゴリーAの戦争犯罪」とは、そもそも「パリ不戦条約違反」のことであり、ハーグ条約違反のことではない。ところが、そんな初歩的な事実が、ひとり「バカ右翼」たちのみならず、脛に傷もつ外務官僚によって国内での周知が妨げられている。
 バカ右翼は「宣戦布告は真珠湾攻撃の1時間ほど前にするつもりでいたのだ」などと戦後60年間ずっと叫び続けている。けれども、「宣戦布告すればどんな戦争も合法」という初期のハーグ条約会議当時の大国間の秩序は、第一次大戦後の国際連盟の成立以降は、存在していないのである。それを法的に表現したのがパリ不戦条約であった。その条約を守ることを、日本国は、天皇の御名御璽によって世界に約束しているのだ。国家の公的な約束を破ったことについて3人が代表して咎められた。
 「あれは自衛戦争だった」というバカ右翼の主張は、初めから成り立たない。いかにもパリ不戦条約は、自衛戦争を否定したものではない。そもそも自衛を否定できる条約や憲法など、近代法理上、あり得るわけがないのだ。しかし日本が1941年に米国に対してしたことは、動員先制開戦だ。これをやったら自衛戦争とは看做されないというのが、第一次大戦後の国際連盟の精神であった。
 動員先制開戦がなぜ多国間で禁止されたのか。それは第一次大戦で、文明国人が何百万人も大量死したことを猛省したからである。
 事の濫觴は19世紀、普墺・普仏の両戦役でのドイツの鮮やかな戦勝であった。政府と元首による宣戦布告よりも早く、まず参謀本部の下僚が立てた膨大な開戦プログラムが走り出す。全国で予備役が動員され、各連隊の戦時編成が完結するや遅滞なく鉄道で国境へと送られる。そしてギリギリのタイミングで発せられる政府の宣戦布告とほぼ同時に、完全装備の全軍が一斉に敵国の国境を越えて行く。隣国ではそれをうけて慌てて予備役動員をするが、敵のよく準備された集中と機動の勢いをとても禦ぐ暇が無く、首都を包囲されてしまい、降伏を余儀なくされる──。
 この両戦役の教訓から、欧州各国の参謀本部では、もし隣国が予備役を動員したら、こちらもすかさず予備役を動員し、ただちに国境に向かわせることを決めた。その帰結として、開戦か避戦かの重大な決定の権が、各国の議会や政治家や元首を離れて、任意の一国の参謀本部に握られることになってしまった。というのは、初めにある一国で参本の開戦プログラムが走り始めたなら、周辺のすべての国も遅れずに開戦プログラムを起動させないと、必敗と考えられたからだ。こうして、ヨーロッパのどの政府にも大戦争の発生を止めることができない不安定な環境が形成されてしまった。1914年、悪夢はとうとう現実になり、人類史上未曾有の、文明人のメガデス(第一次世界大戦)を招いたのだった。
 これを深刻に反省し、「動員先制開戦は文明に対する犯罪だ」と合意したのが国際連盟であり、パリ不戦条約であった。日本は満州事変までは国際連盟の常任理事国である。その国際連盟は、戦争に代る外交手段として、経済制裁を認めていた。動員先制開戦プログラムがもたらす急速確実なメガデスに比べたらば、経済封鎖で他国民をいためつける方がずっとマシであり、許されると、日本政府も合意していたのだ。
 日本が1941年12月にマレー半島と真珠湾とフィリピンで実行したことは、どこから見ても動員先制開戦に他ならない(予備役動員は同年7月からの関特演でほぼ達成)。だから日本は12月8日の時点で「パリ不戦条約」という天皇の名によってなした国際的な約束を破り、紛れもなき侵略者になり下がった。
 ただし、日本は自らが侵略者となる前に、外国からの明白な侵略を受けていた立場でもあった。
 日本より4年も早く、パリ不戦条約を堂々と破り、日本に明白な侵略戦争をしかけてきた外国がある。それが、蒋介石が束ねるシナであった。シナも、やはりパリ不戦条約を批准していた。
 この蒋介石ならびにシナが、戦後世界においてなぜか侵略者とは認定されずに、逆に日本がシナに侵略したかのように思われてしまっていることの当初の原因を作ったのは、近衛文麿および広田弘毅という二人の愚かな文民コンビだった。
●蘆溝橋開戦説そのものがシナの宣伝
 蘆溝橋で最初の一発をどちらが撃ったのか、という「敵」の設けた論点に、日本の現代史家は夢中になっている。
 1937年7月の蘆溝橋事件が支那事変の始まりである、と言い始めたのは蒋介石の宣伝チームであった。1941年に日本が米国に対して動員先制開戦し、その後、米国が同盟者となった蒋介石の宣伝に同意したことで、これが定説になる。
 蘆溝橋の衝突とは、よくある国境警備隊同士の銃撃戦にすぎない。日支両軍に「動員先制開戦」の痕跡はない。参謀本部による開戦プログラムが走っていないのだ。このような小競り合いは、今日も世界中の国境で起きている群小イベントである。パリ不戦条約は、国境警備軍同士の衝突を「戦争」だとは想定していないのだ。
 たとえば1979年2月のシナ軍によるベトナム侵攻の前から、シナとベトナムの国境では、散発的な銃撃や砲撃は日常化していた。ただし参本の開戦プログラムを走らせ、動員先制開戦をしたのはシナであり、ベトナムではなかった。だから1979年の侵略者はシナ以外にないのだ。
 同様に1937年の侵略者も、8月13日にドイツ軍事顧問団が書いた開戦プログラムに基づいて数十万の将兵を動員・展開して上海の日本租界を殲滅するための一斉攻撃を仕掛けた蒋介石のシナ正規軍に他ならない。支那事変はこの8月13日から始まる。やはり上海に租界を維持し、シナ空軍の盲爆によって13日に死者を出している米国も、この事態を正確に知っていた。ただし彼らは、極東でのトラブルに巻き込まれる面倒を厭い、わざわざ日本人の肩を持つようなマネもしなかった。だからその国際宣伝は、一義的にまず日本政府自身がせねばならない仕事であった。ところが日本政府はそこでほとんど「宣伝責任」を果たさなかったのである。
 日本政府は、無法な侵略に反応して内地から邦人救出のための部隊を急派し、杭州湾に上陸し、血に飢えた侵略軍を撃退し、南京まで追いかけて蒋介石を膺懲せんとした。
 このとき派遣軍の参謀たちが、捕虜にしたシナ兵を裁判によらずに銃殺することを部隊に敢えて禁じなかった。そして戦後に、1万人以上の便衣のシナ兵捕虜を銃殺した責任を、すべて末端の兵隊に転嫁した。南京郊外において日本軍内の予備役兵の素質が悪いためにハーグ条約が広範に破られたのだというストーリーは、B級戦犯の訴追および刑死から免れたい当時の参謀たちには都合がよいが、その卑劣な責任逃れの言説が、「南京市内で民間人30万人が殺された」とするシナ発の捏造宣伝のうらづけ材料として利用されることになった。そして米国人も、広島と長崎への原爆投下が明瞭なハーグ条約違反たることを内心認めるがゆえに、広島と長崎の合計死者(当初は数万人、後には二十数万人と呼号された)を確実に上回るハーグ条約違反の民間人殺人を日本が南京でしでかしていたとするシナの宣伝を、大いに歓迎するわけである。
 事変勃発直後における、外相(元首相)の広田弘毅の国際宣伝上の大きなしくじりは、日本軍が上海戦線からの追撃戦を成功裡に遂行しているさなかに、蒋介石に講和を呼びかけたことだ。勝っている側、それも侵略を撃退しつつある正義の陣営が、凶悪な犯罪者(上海の日本人の大虐殺を企図していたことは疑いもない)に向かって講和を呼びかけるなど、近代外交の常識ではあり得べからざることだろう。広田は受験エリートでキャリア外交官だったが、近代精神は有していなかった。そしてシナ式の、正邪を捨象する信じられないスタンドプレーに走ったのである。しかしこれを聞いた世界では、とうぜんのことであるが、今次事変に関し、日本が何か重大な後ろ暗い負い目があるのに相違ないと信ずることになった。
 また、侵略軍隊の壊滅後、とうとう蒋介石の方から停戦講和を願ってきたときに、時の首相の近衛文麿は、「居留民の保護」ならびに「侵略者膺懲」という大目的を達成していたにもかかわらず、理由もなくこれを拒絶した。爾来、支那事変は泥沼化し、あたかも日本がシナ全土の征服を執拗に進めているかのような「外形」を生じた。
 1948年にA級戦犯として死刑になった7人のうち、文民の広田、そして軍人の土肥原、松井、板垣の計4名は、1937年に蒋介石に恥をかかせ、また8月13日の「蒋介石の侵略」をよく知っていた者として、蒋介石からの特別な死刑要求によって東京裁判で訴追リストに加えられた冤罪者である。蒋介石は、この4名を吊るし首にすることで、自分が侵略者であった過去を戦後世界の「正史」の上で永久に否定できると思ったのだ。
 4名はパリ不戦条約の違反には無関係であった。1941年の対米動員先制開戦プログラムに、彼らは関与する立場ではない。では、どのようにして「カテゴリーA」の戦犯にされ得たのであろうか?
 この不可能を可能にさせたのが「田中上奏文」という捏造宣伝だった。
 田中義一が首相のとき、昭和天皇に、シナ征服と世界征服の大計画をこのように打ち明けました──とする杜撰な作文が1929年にシナ文で書かれ、ついで英文にされて、1930年代の米国で流布した。
 日本外務省はこれをすっかり放置していた。1980年代からアイリス・チャンのブラック・プロバガンダを今日に至るも放置しているのと同様に。
 東京裁判のキーナン首席検事は、米国人のインテリだ。彼は、日本政府から反論もされず十数年も流布している「田中上奏文」が、まさか偽文書だとは思わなかった。キーナンは、蒋介石からの強い死刑要求と、この偽文書と、1937年に日本軍が戦闘を停止していないという「外形」に基いて、広田、土肥原、松井、板垣に「カテゴリーA」の罪状をあてはめたのだった。
●A級戦犯の外務省に国際宣伝はできない
 日本海軍は、ライバルの陸軍省に日本国を統制支配させることになる「対ソ開戦」を阻むべく、米国に対する動員先制開戦の音頭を取る必要があった。奇襲が惨憺たる返り討ちに終わらぬようにするには、開戦の予告はできない。そこで、宣戦布告をラジオでするという方法を避け、面倒な暗号電文(それも、日米交渉は打ち切ると言うのみ)の手交とさせ、奇襲を成功させた。東郷茂徳(ハルノートは最後通告であると上奏して天皇に開戦を納得させた)と外務省は、海軍との「米国騙し討ち」の共同謀議に深くコミットしたのだ。
 「A級戦犯」とはパリ不戦条約違反のことであるから、野村大使の通告が真珠湾攻撃よりも早かったとしても、東條、木村、武藤、永野修身、伊藤整一、山本五十六、そして東郷が、同条約違反の首謀者とされることは動かぬ。この重大責任から先輩を庇い、省の威光を保ちたい外務省は、戦後も、先の大戦について事実を説明する言葉をほとんど持たないのである。かくして「北京コミンテルン」の対外マスコミ部門も、反日宣伝工作は、し放題というわけである。
 2005年12月24日の英紙『フィナンシャル・タイムズ』は、小泉純一郎首相がその前の週に靖国神社を参拝したのは、大東亜戦争の「侵攻」の被害者に謝罪をしないという外交上の態度であり、それは、シナが日本の国連安保理の常任理事国入りに反対をする完璧な理由であると、シナを代弁するような記事を載せた(同紙は同年2月15日にも、小泉氏のシナに対する強気の態度は右翼的で好ましくないと説教するV・マレット氏の署名記事を掲載)。そもそも日本はシナに侵略はしていない。シナこそ侵略者である。また、自衛隊の最高指揮官たる首相が陣没軍人に敬意を表するのは統率上当然で、それを自粛し自衛隊の士気が低下すれば、首相が日本の国防を脅かすことになる。それこそ国家叛逆だ。しかし、日米離間を狙う北京の狡猾な宣伝工作に、バカ右翼や外務省では、とても有効な反駁はできかねるのである。