あの『決心変更セズ』を凌ぐ巨弾がぁぁぁぁぁっ!

 現在わたくしは劇画原作の執筆を急いで進めております。
 どうも創作と評論とでは、脳みその配線をすっかり切り替える必要があります。
 朝っぱらに一本評論を書いてしまいますと、その日はもうシナリオは書けません。気がのらない。世界に入れない。
 しかし、今回の企画=書き下ろし単行本『2008年 日中開戦!!』は、版元もかなりヤル気まんまんだしボヤボヤしてるとリアル・シナ経済がクラッシュして出版の話題性がゼロになっちまう恐れもありで、ご指名を受けた身として納期迅速を心掛けないわけに参らない。という次第でこいつが完成するまで当分しばらくは、午前中は劇画だけに脳力を使うことに決めました。その余波で、午後は評論は書けない日が増えるだろうと思います。
 ところで先日、上京したんですよ。
 内閣官房の藤さんから「篤志つうじ倶楽部」や対米英文宣伝活動の民間事業についてご賛同をいただき大変ありがたいことでございました。
 ところが肝心の史料英訳会(仮称)は未だ定款も決まっておらず、口座も開けてないんです。もー何やってんだか。そこで20日に加瀬先生の事務所に茂木先生たちとお邪魔してその場で全部、決めて参りました。
 対米宣伝事業の有料スキーム(非ボランティア)の方は、会の名が「史実を世界に発信する会」となりました。これまで使ってきた「史料英訳会」という仮称は消滅します。
 会長は加瀬先生です。また、事務局長の仕事をする役員といいますか代表委員には、当初から兵頭が主張して参りましたとおり、茂木先生になって戴くことも決まりました。他にいませんから。専従できる人が。
 最初の有料翻訳の対象は、黄文雄先生の複数の著作の中から満洲事変前後の事情について良いことが書かれている箇所を「いいとこどり」でダイジェスト英訳しようという方針で、その場の立ち上げ委員全員が一致しました。
 なお、当会の続報、詳細につきましては、当会の日本語HP(これまで史料英訳会の日本語HPであったところ)をご覧ください。
 この上京ついでに「チャンネル桜」で雑談してきました。
 そこで痛感したのですが、右寄り言論人もこれからは内訌のシーズンですよ。
 百人斬り訴訟の分裂みたいに、理由の不明な派閥形成もありましょう。しかし「対支」「対米」その他で「理由のある分別」は、もう見えているんじゃないですか。
 ちょっと考えても、次のような分別が可能です。
【A】大アジア主義者……対米戦争は日本のアジア解放戦争であったと思っている。
 当然、東京裁判のA級戦犯7人は全員、無罪であったと思っている。
 また、日本はシナと結んで欧米と対決すべきであると思っている。
 シナについては正しい知識を持たず、夢想のみ。
【B】アンチ・グローバリスト……対米戦争は日本の自衛戦争であったと思っている。
 東京裁判で死刑になった7人のA級戦犯のうち、1941年の開戦以前の行動が問われた4人(板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、広田弘毅)は有罪で仕方がないが、他の3人(1941年当時陸軍大臣だった東条英機、陸軍次官であった木村兵太郎、陸軍省軍務局長であった武藤章)は無罪だと思っている。
 真珠湾攻撃は宣戦布告が先になされていれば合法であったと思っている(A級戦犯とはパリ不戦条約違反を問うたもので、古いハーグ条約は関係がないことがいまだに分かっていない)。
 アメリカの対日要求は昔も今もまったく日本のためになっていないと思っている。
 社会主義に親近で、同胞の官僚を信じ、大いに期待をする。
 シナに対する加害者意識があり、米国に対する被害者意識があるので、将来「大アジア主義」に走りそうな危さがある。
【C】反共&親米ポチ……対米戦争は日本の自衛戦争であったと思っている。
 シナ事変は共産主義者の陰謀にはめられたと思っている。
 日本は北鮮がらみで米国に守ってもらわなければならないので米国に迎合すべきだが、東京裁判は事後法で人を裁いたものだから納得はしていない。東條は無罪だ。
 日本が安全でありさえすれば米国と協調する必要はないと考える可能性がある。ゴーリズムには内心あこがれる。満州国をつくったエリート官僚の幕僚ファシズムともメンタリティは近い。
【D】近代主義者……対米開戦は日本がパリ不戦条約に違反した侵略戦争であったが、満洲事変とシナ事変は逆にシナ側がパリ不戦条約に違反していたと考える。シナに対しては日本は被害者である。米国に対しては日本は加害者である。
 したがって東京裁判で死刑になった7人のうち、板垣、土肥原、松井、広田はA級に関しては無罪、もしくは部分有罪でも片手落ち処罰に正義はなかった。逆に、東條、木村、武藤はA級に関しては有罪であったと認めなくてはならない。
 対外的に公的に誓った条約を遵守せねばならないのは近代国家として当然だ。人々が互いに約束を守る空間であってこそ近代資本主義も可能になり、中産階級の自由もあり得る。シナ・朝鮮にはこの空間はない。欧米にはある。日本は欧米と同じ近代空間に属し続けるべきなのはあたりまえである。
 このように考える近代主義者が「大アジア主義」に走ることもありえない。この近代主義者だけが、米国要路を不必要に不安にさせることがない。この近代主義者が日本の言論の主流になることが日本の核武装の捷径である。
 わたくしは「D」の主張を可及的にあらゆるところで書きまくってきましたが、誰も読んでないですね。読んだつもりでスルーなのか。それとも自分の意見と違う部分はまるっきり覚えてないのか。対面でこういう話をしますと、みなさん「エーッ?」という顔をなさいます。
 生前の宗像和広さんが、日本人は外人の書いた戦記批評のなかから都合の良い、気分の良くなる部分だけを引用して、他は切り捨てるのだと看破していらっしゃいましたが、これは国内のすべての言論についてもあたっているんじゃないですか? 『菊と刀』が理解されていないのは典型的な例です。そしてこういう狭量な性向のひとつの極北を実践してらっしゃるのが「バカ右翼」。人の話を何も聞いちゃいないんだ。
 今回の上京でアッと驚いたのが、とある若い法曹家の方でしたよ。「零戦の被撃墜シーンのフィルムを見ると、ロールがあまりに鈍い。これは300ノット超の対気速度のとき、零戦のエルロンは全く効かなかったからではないか。あるいは操縦桿やハーネスの設計に人間工学的な不都合があったからではないか」「WWII中に13ミリ級の搭乗員防弾を試みたのは日本陸軍機だけだったのか」「ガソリンタンクの液体充填部分を弾丸が貫通したときに、どうして火災が起きるのか」等の意外にハッキリしていない疑問に逢着するや、真実を求めてあらゆる入手可能な英文資料(米軍の調査報告がものすごく充実したものであるらしい)を漁っておられるのです。
 塗装の話をおっかけているマニアの人と違ってこういうオタクの方々は頼もしい。健全な疑問から健全な調査が、そして健全なアウトプットと更なる健全な懐疑の直観力が、生ずるでしょう。