研究者の素養の一つとしての「適宜な距離感」

 現代の日本で、シナ軍研究をしていらっしゃる方々は、その道に入る前は「シナ好き」であったのか、はたまた、その逆であったのか?
 偶然の機会からですが、やはり古参の方々は「前者のパターン」が多かったのだなぁと、直かにお会いして確かめることができました。
 海上オイルリグ問題で孤軍奮闘を続け、ついにマスコミ世間に問題の存在を公知させた平松先生は、学生時代の前漢以前のテキストへの文学的愛好が、今のキャリアの原点であられたようです。
 また、さいしょは制服組自衛官として、自衛隊が対ソ一辺倒であった時期から一貫してシナ軍情報ばかりを担当し続け(つまり参本第二部支那課のような仕事の師団~方面幕僚バージョンで、このコースだとやはり昇任人事では損する)、のちに防衛庁の研究職に転じてシナ軍研究を継続されておられる茅原郁夫・現拓大教授も、やはり古代シナ史への興味があったのだということでした。
 こうした方々は、現代シナ人の正体に、若き日のある時点で、気付いたのだと想像できます。
 皆目わかりませんのが、米国人の政治指導者層の中にいるチャイナ・ラバーです。これがたとえばキッシンジャーの親支反日姿勢ならば「ユダヤ殺しのナチと同盟した日本は一生許せん」という怨念があるのですから、納得ができる。しかし他の連中は、シナ人が近代人ではない、したがってアメリカのフェアなビジネスの相手たり得ないし、まして世界を幸せにする同盟者たり得ぬということが、どうしていつまで経っても覚れないのか。
 人命も所有権もどうでもよいのだというのが、反近代主義です。これがシナ人です。「ウィルソニアン」を、もし理想主義者と看做すなら、チャイナ・ラバーはウィルソニアンたり得ぬはずでしょう。ところがチャイナ・ラバーが米国の民主党に多い。
 米国の共和党は、「バランス・オブ・パワー」指向から、ガッツのない日本人を見限って、ガッツのある中共指導部の力を利用しようとします。これはリアリズムですが、近代主義の人類的な価値を軽視するという点で、不道徳的です。近代主義者なら、誰もシナ独裁政権の幇助などできないはずです。
 そんな次第で、米国の二大政党のどちらも、本然的には親日反支ではない。おそろしいことです。
 これについて幸いにも伊藤貫氏に尋ねることができました。答えはシンプルで、彼らの発想傾向の根源は、昔のアメリカ人宣教師たちの根深すぎるシナ幻想なんだということです。ちなみに伊藤さんの奥様の直系には二人の旧軍中将がいるらしいです(一人はノゾエ中将? もう一人が不明)。またご本人のご親戚にも、加藤隼戦闘隊の関係者がおられるということです。伊藤氏はもちろんチャイナ・ラバーだったことは一度もないでしょう。
 米国内のチャイナ・ラバーは、シナ人が(日本人より)近代人だと錯覚します。あるいは、そう信じたがる。確かにこれは宣教師のメンタリティなのだと説明されれば、余所者のわたくしにもよく納得できるような気が致しました。
 教派教会と近代ビジネスとは親和しません。米国民はG7のなかでは最も宗教的であると言われて反論できないでしょう。ということは今のイランと同じ危うさを秘めている。この危さに触知できない多くの「親米保守」は低能保守でしょう。
 伊藤さんはこれについても解り易く説明してくれました。米国に留学すると、最初の3年は、授業の水準、学問環境の整っていることに、日本人は圧倒されてしまう、と。それだけで帰国してしまえば、低能な親米御用学者になって終わりです。もちろん米国人の学業水準を超えることもできない。しかし米国に10年以上暮らす覚悟をすれば、在米の日本人との付き合いはなくなり、すくなくとも偉大な米国人たちの虚飾は剥げ落ちて見えてくるのだと。
 これはつまり、十字軍のあとで西欧はイスラム化などはせず、逆に近代化に向かって行った、それと同じじゃないのかと思いました。つまり外国をよく知ることでその国の幻想に染まっちまう御仁と、その国の合理精神だけ参考にできる御仁とが、いるわけです。
 ヨーロッパの王様を離縁して大荒野に入植した米国人は宗教的すぎるために反近代的なブレの余地が多い。そこをシナ人は巧みな宣伝で衝いて行き、人士を取り込めるのです。
 これに対して日本の伝統政治文化では役人に外部への説明責任の自覚が足りないところにもってきて、戦後は、科挙官僚に国民と運命をともにする気構えがゼロとなり、米国内のウィルソニアンには「シナ人は反近代的で、日本人は近代的である」ことを説明もできず、また米国内のリアリストには、「反近代主義シナと核の結びつきこそ世界を最も不幸にする」ことをも、説明ができませんでした。
 日本発のホワイト・プロパガンダは、シナ人は近代人ではないという宣伝をアメリカ国内に届かせなければならないのですけれども、そのさいに、日本国内の反シナ派の言論人の多くが、過去の大アジア主義に親近であるという点が、大ネックとなります。
 大アジア主義は、反近代主義です。わたくしがなぜ頭を抱えてしまうか、解ってくれますか。