摘録とコメント(※)

▼マーチン・カイダン『アメリカの宇宙基地──ケープ・カナベラル物語』S35-1、朝日新聞社 tr. 原題“Spaceport U.S.A.”1959
 かつてP-38乗りで各種ジェット操縦資格もある著者は空軍ミサイル実験場の司令官顧問をしていたこともあるが、お役所仕事には辟易していた。すでに零戦についての著書もある。
 初の月ロケット打ち上げを見て著者は泣いた。これが本書のきっかけ。
 ロケット打ち上げの緊張で嘔吐する技師も見た。
 アトラスの第二段のサスティナーは、目標都市にうまく突入できる速度、角度、高度が得られたときには、モーターを1秒以内で止めなければならない。あとは慣性飛行。
 アトラスの内部燃焼は2800℃以下だから、外壁は人が手をおいてもいいくらい冷たい。その外壁をPRI燃料が通過するので冷却されている。
 新型爆撃機はまず50機つくってそのうち40機は一度も飛ばさずに地上で実験して壊す。ICBMもまったく同じ手順で開発される。
 アトラスは1基200万ドル。
 戦時では、秒読みに15分、長くても20分以上かけてはいられない(p.28)。※ソ連から30分でICBMが来るので。シナから日本までなら10分か。
 液体酸素を注入するとき、鋼鉄の燃料管が収縮するので、とてつもないノイズが響き渡る(p.31)。※これではSLBMには使い辛い。
 しかも圧を逃がすために頂上バルブは開放しておかないといけない。そこから気化された冷たい酸素が漂うため、遠くから打ち上げ場を見ると、かげろうのように風景が揺れて見える。また、地表には靄がたちこめる。
 発射台下の鋼鉄をブラストの熱から護るために滝のように冷却液が流される。
 ブロックハウスの中では技師が「ゴー・ベビー・ゴー」と叫ぶ。
 V1発射場だけでも英米の爆撃機は、日本本土にB29が投下したより多くのトン数の爆弾を降らせた(p.45)。
 V2の貢献もそこにある。それは2万機のジェット機と同じ予算を喰ったが、同時に英米の爆弾も吸引してくれた。
 米国は液体燃料ロケットの研究をWWII中には始めなかった。大量生産の暇がないことが明らかだったから。
 ドイツは単発長距離制空戦闘機は不可能だと見ていた。米はそれをP-47とP-51でやってみせた。
 広島、長崎への原爆投下を、捕虜のドイツ科学者たちは信じようとしなかった。
 クラウゼヴィッツはかつて警告した。「戦争の究極の目標は敵の心を変えるにある。敵に戦いをやめる決心をさせることにある」(p.47)。
 WWⅠ中、スペリー社は米海軍から頼まれて、無人複葉飛行爆弾をつくった。射程640kmで450kg爆装。ロングアイランドで実験成功。しかし1918講和までには間に合わなかった。
 1916~18に陸軍も無人爆撃機研究に5万ドル使った。デイトンでレールから発射され、90マイル飛んで、無線指令で目標に命中した。やはり実戦には間に合わず。
 パールハーバー時点で米軍には1発のロケット弾も無かった。が、1945-8時点では63kgのホーリーモーゼ12.5センチ空対地ロケットを数万発発射していた。
 小型ロケット発射艦。これは40サンチ砲×27門に匹敵する火力を浴びせる。1944-6-6のノルマンディでは4万発のロケット弾を撃ち込んだ。
 対潜水艦用は9センチの「缶切り」。
 タイニーティムは重さ582kg、長さ3m以上。弾頭は230kg、径30センチ。
 1943に48機のB-17がGB-1滑空爆弾×116発でケルンを夜間攻撃。フラック圏外数キロからスタンドオフする試みだったが、ほとんど外れてしまった。指令誘導ではなくプログラム自律誘導。
 M-65アゾン誘導爆弾。450kgで、尾部の炎を頼りに爆撃手が落下方向を誘導できた。これでルーマニア/ユーゴ国境の水門破壊、ブレンネル峠下の鉄橋破壊に成功。
 ビルマではB-24×40から鉄道を狙い、橋梁30を破壊。効率から言って、10トンの爆弾投下に匹敵したと。※防研史料を漁った管見では旧軍が米軍の誘導爆弾に気付いていた兆候は無い。
 VB-3ラゾンは改良型。
 その次がROCでやはり450kgだがTVカメラが先端部についていて、それをモニターしながら誘導する。完成前に終戦。
 フェリックスという赤外線追尾爆弾あり。軽爆撃機が4発をラバウルで試験投下。3発が商船に命中したと。
 WWII中に海軍は「パット」レーダー追尾滑空爆弾を完成。1945に2機が日本の駆逐艦に射程32kmで発射し、撃沈した(p.52)。
 フロリダの飛行区域に英領バハマがある。その島に有毒林があった。高さ1.2mで、触れた皮膚を猛烈に爛らせる。しかも再発性。カルシウム注射で予防できるが寒気がして不快。この林を燃やすと毒ガスが出て、皮膚に痛みを与える。吸い込むと命が危ないと。
 ガダルカナルの蚊は種類が非常に多い。しかしカナベラルはそれを上回るひどさ。
 バンパーの実験では、第一段のV-2は落下途中でTNTにより爆破した。上空4500mにて。
 マタドールの初実験は1951-6-20のこと。
 発射前60秒からエンジン全開。
 スナークは高度15000まで上昇する過程で燃料の大部分を使い切っており、軽くなるのでスピードがマッハ0.9になる。
 破壊指令の暗号はソ連が悪用できないように考えられている。
 ロケットモーターの燃焼は自由電子を発生させ、それがミサイル直後空間の電波通信を妨害する。
 WWII中、ランカスターがドイツのアパート団地に11トン爆弾を1発落とした。600人が死んだ(p.174)。
 ソーやアトラスは液燃だから上昇はゆっくりだが、ポラリスは固燃なのでかなり速く飛び上がる。
 ボマークで散骨した婦人科学者あり。
 実射テストは海に着弾させるわけだが、1回ごとに場所をずらす。そうしないと前の残骸と混同してしまう。
 テレメトリーは暗号であり、しかも周波数が常に変えられる。
 テスト発射の日取りや時刻は公表しない。知られると敵による電波収集作業が楽になってしまうから。
 X-15有人超音速機にナバホの推進ロケットを抱かせるという案あり。※これはまるっきりスペースシャトルだ。
▼野一色利衛 tr.『戦争と政治──独逸の世界観教育と指導』S17-9
 墓地の門に「永久平和」と書かれたものがある。さらにそれを模したオランダの酒場の看板があって、カントはそれを見て自著のタイトルとした、とライプニッツが指摘。
 モルトケ、「永久平和は……一つの夢に過ぎず、而も美しからざる夢」である。
 独逸はWWⅠでベルギー人をひっとらえて労働力不足の本国に送った。
 ロイド・ジョージ、ポアンカレー、クレマンソーは中欧諸国の指導者に優っていた。が、ビスマルクやナポレオン程ではない。
 1933リンネバッハの「戦争に於ける勝敗決定の要因」全文(pp.116~)。
 武力戦は勝敗を決しなかった。思想戦と経済戦だ、とゾルダン。
 イエナ、セダンも戦争の勝敗を決定していない。セダンは国家を破壊していない。
 戦争を終結せしめた決定的勝利の列挙。
 フリードリヒはケッセルスドルフ。これは「ラスト・ストロー」という感じ。
 ナポレオンはアウステルリッツ、フリードランド、ワグラム。双方疲れての平和。
 反ナポレオン側は、ベル・アリンス。これはナポレオンの戦闘力と同時に、ナポレオン体制とその国家を破壊した。
 モルトケはケーニヒグレーツ。
 経済封鎖の先例。スペイン王位継承戦。米革命戦争。ナポレオン戦争。南北戦争。
 Politikというドイツ語は「政治学」「政策」の意もあり(p.185)。
 ビスマルク「戦争の目的は国家に依り追求される政策に相応せる諸条件の下に於て平和を戦ひ取ることである」
 シラー:全民族の性格はその法律の最も忠実なる模写であり、従って又、法律の価値と無価値に対する最も確実な裁判官である。
▼森英『熱帯の荒鷲』S17-9
 著者は陸軍航空本部嘱託の従軍画家。
 整備兵は16歳。
 爆撃機の「小便する器械」は後の方へしまってある。
 爆弾投下は下の丸窓からよくみえる。
 ボマーはなるべく前の方が酔わない。
 15cmくらいの茶色の小瓶に葡萄酒、これを元気酒といい、氷らぬようにポケットに入れておく。
 ドラム缶風呂は丸太を踏んで入る。よく缶ごとひっくりかえる。
 脳天が陽に当たってもいい。しかし後頭部は必ず日蔭にしないといかん、と安南(ベトナム)人は言う。
 女は歯を黒く染めている。
 シナ人は貰い物を前にすると大人こどもの区別なく争い合うが、ビルマ人はそんなことはない。
▼山口・戸井田『石橋物語』
 ローマはB.C.300にアッピア水道をつくる。シナでは605年に河北に趙州橋という石橋を架けたのが早い。漢~唐代に石橋拡散。盧溝橋は1192完成の235m14連の石造アーチ橋。金朝が造らせた。
 日本では沖縄にまず伝わる。1452に福建人が那覇から首里まで7つのアーチ橋を架けた。この技術は僅かに鹿児島に伝わった。
 九州では宮崎と佐賀には石橋は少ない。大分では1817に架けられている。
 長崎の太鼓橋はアーチ工法で、円周率は秘伝であった。
 維新前に華僑が架けたものも多い。
 大金が必要で個人では建設できないものだが城主は石橋の必要など認めなかったので日本には普及せず。
 アーチ橋は洪水浮力=下からの力に弱い。そこで石と石を鉄札で結合。
 橋脚先端に水制を設けないと水によって基礎が洗掘される。
 万世橋は、中仙道への関門であった筋違門を壊した石材でつくった。
 明治初年の東京の石橋のうち現存しているのは常盤橋だけ。