『孫子』強調の意味は「対米雌伏」、そして……

 新聞をとっていませんもので、後になって知ったのですが、訪米した中共の大物が、冊子の『孫子』を米国大統領に贈呈したのだそうですね。いったいそれは英語版だったのでしょうか。だとしたら誰のどのような訳でしょうか。
 そういう興味はともかく、この冊子のプレゼントによってシナ指導部が米国要路に伝えたかったメッセージは単純です。「シナはアメリカに対し、核であれ非核であれ、こんご、正規の戦争を挑むことはありません」と匂わせたのです。
 ──だいたい「算」が無いのに真っ向勝負を挑むわけがないでしょう、ウチはいま「国を全くする」だけでもたいへんなんですよ、もしやるなら、「戦わずして人の兵を屈する」ようにするでしょうよ、強いこと言ってるのは内実が弱いからなんですよ、ウチの核ミサイルなんか飾りですよ──だからアメリカの皆さんよ、米支戦争があるぞあるぞとマジになってヒートアップするのはやめてくださいネ……と宥めたかったわけです。
 それから、シナ指導部は自国軍の若手指揮官連に対しても『孫子』を配って読ませているらしい。
 これは何を意味するかと申しますと、「お前ら、己れを知れ」です。やはり国内に対してもクーリングダウンを誘導している。
 いままで愛国宣伝で シナis(or, will be)ナンバワン! ……と煽りすぎました。「よーし、アメリカと戦争して勝ってやる」なんて勘違いする馬鹿も増えてきた。これでは行く末ヤバイ。
 だから、「シナ軍はアメリカ軍には勝てない。それを自覚しろ。だが腰抜けの日本なら、戦わずして屈してやることはできる。リアリズムを学習しようや」と教育しているのです。
 ダブルオーセブンのこの前の朝鮮版で、たしかラストに『Sun-Tzu』が出てきましたね。もっと前の別な版では悪党の屋敷のワーテルローのジオラマの上でラスボスが死んで、主人公は「お前のウォータールーに会ったな(ナポレオンのように幸運が尽きて終わったな、という意味の英人の慣用表現)」をかましていました。シナ軍人の依拠する古典が孫子だということは冷戦期以降のアングロサクソン指導部にとっては新しい情報じゃありません。その陳腐と思われている冊子を敢えて持ち出して中共は何を訴えたかったか。そこには軽い意味はないと思いますよ。
 ところで、東京裁判で一度も証人として口を利かなかったという木村兵太郎の私家版の伝記のようなものはどこかに存在するのでしょうか。ご存知の方はいらっしゃいますか。
 それから前の毒ガスの話の追記ですけれども、大正七年あたりでは日本陸軍は毒瓦斯のことを「特種兵器」と呼んでいたと思います。
 後に、「特種演習」といえば、それは主に化学戦の訓練を意味しました。
 満ソ国境を想定したトーチカ攻撃演習も「特種演習」といったそうなのですが、おそらく、兵頭私見では、これも対ソ開戦では先手必勝で瓦斯を使うつもりだったからではないでしょうか?
 ところが日本も批准していた国際条約の精神で、毒ガスは先には使わないということになっていた(敵が使ってきたら、やり返してもよかった。それで各国とも、ガスのストックだけはしていた)。
 それで旧軍が降伏するときに、ポツダム宣言が「戦犯を裁く」と言っていたのが気にかかって、所持だけで戦犯容疑をかけられて収容所送りにされるのも厭だと思い、化学兵器だけはソ連や国府に引渡さずに勝手に埋設処分したという可能性は十分に考えられるのではないですか。ましてシナでは「あか筒」を使いまくって恨みを買ってもいたわけです。
 昭和20年8月の関東軍が毒ガスを使わなかったのは当然で、負けると分かっている戦争でガスなんか使ったら、ただちに戦犯裁判にかけられて指揮官は刑死必至、国体も危くされるからです。参本作戦課は、日本からソ連に満を持して奇襲開戦を仕掛けるときだけ、致死性の毒ガスを使う気でいました。それが国際条約違反であることは重々承知でしたが、小軍が大軍に勝つためにはパリ不戦条約違反を含め、なんでもやるのだというのが、明治いらいエリート参謀の学んだドイツ流の戦争観だったんです。満鉄をあくまで日本陸軍の私物にしておく(そのためには満州事変すら起こす)必要がありましたのも、そうでなくては全満の鉄道網を対シベリア・沿海州の奇襲開戦に、うまく役立てられなかったからでした。
 ここでわたくしが今更のように知りたいことが幾つかあるのです。ひとつは、旧軍がシナで「きい」剤を実戦使用した記録があるのか? わたくしは見たことがないのですが、どの部隊がいつどこで使ったというのか?
 「きい」剤を使ったらそれだけでB級戦犯で死刑は免れなかったと思うのですが、その記録はあるのでしょうか。あれば中共が大々的に宣伝してると思うのですがね。
 だいたい満州ならともかくどうしてシナに「きい」剤その他の致死性ガスなどを運んでおく必要があったのでしょう。それは関特演がらみでしょうか? 解明できる方、期待しております。
 (余談ですが関特演が「特種演習」と表記されたことが当時本当にあったのだとすれば、やはり対ソ奇襲開戦では参本はガスを使うつもりであったのが、つい字面に反映されたのではないでしょうか。)
 大いに知りたいことのもうひとつは、ソ連やシナが「昭和20年に降伏した日本軍から致死性のガス弾のストックをこれだけ引渡された」という記録、または、日本軍としてこれだけ引き渡しました、という記録が一つでもあるのだろうか、ということです。『正論』6月号を見て、それはなかったんだと驚いている次第です。てことはガス弾処理問題に関しては外務省は案外マトモ? でもそれなら外務省はなぜ自己弁護をしない? 誰も彼も、胡散臭すぎる印象があります。
 張作霖軍も毒ガスを装備していたことなどの記録につきましては、過去に兵頭の著書の中で幾度か紹介した記憶があります。ご興味ある方は絶版本をひっくり返してみてください。著者もどこに書いたかすっかり忘れております。
 それから国共内戦で国府は日本軍から押収した「あか」や「きい」を使っているでしょうか? たぶん、無いですよね?
 あ、それと「しろ」剤の疑問は一発で解けました。googleは凄いや。