摘録とコメント

▼『都市不燃化運動史』
 1657、明暦振袖火事後、植溜(緑樹帯)をおき、神社仏閣を郊外に移した。耐火都市計画。
 享保以降、町火消が町方、定火消が武家地、大名火消が江戸城を担当。
 特定地域では三年以内の土蔵造り化を命ず。
 失火後のコンクリートはアルカリを失い、中~酸性化して鉄筋を錆びさす。
▼本田喜久夫『戦争と音楽』S18
 WWII中のレコード各社の廃盤指導(pp.278-80)。
 星条旗よ永遠なれ、ワシントンポストは廃盤。蛍の光、庭の千草(ラストローズオブサマスー)は残る(pp.281-2)。
 カイゼルは無類の軍楽家。
 ビスマルクとワグナーは同世代人。
▼立花次郎『戦争と交通』S18
 S17頃に内容の無い本が多く出たのは、国民のインフレ気味の財布を狙った(p.151)。
 S17頃、少数の在独日本人がソ連経由で帰朝。
 戦争中も日本では温泉旅行が盛ん(p.155)。
 大間から鹿児島まで2200kmの「新幹線」構想あり。
 WWII中、独の大型船はバルチック海のみ立ち寄り、英国対岸は避けた。
 独は日本内地の5倍の鉄道密度を誇る。
 ベルリン=ウクライナ間200km余の複々線計画あり。
 ソ連はボルガの水運が×になるや、中央アジア鉄道を通じて単線5000kmに年間1500万t余の石油迂廻輸送を敢行した。50t油槽車を50両牽引する大貨物列車が延々5000kmの線路に間断なく走る。
 貨車はどうしても深夜に操車場に集まり、しかも照明もせざるを得ないため、空襲の好目標になる。
 ドイツは戦争中は“闇”食料がなくなる国だ(p.149)。※大嘘。
▼M・シャクリー『古代社会を復元する』
 archaeological visibility=考古学的な発見され易さ。 
 マヤの運河は、物資の建設資材を運ぶためのハイウエー。
 豹の骨と人骨が一箇所に出た。これはむしろヒト科が捕食されていたのである(p.42)。
 1930’s、二人の極地探検家が、1年間、肉食だけで生き延びられることを実証した。※植村も実践した生肉食だろう。エスキモーに倣ったもの。
 ローマ兵は実は多量の肉を摂っていた(p.118)。
 14世紀、小麦が主食となる迄は、ライ麦の麦角中毒多し。
 レプラと結核は免疫が互換的に働く(p.139)。
 ドニェープル近辺のマンモス狩猟民は、ネアンデルタールより人口密度高かった。
 10~15世紀ノブゴロドのコーデュロイ式街路。全長にわたって丸太を横に敷き並べる。起原はB.C.4000にまで溯る(於・オランダと西イングランド)。
 斧で伐ると木の端繊維を押しつぶすので腐るのが遅くなる。
 松と菩提樹は保存されやすく、オークは保存されない。
▼西川吉光『現代安全保障政策論』
 ラテン語se-cura「ある状態から自由になる」→security
 Wolfersは1962に、不安の不在が安全保障だとした。それは他者をコントロールする力でもある。
 包囲恐怖症=シージメンタリティ。
 レイモン・アロンはビアードやH・モーゲンソーに逆らって「国益」の存在を否定する。ちなみに「我が国には永久的な敵味方はいない。永久の利益のみ」と言ったのはパーマストン。
 公共善 Public good の達成について、プラトンは高学歴少数者統治によれ、といい、アリストテレスは、少数意見も保護した多数人民の合議でこそ、といった。
 フィレンツェのロレンツォ・ディ・メジチはベネチアに対抗してミラノ、ナポリと同盟を結び「勢力均衡政策の父」と呼ばれる。
 16世紀にはロアン、18世紀にはフェヌロン、バッテルが勢力均衡を説く。
 AJPテイラー「大国の勢力均衡は小国の利益」。
 スイスはWWII中、ドイツに大量輸出(p.80)。
 WWⅠ中、連合軍はドイツに6559万枚の宣伝ビラを撒いた(p.116)。
 ブートゥールは人口の増大を戦争原因とみる。
▼ジョン・オルセン『ウェストポイント物語』
 ウェストポイントの新入生には次の四語しか許されない。「Yes, sir」「No, sir」「I don’t know, sir」「No excuse, sir」。
 アナポリスは眼鏡者は採らない。水かぶると何も見えないので(p.62)。※これは戦前江田島も同じだったが、今はどうだか……。 
 ウェストポイントの外語は、ドイツ語(p.92)。
 レスリング、ボクシングなど各種スポーツを3ヶ月交替でひととおり習得。
 学科の「軍事科学」では、地図解読法などを。
 サバイバルスイミング。作業服2ポンド、ブーツ8ポンド、背嚢2ポンド、煉瓦10ポンド、M-14=11ポンド、計33ポンドを身につけ、深さ15ftのプールを75ft、銃を濡らさずに泳ぎ渡る。
 コロラドスプリングス(空軍士官学校)とアナポリスでは、もみあげや口髭の規制がなくなっている(p.254)。
▼陸海軍人民委員部『1929制定 赤軍偽装教令』陸軍航空本部&樋山光四郎tr. S8
 第十一:「積極的の偽装とは一定の計画の下に敵をして連続せる観念を辿り遂に我が企望する如き誤りたる判断に陥らしむるに在り 換言すれば偽装は一般の戦術上の方針に依り常に一貫せる主義の下に行われざるべからず 単に個々の目標を隠匿し或は偽工事を為すのみを以ては偽装と称するを得ず」
 第七十一:「規則正しき輪郭を有するもの、規則正しきか或は対称的配置を有する物体は飛行機に依り発見せらる」
 第百十七:「敵の空中偵察に対する偽装作業を為すに方りては開始前及作業中時々該地方の空中写真を撮映し且つ偽装専門家をして飛行機より肉眼を以て点検せしむるを可とす」
 第四百二十六:「作業を秘匿するには材料の運搬及配置を蔭蔽し夜間、濃霧時を選び遮蔽位置或は特に設けたる掩蓋下に於て作業を実施し且 偽装軍紀を厳守するを要す」
 ※キューバの核弾頭が全部発見されなかったのは当然だ。というか、そもそもバレたのが異常。部下軍人たちがフルシチョフに反発して臍を曲げたのだろう。
▼フラー『制限戦争指導論』
 1915初期、西部アルトア・ルースでは、砲兵の射撃によって敵の第一線壕を占領できた。ナポレオンも、戦争は砲兵の運用次第と言っている(pp.245-6)。
 補給車の推進は砲撃の弾孔のため困難で、歩兵に追随できず。※平時にいくら道路網が整備されていても、有事となればこうなる。
 イペリット系黄十字(マスタード)は致死性でなく、暴露後4~12時間で火傷発生(pp.257-8)。
 ※戦後の別資料で補う。マスタードの効果は、最短でも4時間たたないと出ない。そして目は数カ月ダメになる。イペリットは白血球すら壊すが、同時に、抗ガン剤としての用途も発見されている。WWIの毒ガスには、鳥が最も弱く、ネズミすら死に、馬もやられるが、犬は平気であった。塩素ガスはすごい濃度で、小火器などは錆びて動かなくなった。だからマグネシウムが良いのか?
 1918-3~4月、アラス=ラフェール間に独軍がガス攻勢。アルマンティエールス(仏白国境の町)はマスタードガス充満し、住民は下水道づたいに逃げた。
 WWⅠ中の米軍損害258338人中、70752人がガス。つまり27.4%だ。しかし全損害中46419が死亡であり、うちガスによるものは1400人だから、ガスによる戦死比率は2%だった。
 フラーいわく、WWⅠに使用された最も人道的兵器はガスだった。
 ナポレオンは、ロシア農奴、ウクライナ人、100日天下中の仏に対しても、まったく宣伝は慎んだ。
 ビスマルクも1871パリ革命政府を決して支援しなかった。
 ドイツの残虐を宣伝した詳細なリストは、“Falsehood in War Time”by Arthur Ponsonby, 1936を読め。
 ドイツにはWWⅠ中、宣伝省がなかった。
 1917末、ボルシェビキの宣伝はその全力をもってドイツ軍隊に向けられた。
 ブレスト・リトウスクの独ソ和平条約で、ロシアは人口の26%、農地の27%、石炭の四分の三を失った。
 1920のソ=ポ戦争で、もしトハチェフスキーが勝っていたらドイツは占領され、ベルサイユ体制は吹っ飛び、世界共産革命戦争に発展していた(pp.290-1)。
 革命後、労働者は働かなくなった。それで農民も交換したいものがなくなり、食い扶持分しか耕作しなくなった。これが1920の飢餓の因だと。→NEPの必然。
 レーニンはクラウゼヴィッツについて「その基本的思想は現在では、あらゆる思索家の反駁を許す余地を残さないものとなっている」と。
 レーニン時代には、ボルシェビキ党の多くがユダヤ人であった(p.346)。
 フラーは目撃した。戦車が軍の指揮頭脳をパニックに陥れた。このパニックを起してやれる兵種が他にあるならば、それでも良いのだ。
 フラーはダリウスに対するアレクサンドロスの直接アプローチがペルシャ軍崩壊に結びついた、と見る(p.361)。
 フラーの戦車による攻撃目標は、あくまで各級司令部で、そこに向け不意に驀進させるべし、と。
 1939の独陸軍の優位は数的なもので、質的優位ではなかった(p.363)。
 WWII開戦時の仏兵力は独の半分しかなく、マジノ防御は致し方なかった。
 質・量ともに勝っていた仏戦車がベルギー国境に集められていたら……(p.365)。
 トハチェフスキーは1937-5にフラーに反発。戦車部隊に対しても砲兵の支援は必要だと。
 資質を有する司令官は、善悪いずれのニュースに接しようと興奮したり驚嘆しない。資質のない人は、自らの体質から、ありもしない状況をつくりあげてしまう。──ナポレオン。
 1940-5-18、チャーチルは「共産主義者とファシストを抑留すべきである」と軍に訓令、裁判もなしに、ドイツ系ユダヤ人など多数がアスコットなどで抑留された(pp.388-9)。※マン島にも収容所ができた筈。
 1940の独軍の対仏電撃戦中、独のラジオ局はフランス語放送を間断なく行い、民衆パニックを演出した。
 ライトリンゲルいわく、もしドイツ人が、1918のウィルソン14条のようなものをもってロシアに侵攻していたら、ロシアはちょうどドイツが14条で分裂したと同じようになったに違いない。
 チャーチルにとって対ソ援助、対独非妥協は、自分の生涯を単純化するためでしかなかった(p.396)。※フラーはファシズム運動家。
 1940-9-3いらい、英爆撃機隊は国防省直轄とされ、チャーチルの私有部隊となった(pp.420-1)。※これをマネしたのがFDRの原爆運用。
▼ハンス・モーゲンソー『国際政治学』第3版・第8章「国力の本質」
 インドは石炭と鉄の宝庫としてアメリカとソ連の次にくる。
 1939にはわずか300万、総人口の1%以下のインド人が工業に就業していた。
 大きな人口がないと近代戦に必要な工業設備を建設したり動かせない。
 米人口は、1824からの自由移民、とりわけ1874~1924の移民に負う。
 WWⅠ直前、独は、ロシアの人口増はこのままでは我に不利と判断した(pp.167-8)。
 1870には独も仏も米人口より多し。しかし1940の米人口は1億(?)、仏独計は3100万。
 19世紀末、大英帝国は40000万人、つまり世界人口の四分の一。1946には55000万人、うちインドが41000万。インドを失えば、英も終わる。
▼増田抱村『国家と人口学説』S17
 英は中世では仏と同じ農業国。穀類を輸出し、人口は仏より少。19世紀に至り、工業発展し、食糧輸入で仏の食糧輸入額を凌駕。
 15~18世紀中葉は、ドイツ人(中心はシュワーベンやバイエルンの高地族)が最も増えた。ギボンの説明によると、ラテン民族より遅れて文明開化したので性的に堕落しておらず婦女をあくまで家庭内にとどめて増殖力を高く保ったからだと。
 東独移民とともにペストが流行し、15世紀以前の300年は人口は微増。
 1500生まれのフォン・ヴェルトは、ゲルマンとはゲルミノ(盛んに繁殖する)が語源だと主張。
 百年戦争で農村が掠奪されると流民が都市に殺到し開戦9年後から都市型疫病が蔓延。 ここから大復興したルイ14世の大臣コルベールが、人口は国力の手段であり、また国政の目標も要するに人口を増やすことだと言ったのはけだしなりゆき。
 マキャベリは、スパルタやアテネの衰退は人口制限にあるとした。スパルタは遺産を均等配分していた。ローマ人はギリシャ人と違い、人口が増加しても国内は乱れないと考えた。
 ※戦時中のコンセンサス。人口制限は個人のためにはなる。が、国家のために悪い。
▼美濃口時次郎『人口政策』S19
 モンテスキューが総括する。プラトンとアリストテレスは人口の増加を恐れ、その抑制を主張したと。
 それは少数の自由民が多数の奴隷を支配するための結論だと。
 ※戦死の可能性と飢え死にの可能性に直面した人にとって、後者がはるかに深刻である。
▼北岡寿逸『人口政策』S18
 明治には「人口問題」はなかった。
 大正に「過剰論」が生じた。
 コメの生産性が人口増に追及せず、輸入の必要があった。大正の米騒動。
 日本では支那事変を境に、それまでの人口過剰論が、「生めよ殖えよ」に転じた(p.58)。
 スペングラーは仏人口減少の理由のひとつに、15歳以下の児童の労働機会が減ったことを挙げる。加えて、教育の必要。
▼フォン・ボグラウスキー『古今戦法』伊藤芳松 tr. M34
 著者は独中佐。訳版元の兵事雑誌社はM29-3に雑誌創刊。
 独傭兵の銃兵は槍集団と組んだ。敵騎兵襲撃に対しては槍の後端を地に依托し、蝟集した。
 「クローゼウ井ッツ」に言及。
 ナポレオン時代は敵に300歩まで近づいて放列。
 普仏戦では400~500歩距離の歩兵損害が最大。これは密集過度のため。
 「独断専決」と訳している(p.232)。
 独実験によると400m以上の小銃射撃は無効。
 最新火器の決勝距離は250~400mだ。
▼中央経済法研究会・森敦三 ed.『敵産管理の理論と実際』S18
 S16-12-22に成立した敵産管理法の解説。
 ※要するに米国特許(の国内独占使用権)を強制的に公共化してしまう法律。ちなみに三菱商事などはスイス等を経由して対米戦中もパテント料などを払い続けていたことを戦後に誰かが書いていた。
 工業所有権戦時法ニ依ル専用免許申請ノ却下(S17-8-21、いずれも陸軍大臣が申請却下した)。
 特許No.77723・石炭、石油或ハ炭化水素化合物ニ水素ヲ添加シ圧力及熱ヲ加ヘテ之ヲ分解スル方法。
 No.97560・炭素質材料ヨリ有価生成物ヲ製造スル方法。
 No.97637・鉱油ノ精製法。
 No.104540・内燃機関用高空調整装置ニ関スル改良。
 No.107815・可調正「ピッチプロペラ」。
 No.117202・空気入リ「タイヤー」ノ内管。
 No.124287・石油炭化水素分裂法ノ改良。
 No.125870・液体混合物殊ニ炭化水素液体混合物ノ分離法。
 No.142640・高「アンチノック」原動機用燃料炭化水素ノ製造法。これは日窒がテキサコから買っていた特許である。
 ……他に、飛行機ノ尾輪、内燃機関用燃料ニ関スル改良、発動機燃料、分解蒸留物ヨリ得ラルル常時液体ヲナス炭化水素蒸留物ノ精製方法、などなど。
▼産軍複合体研究会『アメリカの核軍拡と産軍複合体』1988
 G・ライマンの『ヒトラーの特許戦略』によれば、スタンダード会社はファルベンに人石の特許を売り、WWII中も料金を受け取っていたという。
 WWIIで使われた燃料の6割は石炭。4割が石油。
 これが朝鮮戦争では逆転し、石油6割となる。
 ベトナムの米軍は100%石油だけ。
▼池崎忠孝『太平洋戦略論』S7
 ※三冊の単行本と幾つかの論文を合冊したもの。
 カトーはしつこく唱えた。“Delenda est Carthago”カルタゴは滅ぼされねばならぬ、と。
 思ふに、我国が封鎖されて一個月も立たない間に、主として木造建築から出来てゐる我国の首要都市は、殆んど灰燼に帰して終ふでありませう(p.32)。
 石油がいよいよ足りなくなったら、シベリア鉄道でロシアの石油を買えばよい(p.166)。※この石原莞爾の受け売りが、満州事変後の提案たり得るのか?
 米人は日本海軍の七割主張を an Incantation(無意味なおまじない)と呼んでいた(p.365)。
▼石井洋『日本国防の地政学』S55
 バイカル以東のソ連石油需要は1000万t/年。それに対してサハリン原油は250万t/年。よって西方からの鉄道貨物の3割が原油となる。コムソモリスクとハバロフスクに精油工場がある。
 1941-8-5に日本政府が対ソ中立条約遵守を声明するとスターリンはバム用レールを西シベリアからウラルの武器工場に送った(p.29)。※Really?
 ムルマンスク~喜望峰~ウラジオストックで15600マイル。スエズ通れば12000マイル。北米経由なら5700マイル。
 日本の1935と37の原油と重油の対米依存実績。67%(231万キロリットル)と74%(353万キロリットル)。
▼ブルース・A・ボルト『地下核実験探知』
 1945-6-16のニューメキシコのトリニティ原爆は1万9300tのTNT相当。
 地震波記録では、電光形の上向きに針がブレている軌跡が、地盤の圧縮を示している。
 シナの核開発担当官、銭三強は、パリのジョリオ・キュリー研究所からソルボンヌに進んで1943卒。WWIIで仏にとどまるあいだ、仏の地下運動を通じ、モスクワに成果を渡した。戦後のソ連の対中共核開発支援は、そのときの働きに対するお返しだった、と銭は言う(p.14)。
 ソ連援助でシナは重水炉を1960-6に臨界させた。そしてガス遠心分離で濃縮したウラン235により、1964-10-16、バクハツ。
 インド初原爆は10~15キロトンだった。
 ジェット気流は、通常の15倍も強い音圧で、50km以遠によく音を伝える。
 半減期の2倍の時間では、放射能は最初の四分の一になる。ゼロにはならぬ。
 ストロンチウム90の半減期は28年。セシウム137は30年。プルトニウム239は24300年。この半減期の長さが金属としての加工をゆるす。ウラニウム238は4.5×「10の9乗」年。
 煉瓦造の家に住む人は、木造の家に住む人より、多量の自然放射能を受けている。
 ふつうの水素の原子核は、陽子が1箇だけ。
 「陽子1箇+中性子1箇」は重水素。Dとも略記。これは自然界に5000分の1存在する。1kg分離するのに、100ドルかかる。
 「陽子1個+中性子2箇」は三重水素。Tとも略記。ふつうは核爆発(特に核融合)でつくられる。不安定な放射性で半減12年。Tは常温では気体のため、乾式水爆では6リチウム化重水素として原爆の周りを囲ませる。また「装置水爆」とは、DやTを液体で使ったもので、それゆえに湿式とも言う。
 1929春に米人がサイクロトロンを発明した。※爆縮式原爆に必要な、多数の爆薬を精密に同時一斉に電気点火する回路装置のことは「クライトロン」という。
 無用に飛び散る中性子の方が多い状態を、亜臨界という。
 プルトニウム239を使ったガン・バレル・タイプも可能である(p.51)。
 きたない水爆10個は、原爆1万発分のフォールアウトを生ず。
 500グラムのDの融合は、yieldにしてTNT26キロトンに相当する。
 湿った土の方が、地震効率はよい。水中なら、もっとよい。
 2トンの硝安発破は、400km先の地震計にもわかる。
 火山灰の塵が大気をまわると、夕陽が真っ赤になる。
 1350年に銃砲推薬として使われていた火薬が、採鉱に応用され出すのに、更に300年かかった。
 地下実験は、径2m、長さ1000mの孔。爆弾は鋼容器入り。電線を引いて、埋め戻す。
 表土が下底岩盤から切り離されることを spallingという。
 上昇表土の再落下衝撃を slapdownという。
 衛星でチムニー陥没をみつけられぬようしたければ、特に軟層土のところでは深掘りの要あり。
 液体中はS波は伝わらない。
 5kmより深い核実験は経済的に不可能(p.100)。
 102頁の断層崖の写真を見よ。Great wall は自然物がヒントだったのだ。
 普通の地震では、観測点によってP波の初動方向が異なる。が、核実験ではそれがすべて上向きとなる。震源の4方位からの観測記録を照合しさえすれば、核実験と確定される。
 空気が薄いと宇宙放射線の害を受ける。アンデスのインディオはリマ市民の10倍被曝しているのだ。
 ストロンチウムはカルシウムと同族金属なので、骨中に蓄積され易いわけ。
 アーネスト・ローレンスらは、1957にアイクに対し、ABMの無フォールアウト可能性を報告。
 1972時点で米で最も深い油井は8km。
 大空洞内で爆発させると地震は三百分の一になる。これをデカップリングという。
 1963-6フルシチョフの東ベルリン演説で、ソ連は現地査察は拒否するが、大気圏内・宇宙空間・水中の核実験停止条約は締結してもよい、と。それまでは全面核停以外は認めていなかった。
 1959-6提出のバークナー報告により、米国防省は、ソ連をとりまく国々に10地点ほどの地震観測点を置く。
 1974ジスカール・デスタンは太平洋実験を地下化すると述べ、1975-6-5のムルロワ実験は地下になった。
 スウェーデンはかつて地震の被害を受けたことがない国だが、1930’sから地震観測を開始。1000km離れたノバヤゼムリヤその他のソ連実験を記録し続けている。
 ツンドラや結氷海岸の地中ノイズは小さいので、観測所に適している(p.219)。
 径わずか17.5cmのボーリング孔にも入る小型地震計ができた。
 1971に於ける西側の探知能力は、最小20Ktまで。
 20Kt爆発は、300m厚の沖積層で完全に封じ込められる。
 ソ連はTNT5キロトン相当の化学爆発「メデオ」をやったことがある(p.259)。
 NSAは日本、トルコ、印パに於いて新疆の秒よみを聴いている。
 部分核停条約後も米はクレータ実験行なう。1968に三回。
 核爆発により陥没したチムニーの放射能は比較的低い。
 核クレーター利用貯水湖のソ連での実例(p.287)。
 5メガトン弾頭のABM爆発はかなりの広い空間をX線で飽和させ、進入ミサイルの電子回路を妨害する。
 1974(?)に南ア原子力評議会のスポークスマンは、南アの核技術はインドより進んでいる、と明らかにした(p.368)。
▼“The effects of atomic weapons”『原子兵器の効果』武谷三男・他 tr.科学新興社1951pub.原1950マグロウヒル。
 ※同じ本を主婦之友社も『原子爆弾の効果』と題して、篠原健一、石川、山口に訳させてS26に出している。主婦之友社版は485頁、科学新興社版は536頁。印刷技術に歴然とした差がある。なお国会図書館蔵の科学振興社版には例によって往時のミリタリーフリーライターによると思われる犯罪的な切り抜きがある。それは巡洋艦『酒匂』がビキニ実験で大破している写真の載っている頁の前後である。
 放射能は光輝が収まった後、生ずる。
 火球は、密度が小さいので上昇する。
 広島、長崎の例では、高度が2000ftで、フォールアウトに帰せられる被害者は全く存在しなかった(p.44)。
 ピーク過圧は、爆発出力を「三分の一乗」した数で距離を割った数値に、単純比例する。
 20キロトン爆弾が、距離2500で、ある被圧値(1平方インチあたりにかかるプレッシャー)を生じたとするならば、30キロトン爆弾は、同じ被圧値を、距離2860において示すことになるわけである。
 ※つまり小型の核爆弾を大都市の細かなグリッドに1発づつ、計数百発も落としてやるような絨毯核攻撃でも加えない限り、ひとつの大都市の地下構造が全滅することはない。
 圧力と距離との関係は、地上爆発の場合は、同じ量の空中爆発の場合の距離に、「2と1/3」をかけたものと同じ。
 高度が高くなると、地上爆発よりも、最大で「2と1/3」、ふつうは「2と1/2」倍に威力が増す。これは、反射波の効果が加わるため。
 ※つまり対都市の毀害面積を極大にせんとして最適な起爆高度をプログラムすれば、こんどは直下の地下構造に対する破壊力がトレードオフされてしまう。このように、核は「絶対兵器」からは程遠い。長崎と広島の被害は、両都市があまりに可燃であり過ぎたことによったのであり、これはドイツと日本に対する連合軍の通常爆弾空襲の投下爆弾量と、それによって地上で発生している死者の数値を並べてみたら、一目瞭然だ。
 ビキニ実験で発生した波頭の最高は20ft。
 重骨組+鉄筋コンクリートは最強で、レンガ造りは弱かった。煙突構造は、背圧が均しくなるので、おどろくほど強い。広島では鉄筋煙突は残った。木の電柱は折れた。
 大型核爆弾のピーク圧を考えると、その空中爆発の被害面積は、放出エネルギーが2倍になると、1.6倍(2の「2/3」乗)になる。
 小型核爆弾の力積を計算すると、エネルギーが2倍になれば、被害半径は1.6倍になるから、被害面積では2.5倍になる。
 20キロトンで完全破壊される地表域は、半径0.5マイル内である。
 丘陵の影になったためまったく無被害だった長崎の住宅地の写真(p.163)。
 18インチの土と木で造った半地下壕は、爆心から距離900フィートでも残り、1/2マイル以遠では、全無被害であった(p.189)。
 吃水30ftの主力艦に対しては水中1/4マイルで起こった核爆発が最も有効である。※艦底を破損し、浸水せしめる。
 潜航中のsubは、距離2700ftでの水中核爆発で仕留められるだろう。
 商船は3000ftでも損傷。軍艦は2000ftで。
 衝撃波面は輻射を発することができない。吸収もできない。よって火球を囲む。
 赤外線は起爆から0.3~3秒後に出るので、閃光を見てすぐテイクカバーすれば火傷を防ぐことができる。
 中性子を、火球をみてから避けることは不可能。
 遅い中性子は、よっぱらい歩きのように到達するから、壁のうしろに隠れただけでは防げない。遅い中性子の方が、高速中性子よりも5倍も致死的。また、速い中性子の放出量は、ごくわずか。
 長崎のグラウンドゼロで、生き残った山腹坑の写真(p.458)。