近衛文麿の合祀年がよくわからない

 わたしも何の第一人者でもない分際で評論家をしてますが、これでカネをとっても許されるのだなあと実感いたしますのが、たとえば靖国問題をめぐる他のプロ言論人の、ほんとうに学習力のない意見に接するときです。
 まだ「分祀」がどうのと言っている人がいる。
 1945~46時点で蒋介石がいちばん許せなかったのは近衛文麿です。こいつに面子を潰され南京を逐われたと蒋は思った。しかも近衛が中共を手助けしたも同然で現在の彼の苦労がある。
 だから戦犯裁判を東京でやるとなったとき、「近衛をさっさと確実に吊るしてくれや」というリクエストが重慶からトルーマン・キャビネットに渡されたはずです。
 で、うまれながらに現実感覚の狂っていた近衛もさすがにとうとう蒋介石の意図を覚り、巣鴨呼び出しタイムリミットぎりぎりで服毒自殺をいたしました。
 これで蒋介石は怒りのやり場がなくなった。しかたなしに広田を近衛の身代りとして血祭りに上げました。もし近衛が自殺せずに東京裁判で吊るされることに決まったら、広田は不起訴か禁錮で済みました。
 広田と松岡と白鳥は文民なのに「米軍に戦争の延長で殺された」と宮司がみなして、戦死と同じ扱いで、軍人専用のはずの靖国神社に合祀されました。他のA級既決囚で吊るされたり獄中死した軍人たちと同一にです。
 現代の軽薄な評論家たちは、そもそも文民が靖国に入っていることのおかしさも問わないで、この14人の合祀をなかったことにすればシナ人が喜ぶと思ってるわけです。 ニワトリ頭!
 この14人とは別に近衛文麿も合祀されています。どうも合祀のDATEが不明なのですけれども。
 アカの恩人の阿呆公家を祀ったままで、日本が過去に持った最良の軍人の一人である松井大将を神社から追い出す? それも、もうすぐ亡びる中共政府の要求で? それが「経綸」だと思っている代議士がいたら、次の選挙で消えて欲しいよ。
 だいたい靖国神社は、追悼や平和祈念の場じゃねーっつーの。あれを8・15イベントの場に捻じ曲げたのは、敗戦直後に軍人恩給が停止されて生活に困った遺族会がマスコミの同情的注目を集めんがための国会向けのエグいキャンペーンだったのです。考えついた人は宣伝企画者として偉大だけどね。そんなマネを許した戦後歴代宮司には大きな罪がありますよ。神社のくせに仏教の盂蘭盆(8・15イベント)やお彼岸(春秋例大祭)に合わせているが、不純だと思わんのかよ。遺族会をいまだに集票マシーンにしている自民党の代議士もいいかげんにしれや。
 14人を外しても満州事変の本庄繁・関東軍司令官は神社に残りますよ。本庄も近衛と同じパターンで、終戦直後には自決しないで、やっぱり巣鴨に入れられると決まってから自決したのですが、合祀されております。生きてたら確実にA級で死刑だったでしょう(その代わりに板垣か土肥原のどっちかはリストから外れたでしょう。全体枠が28人と決まってたんで)。
 また海軍の永野(対米開戦時の軍令部総長。戦後A級容疑で取り調べ中に病死)と山本五十六(対米開戦時の連合艦隊司令長官だが軍令部長と共同謀議関係にあり、開戦の最高責任者。終戦前に戦死)も祀られてるわけです。永野も山本も生きていたらA級有罪は確実ですよ。
 東条と山本は同格なんです。生まれも同じ明治17年。中将昇進も同時で、二人は陸海のホープだった。山本は海軍省全体の未来を背負っていたから、東条以上に有能であることを天下に証明しなければならず、それが真珠湾攻撃です。
 日本の政治家が、個人の政治的な信条に基づいてあの東京裁判を支持したいというなら、永野や山本を祀っている神社に参拝することを、どうアメリカ人に説明するのか? できないでしょ?
 アメリカの軍人戦死者にだって、誇ることのできない、とんでもない悪党がいっぱいいますよ。外国人にとっての仇敵もいるでしょう。しかしアーリントンではそれは問題とならない。なぜか? 「無名戦士の墓」には「霊璽簿」が無いからです。
 アーリントン軍人墓地の個人墓区画の利用に際しては、きびしい資格審査があります。
 しかし、「無名戦士の墓」からは、誰も公式に排除はされない。
 たとえば、アメリカ憲法精神にぜんぜん忠節でなかった元軍人の魂は、そこに入っていると思ってもいいし、入っていないと思ってもいい。お参りする人が、心の中で区別すれば良いのです。だから外国元首も屈託無くお参りができる。
 ところがこれと違って靖国神社は明治以降、天皇に忠節だった「有名」戦死者だけを祀ろうという施設で、そのために霊璽簿があったわけです。
 霊璽簿というのは、新しい戦死者の名前がそこに追記される前に、天皇が裁可承認を与える。そうでなかったら、そんなもの霊璽簿でもなんでもない。宮司の私物ノートにすぎないでしょう。
 敗戦後、霊璽簿の追記について天皇に事前に査閲をいただく慣習が、神社側の意向で一方的に廃止された。この瞬間、霊璽簿は宮司の私物ノートと化したと考えるべきです。また靖国神社も天皇と切断され、宮司たちの私物と化したと考えるべきでしょう。
 ですので靖国神社の正しい性格は、戦後に遺族と宮司がよってたかって破壊してしまい、いまある靖国神社は、ほとんど似非ヤスクニ神社なのです。
 宮司らが、そこにA級戦犯がいるといえばいるのだし、いないといえばいないのでしょう。その程度のものです。
 いま、宮司らは、そこに14人の刑死者は祀られていると主張しているのですから、それを外せとか戻せとか、外部からとやかくいうことはできません。一宗教法人たる靖国神社のご勝手・ご自由です。
 政府としては、アーリントンの無名戦士の墓のような、(霊璽簿無用の)国営施設が日本国内にいつまでもないことが外交儀典上の甚だしい不都合である由、それを粛々と新設することです。
 念のためにいうと、一般に、無名戦士の墓には、外国人や、純民間の戦災犠牲者などが祀られていると考えることはできません。
 また、無名戦士の墓の前で政府の一員が不戦を誓うことは、国家叛逆罪に相当しますでしょう。