チラ裏日誌

 核武装論が出てくると、敗北主義者が「錦の御旗」のように取り出してくるのがNPTでしょう。
 このNPTってのは、米ソ英仏支があるとき皆で寄り合い相談してムラの掟として自生的に定まったようなもんじゃありません。アメリカ一国の主導で他国に案を示して同意させたもので、他の四国はそれを呑んだのです。幹事国はアメリカであり、「アメリカ=NPT」です。ここが分かっていない人が多いのがいつもながら驚きです。1億総「村人」感覚なのですな。
 NPT加盟国があらたに核武装するときは、それにアメリカが同意/黙認するか否かだけが重要なことで、アメリカが同意/黙認すれば、あとの国には止めようもないのです。
 ソ英仏の3国がNPTに同意したのは、「西ドイツに核武装してもらっちゃ困るな」との利害が共有されていたからです。とうじのアメリカの心配は、フランスとカナダと英国が、プルトニウム取り出しの容易なタイプの原発を世界の核後進国に売り始めていたことでした。
 北鮮の核爆弾はパキスタンの技術です。パキスタンに核を拡散させたのはシナです。アメリカの1994の北鮮爆撃を世界的工作で阻止したのはシナです。シナはアメリカのNPTを妨害し破壊しました。
 匪賊の親分は新参の子分に銃器を渡し、子分はその代価として親分に面従します。「面従」すれば「腹背」しても良い――と構えるのがシナ式なのです。子分は、やろうと思えばいつだって親分の隙をうかがってその銃器で暗殺できるでしょうが、そんなことを気に病んでいたら、ヤクザの親分やシナ人はやっていられないんです。それよりも、できるだけ大勢の子分が面従してくれること。それを他の世界に向かって誇示できること。これがシナ人が感ずる「セキュリティ」であり、人生最大のよろこびであり、人生の目的そのものなのです。この前、北京にアフリカ諸国を呼び集めた儀式もまったく同じです。俺には子分がこんなにいるぞ、と。それをアメリカに示すことで、アメリカと対抗し、最終段階ではアメリカをもシナ化するつもりです。
 アメリカはシナ対策に本腰を入れねばなりません。
 アメリカにとって好都合なのは、日本がイギリスのように信じられる国になって、核武装してシナを封じ込めることです。ところが困ったことに、日本は信じられる国じゃないのです。
 公的な約束を軽視する国民であると思われている。そんな国民に核ミサイルを持たせたくありませんよ。誰だって。
 マックKEMPOHは、日本が武力をもたず、武力で自由を守りませんと誓約する内容です。属領フィリピンがアメリカから押し付けられたのと同じ「擬似条約」です。これはアメリカ政府のプログラムにはなかったことで、異常な軍人・マッカーサーが独走したのです。マッカーサーが嘘つきであることは昭和29年に青木一男が明らかにしました。
 アメリカ政府は、そんな阿呆な憲法は早く廃絶しろよと、朝鮮戦争直後から非公式ルートで促し続けました。しかし日本政府は何もしませんでした。
 こんな偽憲法を60年も放置している国民なのです。日本の有権者は。
 この偽憲法を放置しながら、英仏以上の国防費を毎年支出している。嘘つきじゃないですか。
 憲法をいいかげんに考えている国だから自国民の人権も守れない。
 <自国民の自然権を守らない>と謳う憲法なのですから、拉致被害者の放置もある意味筋は通るのですが、これでは「まして外国に対しては、何をしでかすか分かったものではない」と思われるのは避けられません。マックKEMPOHある限り、日本人は外国からは信用されようがないのです。
 アメリカ合衆国は、バラバラの個人の寄り集まった共同体として、強大化しました。いわば、いきなり近代社会としてスタートした新造大国です。強国となり大国であることによって、国家を構成する全個人の自然権もまた、強く保護されてきています。
 自由な個人同士の間の自然権を合理的に両立させるには、「公的にウソをつくことを許さないこと」「契約を守ること」「法律を誰にも例外なく守らせること」は欠かせないでしょう。個人が個人として自由でいたければいたいほど、その人々は、民本的な手続きで制定される法律を大事に考える共同体に、忠誠をつくす義務があります。
 だからアメリカ合衆国において、政治家や事業家は本職の以前に「弁護士の精神」を持っていなければ周囲からは深く信用されず、人々は最も国旗を尊重し、地域での教会の地位が英国とも大陸ヨーロッパともくらべものにならず高いのです。
 このアメリカ合衆国の外交の独特な個性を感得するには、フランク・ケロッグ(1856~1937)といういいかげんな法律家と、彼がノーベル平和賞を取るきっかけになった「パリ不戦条約」を振り返ることが、非常に参考になりましょう。
 ケロッグはミネソタの田舎で法律を独学し、州の司法試験に合格。地方検事からキャリアをスタートし、1904年からセオドア・ローズヴェルト政権の反トラスト訴訟を手伝って名を売り、1912年に上院議員となりました。
 共和党員でありながらウッドロー・ウィルソン支持であり、ベルサイユ条約にも国際連盟にも賛成です。しかし選挙で負けたため、上院議員は一期かぎりで終わりました。
 クーリッヂ大統領は1925年にこのケロッグを国務長官に抜擢します。
 ケロッグの最初の仕事は、シナにおける排外暴動への対応でした。全米の田舎町からシナに多数の宣教師を派遣していたプロテスタント教会は、蒋介石の革命外交路線を支持するよう、米政府に求めていました。
 1926年、シナの国民政府は、九か国条約の参加国の中で最も報復力の弱そうなベルギーとの条約を一方的に破棄しました。列強がもしこれを黙認するならば、シナはどんな条約も破ることができるという悪しき前例が生じます。そこでシナ駐在のアメリカ公使(当時のシナは「大国」ではないのでどの国も大使館をおいていない)だったマクマリーは、ケロッグ長官に注意をうながします。
 だが東洋に関する知識ゼロなケロッグは、宣教師と教会の世論に媚び、条約を軽視し、シナを支持する声明を出してしまいます。ベルギーは国際常設法廷に提訴しましたが、シナが出廷にすら応じなかったことはいうまでもありません。
 国民党は続いて1927年、揚子江を大型砲艦が遡航できぬ季節を選び、漢口と九江のイギリス租界に軍隊を乱入させ、強行接収をはかりました。またもや米国の教会はこれに声援を送り、本国の下院も、米国は治外法権を一方的に放棄せよという決議案を審議しはじめるのです。
 アメリカの場当たり的外交に危機感を抱いたのが、フランス外相のブリアンです。
 ブリアンは、米国の第一次大戦参戦10周年にあたる1927年に公開書状をケロッグ宛てに発し、仏米二国間の対独集団安保体制を提案しました。
 ケロッグは、国是たる孤立主義には逆えず、さりとて、「反対する」と返事をすれば、東部エリート層に多い「国際派」勢力から批判されてしまいそうでした。
 そこで、米国内で「戦争の違法化」というスローガンがブームとなっていたのに着目し、「戦争を国家政策の道具としては放棄(renouncing)する」という主旨の多国間条約を、ブリアンに逆提案します。
 国務省は、この条約を日本(1928年6月に張作霖を爆殺したばかり)やドイツにのませることに大きい意義があると考え、熱心に働きました。
 国際連盟の五大理事国の一員として、すでに不戦条約に類似した連盟の規約に賛同している日本は、ケロッグの呼びかけを拒絶できません。
 これが「戦争ノ抛棄ニ関スル条約」(パリ不戦条約)で、1928年8月27日に日本など11か国が調印しました。その時点ではシナとソ連は入っていません。条約は1929年7月24日から発効することになっていました。
 米国では、条約を批准するか否かは、上院が決めます。上院は、<条約がアメリカの自衛権を害しないこと、自衛戦争かどうかを判断できるのは各国の意思のみであること、またこの条約によってアメリカが違反国に対する制裁を自動的に求められることはないこと>を確認して、承認しました。
 イギリスも、スエズ運河などを念頭に置き、次のような留保を表明しています。「ケロッグ氏は自衛権が譲り得ないものであると認めた。世界には、英国の安全のために特別で死活的な利益を構成する諸地域がある。これらの地域を攻撃から守ることはイギリスの自衛である」。
 不戦条約が発効するまでに、シナやソ連など31か国も、ワシントンに「確定的な忠実な支持表明の委任状(instruments of definitive adherence)」を、各国内で批准の上、寄託し、これらの国々は1929年7月24日付けで、不戦条約の加盟国として扱われることになりました。
 1929年にケロッグからこの不戦条約の幹事役を引き継いだアメリカ国務長官が、スチムソンです。
 彼の就任早々、満州の張学良と極東ソ連軍は戦争を始めました。スチムソンはパリ条約幹事国としてこれを仲裁します。
 シナ革命外交への態度では、スチムソンはケロッグ以上に宥和的でした。好機と見て、蒋介石軍は1929年に天津のベルギー租界になだれ込みます。マクマリー公使は、これこそ不戦条約違反だと考えたが、国務省の極東局長ホーンベックと上司のスティムソンはあくまでシナに味方し、ベルギー租界は8月31日に消滅します。
 スチムソンはケロッグよりははるかに日本を知っており、日本政府の面子にはずいぶんと気を遣っています。しかし1931年からの日本の満州事変は、まさに自分の顔に泥を塗ったものであると、翌年末までに認識をしました。さんざん気を遣っただけに、日本陸軍の見せる行動がいっそう不愉快でした。スチムソンはのちに陸軍長官(国防長官)となって、キッチリと、このときの報復を成し遂げるのです(カイロ宣言およびポツダム宣言および原爆および東京裁判)。
 東京裁判で木戸幸一などの弁護についたウィリアム・ローガンは、1948年3月10日の市ヶ谷法廷で、かつて不戦条約の上院での批准審議の折に、ケロッグ本人が<経済封鎖は戦争行為だ>と答えている記録を引き、真珠湾攻撃は自衛だったと強弁しました。これなどは露骨な詭弁でしょう。
 米国人にとって封鎖とは、南北戦争のときに北部海軍が南部の大西洋岸を哨戒し、港に出入りしようとするすべての商船を拿捕・撃沈しようとしたような行動を指します。真珠湾攻撃以前の米国の対日石油禁輸は、軍艦による日本の封鎖ではありませんでした。オランダとイギリスが石油を日本に売らなかったのは、日本が両国と交戦中のドイツの同盟国であるのですから、むしろ当然でしょう。国際連盟規約も、パリ不戦条約も、禁輸が戦争行為だとはしていません。
 支那事変中のアメリカは中立ではなかった、と唱える論者もいます。たとえば東京裁判のパル判事は、アメリカは真珠湾攻撃のはるか前から、武力紛争の一方の当事国(シナ)に武器・軍需品を積み出し、一方(日本)に対しては禁じていたから、すでに戦争の当事国だろうと意見書にしたためています。これも、いいがかりでしょう。
 アメリカは1938年以後も日本に戦略物資たる石油を売り続けています。全面禁輸したのは南部仏印進駐に対する経済制裁なのです。南部仏印進駐は、日本がアメリカにお願いして始まった日米交渉中の暴挙で、しかもアメリカの警告を無視して実行されました。アメリカが怒るのは当然でしょう。
 支那事変は日支のどちらも宣戦布告しておらず、したがって法的には戦争ではなかったのですから、米国メーカーがシナに武器を売ってもなんの問題もありません。中立には好意的なものもそうでないものもあり、後者を戦争行為といったら世の中に中立はなくなります。日本がシナに宣戦布告すれば、米国も表向きはシナに武器が売れなくなったのですが、米国製石油欲しさにそれをしなかったのは日本なのです。フライングタイガースは日本を空爆したわけではありません。日本の特務機関は実際に軍閥間騒動を指揮しています。
 FDRが1941年12月8日の連邦議会で日本に宣戦布告したとき、<日本政府は偽りの声明や平和維持の希望を表明して、米国を念入りにあざむこうとした>と述べています。日米交渉中の日本外務省の態度は、まさしくその通りだったでしょう。事前に「貴国のこの行為は正義に反し、わが国益に致命的に有害だからやめろ。やめないのなら、わが国は自衛の行動を起こさざるをえない」と、要求および警告を伝えたでしょうか?
 シナの革命外交への肩入れに関して米国の態度は不法で不正義でした。が、真珠湾奇襲の作法は明白に日本側の「侵略」なのです。あれを自衛といいつのれば、日本はシナと同列のレベルに落ちることになるだけです。
 寺島健は条約派の予備海軍中将で、東条内閣の逓相でしたが、彼の伝記の中に逓信省の文官の証言があって、昭和16年11月の北海道で無線をモニターしていたら日本海軍が北で作戦を起こすためか電波封止に入ったことが分かり、北方といったら相手はアメリカしかないので戦争を予期したと見えます。つまり南雲艦隊の単冠湾への集結と出撃などは、電波の世界ではバレバレだったのです。ハルノートは単冠湾出撃の直後に作成されました。すべては見張られ、海軍省の電話も盗聴されていたのです。
 ですから真珠湾攻撃をアメリカが予期していたのも何も驚くことのない、あたりまえの話なのですけれども、艦隊の出撃と実際の攻撃行動との間にはなお天地の開きがあり、外交官が自国艦隊の出動を知っていながらそれを交渉での立場の補強に役に立てるのでなしに、その逆に、軍隊が外交官を抱きこんで嘘を演技させて奇襲を試みたという事実が、アメリカを激怒させたのです。
 米国は、第一次大戦以降、一国で防衛が成り立つことが確実に見えた唯一の国でした。
 しかし、遠い将来を考えたとき、もしも全ユーラシアがアメリカの敵に回るような事態を座視すれば、そこから中南米やカナダにも反米工作の手が伸ばされるかもしれないと、一応懸念されます。なにしろ、全ユーラシアの資源と人口をあわせれば、それはもちろん米国より巨大だからです。
 そこで、ユーラシア大陸内、あるいはその辺縁に、味方を確保しておくのが米国にとっては長期の保険になるのです。すなわちそれが第二次大戦の米英同盟、米ソ同盟、米支同盟です。また戦後の、米英同盟、米独同盟、米日同盟も同じです。
 米英の海軍力では戦前のドイツを倒すことはできず、どうしてもソ連の陸軍力に頼る必要がありました。同様、米英の海空軍力では戦後のソ連を倒すことはできず、どうしても西ドイツに再軍備してもらう必要がありました。
 また、日本の経済ポテンシャルをソ連や中共に奪わせるわけにもいきませんでした。その日本が自分でGNPにふさわしい軍事力を持ちたくないというのであれば、アジアでのソ連の進出を封じ込めるため、赤色シナと手を結ぶのも、アメリカにとって安上がりな一法でした。
 かくのごとく現在では、単独防衛を現実的な国是にできる国は、地球上にはありません。集団安保はすべての国家の自然権です。
 1970年代後半から1980年代にかけ、米ソ冷戦の終末段階(ナヴスターGPS衛星群+トライデントSLBMによる米国の対ソ戦略核バランス優位の確定の流れと、それに抵抗するソ連最後の宇宙軍拡のあがき)を意識することすらもなく、マックKEMPOHに自己肯定をされた我が日本の腰抜け町人たちは、「趣味に生きる人生」を捜索します。日米経済摩擦は、統制経済を愛する日本の官僚の「身内を裏切るな」の儒教ビヘイビアが米人から反発されたために険悪化しました。
 1994年の半島危機と、「10.9」以後の国会論議で、米国指導層の「侮日」はいっそう深まったでしょう。現在のイラクでの苦戦と、シナ政府の宣伝の狡猾さを考えれば、沖縄駐留の米海兵隊が、シナ軍に対して用いられるような可能性はほとんどあり得ません。逆に本国での侮日の気分を受けた在沖の海兵隊員が、平時の日本国内でまた騒ぎを起こさないともかぎりません。政府は米海兵隊にはさっさとお引き取りを願っていいでしょう。