わたしは中川氏には興味は無いのですが「レギュラス」という単語に反応しました。
思わず昭和61年の国会の速記録をネットで検索しちゃいました。ついでに大出俊が横須賀と原潜の話をとりあげたもっと古い議事録もヒットしたので読みふけってしまいました。
はじめに雑感を申しますが、インターネットは間違いなく有権者が国会の議論をチェックし易くしてくれました。誰がいつ阿呆な発言をしていたか、丸わかりです。過去の速記録がぜんぶテキストデータになっていて、その記録が永久に曝され続けるのは結構なことです。入力の手間暇はたいへんだと思いますが、タイプミスもほとんどなし。
しかし昭和61年にもくだらない国会をしていました。当時の社・共は、日本人が日本国内ではアクセスしにくい米国内の半公開資料をとりよせて騒いでいただけだ。いまならネットでヒキコモリでも取って来る、そのレベルの秘度の資料にすぎません。
さいきんの野党には、レアな米軍資料をふりかざして閣僚から言質を取ろうと迫る議員がいないな……と思っていたら、もともと大した調査はしていなかったのですよ。「ネットが無い」という昔の情報環境の中で、彼らのフツーの調査が、日本の土人には際立って見えただけだ。
そして、取ろうとしている言質がじつにつまらぬもので、シナ・ソ連のエージェントもどきの反日的な動機が、有権者から本能的に好感されなくなるのも、時間の問題だったんでしょう。
大出俊氏が横須賀と原潜の話を国会で最初にしたのが、昭和41年5月31日の内閣委員会です。これがたいへん面白い。
シナが核実験してから2年経っていません。勝負どころですよ。防衛庁長官は、根が「反シナ」と伝わってくる松野籟三。
官僚のくせに政治家より威張っていた旧内務省の海原治を松野は左遷したんですが、あとで官僚から仇を取られてスキャンダルにハメられて失脚しています(失脚してなきゃ、首相の目もあった)。その原因が分かる。隙があるんですよ。海原らキレる官僚とはぜんぜん肌合いが違うんだ。好漢なのだが……。
この時代の国会で原子力の勉強をしていない。ミサイルの勉強もしていない。だから官僚に代弁してもらうしかない。野党の方が勉強しているから、下僚としたら、国会でなんだか頼もしくないように見えてしまうわけです。シナが日本に届く核ミサイルを持つ年ですぜ、昭和41年言うたらね。これでは下僚が海原についてしまうよ。
好漢惜しむべしですよ。あたら「反支」の人材をうしなってしまった。海原がこの時点ですでに「天皇」と呼ばれていたことも大出の発言で確かめられる。面白い。
楢崎弥之助がここで言っている。〈もし防衛のためなら核兵器も憲法違反ではない。政策上それをしないというだけ〉という政府見解がすでにあることをね。いまの中川さんは大昔からある話をただ再確認しているだけです。
シナの原爆に対抗して、この時期、米軍は、佐世保と横須賀に米空母や原潜を寄港させようとしていた。それによって、日本はシナに対抗して核武装する必要はない、と伝えたいわけです。日本政府はそれに乗った。乗るしかない。マック偽KEMPOH下の経済成長下、「自衛隊をもっと増強せよ」という日本の有権者は19%しかいなかった。ところが社・共は、日本独自の核武装にも、核を積んだ米艦の寄港にも、どちらにも反対する、というわけです。だったら日本はシナとソ連の奴隷になれっていう主張だ。こんな野党が支持されていた。マック偽KEMPOHの害毒は日本人の理性をすっかり麻痺させました。これほど効いた毒は、日本開闢いらい、無いでしょう。
大出の寄港反対の口実が、スレッシャー級攻撃原潜にサブロックが積まれているというのです。まだ前防衛庁長官の小泉(父)が地元横須賀で生きていた頃でした。大出の選挙区は隣の横浜で、ノース・ピアと相模原の間の物資輸送はぜんぶ把握しているし、横須賀にも詳しいわけです。「核アレルギー」という言葉は米国の雑誌で使われた言葉だとも分かる。
昭和41年国会では、『陸奥』の艦長だった保科善四郎も現役議員だったんですよ。「自主防衛」と「自力防衛」は違う。「自主防衛は、孤立防衛ではない」――という話をこの時点でもう確認していた。平成になってもまだこの違いは認知されていませんからね。日本の「記録環境」「記憶構造」がおかしいんですよ。痴呆老人がおんなじことを何度も何度も聞くようなもんでね。だからわたしが「図書館、図書館」と言うとった意味もわかって貰えますか。
さて、大出レギュラス発言の初登場は昭和59年2月28日の衆院予算委員会です。1958-2の米国資料をもちだしまして、ターボジェット推進の音速ミサイルである「レギュラスⅠ」には核弾頭がつけられ、しかも潜水艦×2、巡洋艦×4、フォレスタル級の全空母(10隻)に積まれてすでに海に出ていると書いてあると。
またその後の資料によればレギュラス搭載潜水艦は5隻に増えており、またレギュラスを積んだ米海軍艦艇のデタレント(抑止)ミッションは1960-3-12に開始されて1963-12まで9回実施されている。ところがすでに巡洋艦『ロサンゼルス』は1961年に神戸に寄港している。また第4回目のミッションは横須賀を使っている。問題じゃないか――というわけです。昭和36年のえらい古い話を昭和59年にしている。
1964年以前の「抑止」はすべて対ソ用です。ミサイル・ギャップが信じられていた。
で、ようやく肝腎の昭和61年2月8日衆院予算委員会の速記を見る。
ここで大出氏はさいきんロサンゼルス型原潜が核トマホークを積んで横須賀入港しているんじゃないかと問う。たとえば昭和60年だけでも7隻のロサンゼルス級攻撃型原潜が都合14度、入ってきている。
その質問の流れの中でまた昔話をするわけです。例の1960年代初期のデタレント・ミッションで『グラウラー』と『グレイバック』がレギュラスを積んでいた。「レギュラスII」を積んだ『グレイバック』は四回演習をやって、うち二回は横須賀で終わった。だから核兵器が寄港していると。三原則違反じゃないかと。政府は米国に問い質せよ、と。
また昭和39年にはすでに原潜にサブロックが積まれているはずで、それは日本に寄港していると。
これを中川議員は当選して最初の予算委員会だったのでよく覚えていると今度の『voice』で書いていらっしゃる次第です。としますと、おなじ引用をするのなら、大出質問の「三十九年以来……」の箇所ではなくて、もっと古い年号に言及した箇所の方が、より趣旨に適うのかもしれません。中川氏のスタッフは案外、親分に粗いサポートしかしてないんじゃないか?
じつはこの日を含めて後続のかなりの審議がトマホークでもりあがりました。というのは戦艦『ニュージャージー』が核トマホークを積んで横浜にやってくるという話があったわけです。
とうじの背景を概説しますと、レーガン政権はおびただしい水上艦と潜水艦に核トマホークを載せて極東海域を遊弋させつつあった。ソ連のシステムでは軍艦にやたらに核兵器は積めないのです。人とモノの管理がたいへんなので。だから対抗できなかった。
対抗できないのでどうしたかというと、西側のすべての反政府集団に「反核」運動を促していた。
中川氏と麻生氏はどちらも核武装論者なんかじゃあるめえと疑っていたら、中川氏ご本人は『voice』12月号でこう書いています。
いわく「まず現在の日本国憲法を前提に、『持たず、作らず、持ち込ませず』を守り、そのうえで何ができるかを考えることだ。そのうえで憲法を変える必要があれば、対応すればよい。しかし、それは今後の国民的議論が必要だ。私は『核武装せよ』といっているわけではない」。
……これのどこが核武装論?
今回の『voice』の記事から匂ってきますのは、従米一辺倒の下僚スタッフによる熱心な入れ知恵が中川氏に対してはなされている、という印象だけのように兵頭は思います。
最新の『中央公論』には麻生外相が何か寄稿しているようなのでこれもチェックしたいところですが、当地北海道では月刊誌の店頭売りが内地より数日遅れますので、まだ書店には出掛けずにおります。中公は拙宅に送られてこないんですよ。しかたないので、来週の月曜あたり、買ってこようと思います。