やはり高校は要らなかった。

 かねてわたくしの持論でありました「日本に高校は要らない」が、今日の報道で立証されたようで、嬉しいです。
「中卒の資格で大学に進学できるように制度を変えるべきなのだ」ともわたくしは複数の媒体で主張して参りましたが、現実がとっくにそうなっていたのだとは驚きです。もう、中卒の資格だけで東大に進んで、高級国家公務員になっちゃっている方々も、現に複数いるのでしょう。(さらに官庁から天下りしている人もいたりしてネ。)
 制度は、もう存分に破壊された、と言えるでしょう。
 法の下の平等を唱えるとすれば、大混乱ですよね。
 また、来年から単位チェックを厳しくしても、すぐに元に戻るんじゃないでしょうか。ごまかせたモン勝ちのようですからね。
 好い機会ですから、現実に無視されている制度を、法制上も、廃止することですよ。「マック憲法」と同じですわな。
 わたしは高卒で就職してそれから大学に進みました。その受験のときに内申書をとりにいって改めて理解したことがある。「就職組」の内申の点数は、「進学組」のために融通される、という長年の慣行があることです。つまり、「進学しません」と申告した者は、素行が普通であっても、そこらの悪ガキかノータリンのような内申点が付けられてしまう。進学組の内申評価は、その分だけ、水増しです。馬鹿々々しいものだと思いました。
 自衛隊の通信隊員初期課程の暗号翻訳で「非算術計算」をするスピードでは、わたしは他の新兵より遅かったことを記憶しています。周りのほとんども高卒の人たちです。
 しかし数字の羅列を出したあと、電報紙に日本語の元の文面を再現する作業ではわたしは大卒自衛官よりも速かった。
 このあたりで気づいたのです。日本の田舎の高卒や高校中退者の中に、大卒者より優秀な者がいくらでもいるのだと。逆に、大卒が真のエリートであるのかどうかは、80年代前半の時点で、もう疑わしくなっていました。
 素養があるのに家庭の経済的な事情で大学に進学できなかった子弟は、もしその高校の学資を節約することができたなら、さっさと大学に進んで、そこで特定の才能を伸ばせたかもしれない……と思いませんか?
 15歳から18歳は、鍛えようによっては、人間の頭脳と体力が飛躍的に高性能化する時期でしょう。ところがその貴重な時期に、日本社会は、「高校」というムダ/ムリ/ムラの三拍子揃った欠陥だらけの制度を押し付けて、才能の芽を<効率的に>摘んでいるように見えます。
 だいたい、この3年間に目一杯読書をすれば、たぶん誰でもひとかどの専門家になれるはずなのです。ところが、興味のない科目を暗記させられたら、どうなるでしょうか?
 とりかえしのつかないムダ使いです。時間と才能とカネと自己実現のチャンスの。そして国家は肝心な人材が供給されずに、生き残り難くなってしまうでしょう。
 日本の旧制高校は、つめこみ教育の可能性を世界に示したと思います。しかし同時に、その限界も示した。マック憲法なんていう偽憲法、自由放棄の誓約書を押し付けられて平然としていたのは、やはり旧制高校のエリートたちでした。
 むしろ旧学制の世話にはなっていない、高橋是清、井上毅といった世代の方が、「譲ってはいけない一線」はどこかが、自得されていたのではないでしょうか?
 昨日、韓国MBCテレビの取材を受けました。そこでインタビュアーの方と対話していて思った。この人は日本以上の受験競争社会を勝ち抜き、アメリカ留学もし、報道番組のスタッフとなって、優秀な若者だ。しかし、軍事のこと、否その前に、「自由」はどうやって守られるのかについては、深く考えたことがなさそうだ──と。
 隣の国が核実験しているのに、そんなエリートばかりだったら、困るでしょうよ。
 高校の教諭が無気力者であったため、中学まで好きであったその科目が急に嫌いになった──。これも、よく聞く話です。無気力授業は全国規模で強制展開されている。これまた、とりかえしのつかない、国家的な才能抹殺制度じゃないですか。
 さいわいなことに、チャンネル桜の水島さんは、世界中の最もすぐれた名物教諭の高校の授業をビデオで集積して、それをネットで提供するという事業を考えておられるようです。早く実現して欲しいですね。ますますこれで高校なんて要らなくなるはずです。
 減少モードに入ったとはいえ、日本には1億2000万人以上の人口があります。今日では、一握りのエリートが活動してくれたら、一国の福祉をまかなえるくらいの価値生産をすることは可能になっています。経済が効率化しているのです。すべての先進国で経済が効率化している。ここで、「効率的な労働者」を量産する教育なんかしていたら、日本はすぐに競争力を失うに決まっているでしょう。天才が開花するかもしれない15歳からの3年間、日本中で全く同じ指導要領の教育などさせてはいけない。それは、教わる側はもちろん、教える側にとっても、非生産的です。高校は全廃すべきです。