帰ってみれば、こは、いかに……!?

 毎年3月恒例の、防衛省大臣官房でロジ設定をしてくれる自衛隊視察ツアー。今年は、いつものオピニオンリーダーの方々(加藤健二郎氏、浜谷英博氏、他)だけではなく、「防衛政策懇談会」の方々(植田隆子氏、梅本哲也氏、納家政嗣氏、他)ともご一緒に、鹿屋→築城→新田原の3箇所を廻ってきました。
 39枚撮り×2本半のバカチョンの現像が終わったら、また特設コーナーでご紹介します。2週間ほどお待ちください。
 ちなみに「にゅうた」にあったF-15のフライトシミュレータでは、恥ずかしながら、20年くらい前のPC-98用ゲームの「記憶」が蘇った。しかし、オタクでない悲しさ、F-15の場合は、旋回中に上げ舵など当ててやらなくとも、コンピュータ補正によって高度低下することはなく、ちょっと速力を足してやればよいのだという事実も知らず、水平旋回が、緩徐に速度低下するスクリュー上昇旋回となってしまった。これでは敵ミサイルの完全なカモだし、失速への坂道だ。う~ん、あの20年前のゲームは、何だったのか? (スロットルをアフターバーナーに入れるのも戻すのも、ちょっと力がいるのだとも学びました。)
 ところで、マイク・ホンダ議員の「なりすまし日系人疑惑」が、まだ解明されていないのには、南九州から帰ってきて、あきれたぜ。この疑惑は、小生の知る限りでは「二階堂コム」に投稿されたのが、かなり早かった。いったい、あれから何週間経っているのだ?
 外務省にやる気があれば、プライベートアイズなどを雇い、ホンダ氏の過去を洗うことは苦も無くできるはずである。しかし、外務省にはその気はない。
 なぜか?
 『東京裁判の謎を解く』を買って読んでくれている良い子の皆さんならば、もうお分かりだろう。
 もともと外務省の外交官のステイタスは、明治の条約改正運動の悲願をなしとげてくれる、日本人の代表だと思われていたゆえに、高かったのだ。しかし1941に彼らは、そのステイタスをみずから棄却し去った。対米奇襲開戦しか頭に無い帝国海軍に積極協力して、日本の天皇が列国に対して公約していた1928批准のパリ不戦条約にあきらかに違反する奇襲開戦の作法を、山本五十六や永野といっしょにプランニングし、且つ、実行したのだ。五箇条の御誓文に謳われた「天地の公道」を、踏みにじったのである。
 だが東京裁判は、この日本外務省による条約破りという犯罪を糾明できなかった。以後、戦後外務省の筆頭の業務は、この「東京裁判であいまいにされた日本外務省の条約破りの責任」を永久にあいまいなままにし続けること――になったのだ。
 まさにこれがために、対米宣伝に際し、日本はシナには絶対に勝ち得なくなってしまっているのである。外務省はこの脛の傷を詮索されたくないために、蒋介石の侵略についてまったく非難が打てないのだ。反論を封ずるしかないのである。
 繰り返す。
 日本外務省が1941-12におけるパリ不戦条約違反の非を認めず、パールハーバー攻撃は「侵略」であって自衛ではありませんでしたとも絶対に認めないために、蒋介石の1937-8上海総攻撃について、日本側は、これを「蒋介石の侵略であり、日本の自衛だった」と言い得ない。シナ人による逆の宣伝(支那事変は日本の侵略であり、シナの自衛戦争だった)を、大々的に許してしまうのである。
 事実は逆だった。支那事変こそ日本の自衛戦争であった。パールハーバーは日本の侵略だった。自衛であればこそ、与えたコラテラル・ダメージも情状が斟酌される。それについては、イラク戦争以後の米人には、まったく説明は要らないのである。
 しかし外務省がパールハーバーを、外務省も一枚噛んだ侵略プロットだったと認めない限り、支那事変につき、これは蒋介石の侵略ではないかと、日本人は言いにくい。そして、残念ながら、侵略者が与えたコラテラル・ダメージを許す者などどこにも居やしないのだ。
 シナ人は、日本外務省の急所・弱点に、気付いている。日本外務省が1941パールハーバーでの犯罪加担を認めない限り、シナ人は、靖国問題と東京裁判を、日本攻撃の永久のカードにできる。それに外務省は反撃しない。官僚組織のステイタス防衛のために、そう、決めているのだ。
 日本の「保守」は、今後、二つの認識を改めなければならない。一つは、パールハーバーは日本外務省が共同正犯として加担した侵略だったと素直に認めること。これを認めないと「戦犯」がらみの対米宣伝はすべてシナにいいようにやられてしまう。
 もうひとつは、M23「教育勅語」はM1「五箇条の御誓文」に反するものであり、昭和天皇は1941元旦詔書で教育勅語も婉曲に破棄されたのだと認めること。これすら認められないようなオツムでは、朝鮮人の増長は止められないし、慰安婦問題などでいつまでも振り廻されることになるのも当然なのだ。
 教育勅語は、〈個人と個人、国家と国家は対等である〉とする福沢の御誓文解釈を潰すための工作文書であった。身内に近いものほど大切であるとし、天皇に近い者が、天皇から遠い者を指導すべきであり、それに下々は従えというのだ。こんなものは維新精神ではない! このくだらない文書が満洲事変以降、どうして小学校で強調され、他方で「五箇条の御誓文」は小学校で押しのけられてしまったか、ちょっと考えれば分かることだろう。
 平河町で奥山さんという方が、国会議員の幾人かを招いては、定期的に研究会を開いておられる。愚生も、千葉に引っ越す前までは、何度か顔を出させてもらったことがあります。最近の様子はどうなのかと思っていたら、常連の加藤健二郎さんからこんな話を聞いた。あるときその研究会で、鈴木宗男さんと西村信吾さんと河村さんと居合わせたのだが、鈴木氏のオーラは圧倒的であり、西村氏がいつになく神妙にしていたと。
 ちなみに鈴木氏は大手術をうけたあとに東京マラソンをフルに走り、4時間と少しのタイムだったが、これは生半可なジョガーなどには絶対に出せないレベルであると。またある人いわく、鈴木氏はベンチプレス100kgであると。
 これなんですよ、選挙で勝つ人というのは。
 わたしは何を言いたいかというと、「維新政党・新風」の皆さんは、この、「前に出てくるオーラ」が、無いのです。ものの見事に、ないです。
 多くのフツーの有権者が、新風の党首や、その候補者に、直接面談したら、十中八九、「頼りない」というネガティブな印象を持ってしまうだろうと断言できます。
 もし「ドブ板選挙」を戦うとしたら、共産党にも負けるだろうと思います。
 ではどうしたら躍進できるか。その答えを見つけ出してくれたのが、「極右評論」でしょう。
 人のオリジナルのキャラクターは、一夜漬けの特訓をしたって、変えられません。だが、イメージは変えられるものです。ネットでバーチャルなイメージを作ればどうなるか。期待がふくらみますよね。たとえばポスターも顔写真なんかやめちゃって、アニメ絵にしたらいいんですよ。
 ところが、新風のネット対応体制は、現状では、お話にもならぬものです。先日、わたしは初めて、北海道の代表の先代さんについて、インターネットで検索してみた。そしたらウィキペディアが出てくるんですけど、内容は、たった2行ですよ。この人はすでに参院選に数回出ているのに、2行。ありえないでしょう?
 いったい、政党組織として、何をやっているのかと、唖然としました。
 次の話題。
 JALの機内誌に、おそらく北海道地方限定と思うが、地中熱を利用した温水暖房の広告が載っていた。水道水をまず土中に埋設した「U字管」を通して予熱し、さらに熱交換器で加熱して、床暖房にしようという発想だ。北海道にも蛙がいるが、かれらは凍らない地面の中で越冬する。つまり北海道では、地中の熱は、冬期は、外気よりもかなり高いのである。
 この広告を見ていてハッと気付いたのだが、あの「YouTube」は、「U-Tube」(=U字管)からの、シャレだったのねんのねんのねん。
 あと、「神心」というF-22もどきにつけたネーミングだが、愚生のおぼろげな記憶だと、宋学/朱子学系のシナ文に、出ていなかったか? つまり、三菱重工内の命名者は、たぶん「自由自在」といった意味をこめたのじゃないかと、勘ぐったのだが、まだ出典を確認するヒマがない(ツアーの途中で訊くのも忘れてもた)。どなたか、シナ学に詳しい方、ご教示ください。なお、空自の雑誌の『翼』の最新号に、この試験機体についての紹介記事が出ていましたが、やはりネーミングの説明はありませんでした。