絵のない解説文を提示します

 先週火曜日の午後に、近くのローソン店内のポストに投函した写真の束が、いまだに大阪の管理人氏のマンションには、配達されていないらしい。
 これは〈郵便事故〉だと考える方がよさそうですので、不本意ですが、皆様にはせめてキャプションだけでも読んでいただくことにしました。
 以下、【  】は、今回行方不明となってしまっています写真に付けた通し番号を表しております。皆様は、せいぜいキャプションから、その絵をご想像なさってください。
【未配達写真1】
 入間からC-1で高度7800mの飛行を続け、鹿屋へ(万一機体に機関砲で穴をあけられても、ヒマラヤ無酸素登頂と思えばいいわけだ)。与圧は1000mに合わせているので「差圧」はかなり大。おかげで、国内線のエアバスよりも耳は痛くなりません。
 いきなり余談ですが、なぜC-1をジェットにしたか、旧陸軍の参謀の自伝を読むと、よく分かるんですよ。彼らは、自前の移動手段で、他の官庁の誰よりも早く、連絡に行きたかったんです。高速参謀輸送機として考えていたに違いないと、最近は確信してます。
 さて写真は、海自のP-3Cの第一航空郡司令部です。なんとこの建物は昭和11年4月に海軍鹿屋航空隊が飛行場と同時に建設したもので、空から見ると「戦艦」に見えるデザインにしてあるそうです。またもう一棟の古い隊舎は、「空母」を模してあると。東シナ海の油田群の見張りは沖縄基地ではなく、この鹿屋基地の担当なんですが、詳しい話はオフレコにしといてくれと言われました。まあ、キッチリ「仕事」してますよ。
 P-3Cは以前は垂直尾翼に派手な部隊マークを描いていました。が、それじゃシナの潜水艦の潜望鏡からひと目みただけで日本側の発進基地がバレバレだろ、というわけで、いまではごく小さくなっとります。
 ちなみにシナ軍は、偵察機をあたかも民航機であるかのような塗装・マーキングにしてある、国際法違反精神マンマンな軍隊です。合成開口レーダーを積んだやつは、定石通り、どこに関心があるのか気取られないよう、日本の沿岸全部をなめて通っているそうです。
 北京から見ると、日本列島でいちばん気になるのは、山陰の島根県あたりでしょうね。ここにIRBMを置かれると、最も短い飛翔時間で北京に届きます。余談ですが、中立国には交戦国の領空侵犯を阻止する義務もありますから、もし巡航ミサイルを日本海から北京に発射すれば、韓国軍がそれを撃墜することになるでしょう。バリスティック・ミサイルじゃないと、ダメなんです。
 鹿屋の近くの東串良町には通信所があります。また錦江湾の東岸の福山町には、海自の開発隊群があり、潜水艦や魚雷を試験しています。「えびの」には潜水艦に指令を送る送信所があります。根占町には受信所があります。要するに鹿屋は対潜センターの一つだと理解ができるでしょう。
 鹿屋基地の航空燃料は、まず古江にタンカーで揚げて貯油し、そこから短い距離をローリーで運んでくる。この便利が良いのか悪いのか、沖縄米軍のKC-135が鹿屋に移転してくるのじゃないかと一時、噂されましたが、まずその目はなさそうでした。日本の基地で、米軍受け入れの余積を有しているのは、千歳だけでしょう。
【未配達写真2】~【未配達写真7】
 海自のヘリ・パイロットの訓練は、すべてこの鹿屋でOH-6を使ってやります。タッチ・アンド・ゴー(斜めにダイブし、接地はしないで、ぎりぎりホバーしてから、斜めに急上昇)を見ましたが、マークを向こう側に外してしまう訓練生が多いようでした。遠くからは見えないが、「バカヤロウ」と横の教官にはたかれているそうです。
 さて写真でご覧にいれますこの一連のディッチング・トレーナーは、全国でもここ鹿屋にしかない、海や湖に着水してブクブクと水底へ沈みゆく、しかも180度横転したり急角度に傾いたりしながらという天地無用なヘリのコクピットから、クルーが着衣のまま泳いで脱出する、その過酷な状況を何度でも容赦なく再現しちゃるという、掛け値なし〈命がけ〉の筐体マシーンで、NIPPI(日本飛行機株式会社)の謹製であります。
 警察や海保のクルーもここで年に一回くらいは溺死寸前の恐怖を満喫せねばならないらしい。ホントに脱出にモタついて水飲んで気絶して、プール内待機の海自ダイバーに救出される人がいるそうで、ヘリのクルーがカレンダーの上で最も精神的な重圧を感じている、「これさえなければ……」という悪夢の年中行事であると仰るのも、頷けます。ともかく、一年でいちばん血圧が上がるとか。
 手順ですが、まず両サイドの透明窓を、墜落途中の段階でブチ外す(あれ、外れるようになってたんですね)。そしてザンブと着水すると同時に、天井の大きなレバーをガクッと引き下げます。これが、エンジン緊急停止レバー。そして、ハーネスを外したときに天井(いまやアップサイドダウン)に落下しないように、片手で天井につっかい棒をし、片手で鼻をつまむ。このとき、酸素吸入チューブを口に咥える場合もあります。
 次がおそろしい! 海水(この施設は真水使用)が完全にコクピット内を満たし、視界を妨げる気泡が消えるまでの30秒間、その姿勢で息を止めたままひたすら待つのです。気泡が周りに充満しているうちは何も見えないですから、脱出はできぬというわけです。しかしその間にも、ヘリはどんどん真っ暗な海底へ沈降して行く。ダンナ、堪えられやすかい?
 脱出は着衣のままです(軍隊のヘリ用スーツは、急に脱ごうとしても到底脱げるものではないらしい)。個人用ゴムボートは先に水上に浮かんで膨らんでいるという想定です。これが見当たらなくとも、スーツには浮き袋もついていますが、それはまだ膨らませてはいけない。まず潜水のまま10mくらい機から泳いで離れてのち、水面に顔を出さないと、ローターで叩かれる危険があるわけです。
 機体の沈み方は、8パターンほど再現が可能で、そのすべてをマスターすれば、将来どんな事故に遭っても沈着に脱出できるそうです。ただし、対潜ヘリの場合、おそらくは、「気付いたときには海面に激突していた」というシチュエーションだろう、とのこと。海上ヘリの事故原因は、ローターの焼きつきなど機械原因のものは稀で、やはり、バーティゴーなど人的な原因がほとんどのようです。
 また面白いもので、水平線ではなく母艦の甲板を基準にしてしまって、艦と一緒になってヘリの空中機位を揺らしてしまう訓練生が必ず一定数あり、彼らは、海自のヘリのパイロットにはなれない、とのことでした。
 なお、このプール内には、訓練を実施するクルーの数だけ、潜水士が水中待機することになっています。
【未配達写真8】~【未配達写真10】
 鹿屋の史料館は、復元零戦(五二型)があるので有名ですが、知覧と違って館内撮影ができません。しかし今回は許可があったので、バカチョンで撮りまくった。遺憾ながら、そのフラッシュが非力すぎ、機体の写真は薄ボンヤリしとりましたので、割愛。機銃の写真を、ご堪能ください。
【未配達写真11】
 これがよく分からないんですよね。陶器製の代用爆弾……とは思うのですが、なぜ傘が付いているのか……。
 こういう戦中の珍しい代用兵器を所蔵している人は寄贈してくれ、というお話でした。
【未配達写真A】
 陸自の基地としてはコンパクト(キッカリ普通科1コ連隊)な、宮崎県の都城駐屯地の資料館です。比べると函館駐屯地は「1コ連隊 - 1コ中隊」なのに、もっと広々しとります。
 この建物はなんと、旧軍の聯隊司令部がそっくり使われとります。展示もシブく、これは貴重と思いました。ちなみに駐屯地の倉庫も木造で、メチャしぶ(何を恥ずかしがるのか、近寄らせてくれなかった)。『戦マ』時代に善通寺でこれとタイぐらいに古い木造倉庫を見た覚えがありますが、今はどうなっていますかなぁ……。
 さて、都城は上原元帥の出身地として有名なのですが、この資料館の歴代聯隊長の名前の中に荒木貞夫があった。う~む、そういう縁もあったのか。調べてみると、荒木が大佐になったのが昭和7年、歩23聯隊長だったのは昭和8年7月から10年4月までです。上原は昭和8年11月に老衰死。対ソ戦をやりたかったでしょうなぁ。
 この駐屯地からはイラクにも兵員が派遣されています。そのさい、住民の反対活動は皆無だったそうです。いい土地ですよ。出発前には高機動車の荷台をパレード仕様にして、市内を練り歩かせ、歓呼の声に送られたそうです。
【未配達写真B】
 軽装甲機動車の車内。路肩爆弾への対策から、このサイズも二回りくらい大きくしたいところでしょうが、空輸の限界もあるし、日本の地方都市の道路はほんとうに狭いですからねぇ……。都城は、陸自のなかではかなり早く、軽装甲機動車を完全充足させて貰った普通科連隊だったようです。運用試験を任せられたのかもしれません。
【未配達写真C】
 天井のフラップ・ドアの内側には、ウレタンフォームの分厚いクッション材が、貼り付けられていました。
【未配達写真D】【未配達写真D+】
 ちびヤンなどを通じて、すでに全国のマニアが多数の内部写真を撮っているでしょう。にもかかわらず、元雑誌記者の性、ついドアの厚みなどに着目してしまうのは、かなしい……。ちなみに、横のドアの窓は内側から開閉ができます。そこからも小火器で射撃ができるわけです。
 後部ドアは一見、乗員の出入り口風にも見えるのですけれども、後部シートの背もたれによって車内通行が前後遮断されており(背もたれの上を乗り越えるのは可能)、通常は荷室へのアクセス用にしかなりません。
【未配達写真E】【未配達写真F】
 「01ATM」です。ということは4、5年くらい前から部隊にあるのでしょうが、マニアをやめて久しい小生、実物を拝見したのは、これが初めてでした。このアイテムが、カールグスタフを更新しました。カールグスタフを持たされていた隊員が、これへの転換訓練を受けたわけです。では、まだ使えると思われるカールグスタフは、どこへ行ったのか? いけね、訊くの忘れた! あと、ロケランは?(w)
 カールグスタフは2人がコンビで、片割れが背中のコンテナに予備弾2~4発を入れて運搬したのですが、このATMにも予備弾はいちおうあるらしい。ただし、運用は1名です。
 つまり、ソ連の大機甲部隊が雲霞のように押し寄せることなどない――と、陸自は現実に目覚めたのでしょう。
 前後の八角ナットのようなものは発泡スチロールでした。実用時には、外して捨ててしまうんでしょう。
 まとめると、これって米軍に大昔からある「ドラゴン」がようやく陸自にも装備された、という解釈で宜しいでしょうか? なにぶん、武器マニアを卒業して久しいもンですから……。
 カールグスタフには時限爆発モードがあって、敵の塹壕の頭上アタックにも使えたのですが、いまやそんな機能は、想像しますに、充実した81ミリ迫と120ミリ重迫のVTモードにさせれば済むだろ、という考え方なのでしょう。
【未配達写真G】
 「もしもし、道をお尋ねしたいのですが……」
 ――こんなスナイパーが各普通科中隊に1名、配備されるようになるとは、かつて誰が想像をしたであろうか。選ばれているのは最も射撃がうまい上級陸曹(なんと裸眼視力2.0を維持! ぜったいにPCはやってないね)で、双眼鏡をもった観測手と、二人一組で、わが中隊長を狙ってくる敵の狙撃者を、物陰から返り討ちにして行くのだそうだ。この中隊スナイパーの練成は、富士演習場に全国から集めてやっている。
 官給のカモフラは、地形地物にひっかかるので、隊員は、自分で引っかからないやつを自作していると語っていた。とにかく地面にプローンの姿勢をとったまま、動かないで何時間もじっとしている商売だそうだ。
【未配達写真H】
 銃はレミントンのボルトアクション5連発、ただし最初の1発はチャンバー内だ。
 肩当を調節することができ、ボルトを後方に引いたときに、頬に触れるか触れないかという距離にアジャストしておく。ボルトは指の先だけで軽々とコックできるように、見受けられた。(狙撃担当の隊員は自分の狙撃銃の部品を決して他人には触らせたがらないという話だったので、遠慮した。)
 タマは7.62ミリNATO弾で、64式用のような減装薬ではない。つまり62式機関銃のタマなのか。消炎薬のような特殊なものではない、とのことでした。
 観測手は、とにかく横風を読む。陽炎で、分かるそうです。
 ポテンシャルとして1km先の狙撃が可能だそうですが、どうも、手ごたえが確実なのは、600mくらいまでらしいぞ。もちろん、劇画じゃないので人の眉間を狙ったりしない。「的」の大きさは、胴体サイズのようです。
【未配達写真イ】【未配達写真ロ】
 宮崎県の新田原基地です。「にゅうたばる」と正式に呼びます。略称「にゅうた」。新潟を「にいがた」と読むのに近いようです。基地内のPX食堂(民営)のカレーライスは300円で、「お代わり」もし放題でした。宮崎県は日本一物価が安いというのは、嘘じゃないっす。
 基地面積は、嘉手納の1/7、千歳の1/4です。しかし隊舎を増やす地積の余裕はぜんぜんなく、米軍もこの前に見に来て「こりゃアカン」と承知したそうです。だから沖縄からの移転はないでしょう。しかし築城よりは広いわけで、まあ、これからの自衛隊の最重要基地の一つです。「にゅうた」から戦闘機ですと65分で上海、30分で釜山です。
 「にゅうた」の一大特徴は、F-15のアグレッサー部隊がいることです。うまいパイロットが集められており、全国の戦闘機パイロットの空戦の相手となって、鍛えてやる。バカチョンの写真が悪くてすいませんが、各F-15の迷彩塗装は、全部色を違えてあります。これは、訓練生が、空戦でどの機を「撃墜」したのか、確かめやすくするためだそうです。
 空自のF-15パイロットは、全員が「にゅうた」で教育されます。うち、英語の適性のある半数が、米国に行ってしごかれます。
 「にゅうた」のF-4は、ストライカー任務です。まずF-2で教育を受けてから、F-4に転換するそうです。
 F-4の離陸を見ていますと、「起動車」(4輪トラックの荷台に小さいガスタービンが載っていて、そこから空気ダクトでエアーを取り出し、戦闘機のエンジンをスタートさせる)によるエンジン始動はごく短時間で完了しますのに、それからタキシングが始まるまでが、やや待たせます。これは、ジャイロがレーザーリング式でない旧式であるため、それを安定させるまでに5分くらいかかってしまうからだそうです。そこで素朴な疑問。空自の沖縄基地はF-4にスクランブルをまださせているが、「5分待機」をどうやって実現してるんだ???
 もし、「5分待機」指定のAチーム2機が、スクランブルにもたついてしまった場合は、「1時間待機」のBチーム2機が、代わりに飛び出すそうです。というのは、調子の悪いパイロットや機体をムリに上げても、絶対にロクなことにならぬからだそうです。
 F-15乗りなら、裸眼視力1.2~1.5を維持したいところでしょうが、現実はそうもいかないので、「裸眼0.2で眼鏡」というパイロットも今はOKだそうです。そして興味深いこととして、眼鏡によって視力1.5になっているパイロットの方が、裸眼で1.5のパイロットよりも、敵機を先に発見するそうです。
 おそらくその理由は、誰の目にも加齢とともに「乱視」の要素が入っているせいではないでしょうか? 虚空の中の微小な一点(ドット)を見極めるには、「乱視」が矯正されている方が、有利なのでしょう。
 ということは、裸眼視力が良いパイロットも、今後は、乱視矯正ゴーグルを装着した方が、良いのでしょうね。パイロット用にそういうゴーグルを、開発すべきでしょう。シナ空軍のSu-27の錬度はロシア空軍からみてもまだ酷いものだそうですけれども、ステルス設計のUAVくらいなら、飛ばしてきかねませんからねぇ。
 さて、戦闘機パイロットは、経済的に、割りに合うか? これは、絶対に合わないと断言できます。毎日出る航空加給食くらいでは、とても、とても……。
 たとえばF-16/F-2のシートは後傾していますけど、パイロットは戦闘中はゆったりとリクライニング姿勢などとってはいないわけです。前がよく見えませんからね。あれは、強烈なGがかかって、どうしても体が耐えられないときに、背中が楽におしつけられる、というだけなのです。戦闘機パイロットのほとんどが、首か、腰に慢性の痛みを抱えています。
 なにより、Gのいちばんおそろしいダメージは、毛細血管の破壊にあらわれる。空戦機動訓練のあとの操縦士の腕の内側には、蕎麦粉のような斑点が出るそうです。毛細血管が切れて内出血した痕跡です。まあ、腕くらいなら、野球の投手でも、毛細血管がボロボロになりますよ。それでどんなプロ投手でも、「なか三日」とか「なか四日」で毛細血管を復活させて再登板している次第ですが、戦闘機乗りの場合、Gがかかるのは、腕だけじゃないのです。全身の中で最も、血圧による疲労を受けやすい、脳内の毛細血管もまた、間違いなく痛めつけられてしまうのです。
 脳血管の障害で早死にしている「元戦闘機乗り」は、統計こそ公表されていませんが、かなり高率だろうとわたしは想像します。そこで兵頭は日本政府に提案する。このように文字通りに自分の生命を削ってパブリックにサービスしている戦闘機パイロットや海自ダイバーなどの遺家族には、特別な手当てがあって然るべきだ。特に子供の学資は政府が完全にみてやるべきではないのか。さもなきゃ、なり手がいなくなりますよ。
 あるいは航空関係の特殊法人が、こうした支援を担当してもバチは当たらないと思いますよ。
 この平時の訓練とは逆に、ホンモノの戦争の際には、軍用機パイロットの死亡率は、第二次大戦中とはまったく比較にならず、低くなるはずです。今日のミサイルや機関砲は、機体にロック・オンするので、パイロットを狙ってくるのではありませんからね。機体は失われるけれども、パイロットは生還する、という可能性が高いでしょう。
 そこで、昔とは航空戦備の考え方も、変えなくてはなりますまい。すなわち、パイロットの数よりも、機体の数を増やしておく必要があるでしょう。
 地上勤務員は、これとは逆です。旧軍の砲兵部隊の馬の係りになった兵隊は、朝は誰よりも早く起きなければならず、夜も、誰よりも遅くでないと休めませんでした(だから「竹橋事件」という暴動まで起きた)。今日の空自の地上勤務員は、この「馬の係り」と、まったく同じようでした。飛行機が離陸する何時間も前から滑走路上にいなければならず、飛行機が着陸してから何時間もまた、仕事が待っているわけです。パイロットは時間外労働はないが、地上勤務員には休むヒマがない。「1日10時間労働」「1日12時間労働」というのがデフォルトになってしまっています(自衛官に労基法は適用されない)。人員増が必要でしょう。
 それと、燃料。単年度予算で燃料を調達している今の慣行では、突如、石油が値上がりすれば、その年の訓練は、半分もできなくなるという可能性が、あるわけです。これはやはり、数年分をまとめてストックしておいて、時価の変動に関係なく、存分な訓練ができるよう、調達方式は格別に考えるべきでしょう。
 ちなみに日米空軍合同のコープノース演習は、日本側が米軍側の費用(毎回100人くらいが基地にくる)の半分以上も負担してやっているにもかかわらず、米国の財政が悪化すると、その年はあっさり中止になります。訓練も、カネ次第です。
 米空軍では、戦闘機よりも、むしろ爆撃機や攻撃機に、最も優秀な空中勤務者を配属させているそうです。パイロットの希望も、同様なのだそうです。これはやはり、有事には核弾頭を扱わせるためでしょうね。
 航空基地には必ずアレスティングワイヤーの設備があるので、F-15のような艦上使用があり得ない機体でも、テイルフックがあります。このワイヤーはいくつかのゴム玉で地面から浮かせておくのですが、そのゴム玉にフックがジャストミートしてしまえば、ワイヤーにはかからぬこともあるそうです。
 新田原の基地防空隊員(短SAMやVADS)は、釧路や根室から家族ごと移駐してきているのだそうで、びっくりしました。VADSのバルカン砲を正面からみると、真円ではなく楕円になっており、それでディスパージョンを適当に散らしているということを、いまさらながら、知りました。
【未配達写真ハ】
 新田原には、F-15用のシミュレータがあります。内部は撮影禁止でしたので、加藤健二郎さんに撮ってもらった、この写真で我慢してください。左後方のお二人は、国民保護法の専門家である浜屋英博教授と、チャンネル桜によく出ている葛城奈海さんです。
 中のシミュレータの構成ですが、コクピットが中央に固定されていて、その全体を半径数mのドームが覆い、そこへアラウンドに画像(動画)が投影されるものです。隣室で、あるいは筐体のすぐ隣りで、教官がすべてをモニターしています。マイク付きヘッドギアで教官と交話もできる。
 おそらくこれは、F-15のパイロット候補者が、ごく初期段階で使うものなのではないかと、推測しました。というのは、SEGAのアーケードゲーム筐体のように、コクピットがぐらんぐらんと動くわけじゃないんです。まったく固定。しかも、キャノピーの後方には、ビジョンが投影されません。明らかに、空戦をシミュするものではない。主に、ヘッドアップディスプレイの計器の見方に慣れるためのものではないか、と愚考を致しました。
 民航機と違って、二機が併走するようにしてスクランブル発進するというのも、戦闘機だけの状況です。そのシーンが、ちゃんとこのシミュレータで、再現できるようになっていました。
 もちろんコクピットは本物のF-15の部品で構成されていて、スティックやスロットルの感触も本物なのです。
 ひとつ、発見をしましたのは、アフターバーナーを入れますと、機軸が落ち着かなくなるんです。上下左右に小刻みに振動し続ける(ように画面が揺れる)。ということは、ガンによる空戦には不利ですよね。タマが散ってしまって。超音速の空戦は、もし敢行するとしても、それはミサイル頼みでしかありえないのだということが、よく分かりました。
【未配達写真ニ】
 新田原基地の周りは、もともと、茶、芝、大根の農家ばかりだったそうで、それが昭和17年に、陸軍航空隊の対南方の輸送基地となった。パレンバンに降下した空挺部隊は、ここがベースだったようです。
 写真の神社は、同駐屯地の中にある珍しい神社で、もともとあるものだから勝手に毀すわけにはいかず、さりとて変態左翼に宗教政策を攻撃される材料にされても困るぞという、ビミョーな空域である。
※追記。今回のツアーに関してはおそらく加藤健二郎氏のデジカメ写真が「東長崎機関」のHPに掲載されるだろうと思います。また葛城女史はビデオ撮影をしていたので、それが「チャンネル桜」で見られるかもしれません。どうしても「絵」が想像できない人は、そちらを捜索してみてください。ディッチング・トレーナーの実演に関しては、ひねくれ記者の小生だけがモニター・ブースに入って説明を聞かず、おかげでいろいろなアングルから生々しい連続写真を撮ることができたのですが、行方不明になってしまったようで、遺憾です。