近日発売の『別冊正論』にも注目して欲しい

 人間は非合理的なこともする存在なので、カントのように他の人間ぜんぶを「目的」にしてしまえば、倫理や社会を数学のように確からしく構築することは、まず不可能であろう。
 非合理なこともやる場合のあるオレおよびアンタの自由を併存させる方法は、兵頭のおもうところ、一つしかない。それは、互いに公的な嘘だけはつかぬことだ。その空間でのみ、人々が互いに自分ひとりだけの勝手な趣味を楽しみながら共棲することが可能になる。
 この「契約」履行の倫理化は、いまから8000年以上前にメソポタミアの人類最初の「都市」で芽生えたもので、そこから東にも西にも拡散していったのだが、高度に発達させたのは、西ヨーロッパの都市においてであり、本家の中東ではいまでは「約束」があてにできない。
 19世紀以後の東洋では日本人が最もよくこの倫理の外形を吸収した。それは、この日本群島のありがたい「水土」(=地政学的な所与条件)のおかげであって、日本人がシナ人よりも優秀だからではない。現に、日本の選良たる政治家や、試験エリートたる高級官僚が、戦前も戦後も、しばしば公的な約束を破ることを恥じていない。
 さて、ロー・エンフォーサー(law enforcer)でもない者が、自宅戸外の公共の場所へ、有力な連発火器を服の下に隠して携行することを許している米国諸州の法律は、公的な約束が守られる空間の維持・強化に役立つだろうか? たぶん西ヨーロッパ人は、そうは考えはすまい。
 これは、今日のバクダッド市内の会議場に、誰かが手榴弾を服の内ポケットに入れたまま入場し、傍聴することが許されるかどうかを考えたら、アメリカ人にも分かるはずの理屈だ。
 旧日本軍の手榴弾は、突撃のきっかけをつくるためだけの、いわば花火のようなもので、せいぜい1発で1人しか殺せぬ低威力のものとして設計されていた。だから、自軍の手榴弾で確実に自決するためには、兵士はその上に腹ばいとなる必要があった。(つまり日本軍の1発の手榴弾では、「集団自決」などとうてい不可能だった。)
 ところが現代のオートマチック拳銃は、貫通力の大きな9mm軍用弾を弾倉内に十数発も収納するものが売られている。ワイアット・アープの証言によれば、ゆっくり狙って撃たない拳銃は、室内といえども1発も当たるものではないそうだが、とうとう今月、1人が拳銃だけを用いて32人だか33人を一挙に殺すという、新記録がつくられてしまったようだ。
 合衆国連邦憲法がつくられた当時、米国有権者が手にしていた武器は、ほとんど全部が「先ごめ単発式の小銃」で、その全長は2m前後もあった。(先ごめ単発のピストルも決闘用として存在したが、サイズが大きく、しかも小銃とは勝負にならぬ短射程であった。)
 偶然にも、まだこの単発小銃しかない時代に、有権者がそれで皆武装していたという状態が、米国の民主主義を確立したのだ。
 つまり、1人の小銃射手は、2人の小銃射手と撃ち合って勝つチャンスはほとんどない。1人が1票の政治的意思表示をキッチリできた。その担保が、単発小銃だった。
 米国の独立を望む有権者の数(=小銃の数)が、それを支持しない有権者および英国兵の小銃の数を上回ったので、米国は独立した。それは近代啓蒙主義政治哲学の上でも正当なことであると、英国インテリも承認をしたのだ。
 連邦憲法が米国市民の武装権を明記しているのは、この全長2m前後の単発小銃を前提にした話だった。それは服の下に隠し持って戸外に持ち出すことはできず、しかも、1人で一挙に1人の市民しか殺傷することはできない。
 不意打ち的に、少数者の意見を多数者に強制することは、不可能なのである。だから、公的な約束が守られると期待ができる。
 さらに大事なことが、アメリカにおける陸軍の禁止だった。1人の独裁者の命令で動く常設軍隊は、その装備として単発小銃しかなくとも、バラバラの市民を各個に殲滅できるのだ。だから当初の米国憲法は、「大統領が随意に運用できる常設連邦陸軍」という発想を絶対に否定した。その代わりとして、ミリシャ(民兵)だけを認めた。
 つまり、「常備軍の禁止」と「国民皆武装の推奨」がワンセットであった。
 この憲法の大前提を崩してしまう高性能の実包式連発拳銃が米国人によって発明され、人口希薄な米国西部に普及したのは、南北戦争の直後だった。すなわち、ダッヂ・シティにローエンフォーサーのワイアット・アープなどが必要とされたときにあたる。(日本の時代劇は徳川200年間が舞台。米国の西部劇は、年表的には幕末のほんの一瞬のひとコマだ。)
 遵法精神など無いカウボーイ(アープのインタビュー評伝を読めば、これは山賊に近い無法者集団のイメージであったことが知られる)の集団が連発式火器を携行しているのに、農場主が単発銃しか持たないのでは、農場財産を略奪から守る自衛は不可能だった。
 その後、米国の市/郡警察と州兵と連邦軍(合衆国騎兵隊)が、西部の法的無秩序を徐々に平定したから、初期米国憲法の前提は大きく崩れたのだ。大都市においては、市民の連発拳銃の隠然携行は、公共の秩序にはどう考えても有害になってきた。
 しかし、かたや田舎では、まだ連発銃による農民の自衛は必要だったのである。警察や軍隊が電話一本ですぐにやってきてくれる環境では、そこは必ずしもないのだ。とにかくアメリカは広いのである。
 この、都市と地方の治安担保のギャップがどうしても実定法では調整し切れないので、都市部における小型連発火器の自宅外持ち出しと隠然携行も、いまだに野放しにしておくしかないのだろう。
 さて今回の銃乱射事件の第一報で、犯人はシナ人らしいと報じられて、全米がそれを信じた。わたしがもう何度も強調しているように、米国人はとっくのとんまにシナは将来の敵になると認識しているのだ。
 だから日本人の安全のためには、日本人はシナ人や朝鮮人とは違うんですよという積極的なPRが不可欠なのである。
 サンフランシスコで明治38年に日本人の移民を排斥する運動が起きたのが、よく、日米戦争の伏線のはじまりだったとされるようだ。しかし、立場をひっくり返せば、これは当然の反応だった。どんな国も、低所得移民の都市部への流入には、顔をしかめるものである。それでもNYのような大都市ならば低所得層の街区も広く、埋没もできるが、サンフランシスコやシアトルのような地方都市では、どうしても目立ってしまう。
 その頃の日本移民は、最低所得層の出身であり、アメリカ人からはほとんどシナ人や朝鮮人と同じだと見られていた。なのに、明治23年の教育勅語でシナ式世界観を肯定してしまっていた日本政府は、日本人はシナ人や朝鮮人とは違いますよという宣伝を打たなかった。
 明治38年に日本は連戦連勝のうちにロシアとの講和を結んだ。このとき在米日本人の態度が、とつぜんにデカくなった。講和の斡旋をしたのはアメリカである。ところがそれに対する感謝の表明が日本人の間からはない。むしろ逆に、賠償がとれないこともアメリカのせいにしてブーたれた。それまで日本軍を応援していたアメリカ人も、こういう幼稚な反応をみて、引いてしまった。こんな身の程しらずなガキの集団はとても仲間として受け入れられないと直感したのである。
 しかも、対露勝利後の日本が朝鮮半島を併合するのは時間の問題のように見られた(じっさいには明治43年)。となれば、日本の低所得層よりもさらに低所得であった韓国人移民が、爾後は日本人だと称してどんどん米国に流入することになろう。それゆえ明治38年のサンフランシスコの学校は、先手を打って日本人と韓国人を並べて名指しして排斥し、翌年には、チャイナタウンの学校へ行きやがれとの市命令が出されたのである。
 1970~80年代、日本の遠洋漁船の乗り組み員たちが、南米や南アフリカの港に立ち寄って上陸するさいにはまず、自分たちは日本人であって、韓国人やシナ人ではないということを強調して、地元の市民から絶対に混同されないようにした。それによって、客としての扱いがまるで違ったのだ。無学な漁民すらこれを弁えていた。
 シナ人と日本人は違うという宣伝は、信用度を維持できる「ネット上の図書館」に英語の資料をたくさんUPしておいて、随時にそれを誰でもURL付きで引用できる状態にしておくしかない。これ以外にないのだ。それをやっているのが、いまのところ民間有志の「史実を世界に発信する会」である。さらなる寄付金を募りたい。
 わたしは視ていないが、番組表によれば、NHKのクロースアップ現代は、まだ放送しているようだ。回数は千回を越えているだろう。この番組は尺数は短いが、毎回、NHKという組織を動員した人海戦術で作られている。一人のプロデューサーや少人数のディレクターが、週に3つも4つも異なった新しいテーマを掘り出してきて追いかけてまとめあげることなどできはしない。それを何年でも無限に続け得るのが、組織力の凄さだ。
 シナの反日プロパガンダも、このクロースアップ現代と同じだと思えばよい。人海動員によって、ネタは無限に繰り出されてくるのだ。それに日本の首相が反論するには、一つの問題についての詳しい知識があったとしても無力である。敵は一つのいいがかりを論破されても、別のネタを十個出してくるからだ。
 ではどうすれば対抗できるか?
 戦前の史実について、トータルでシナに反論できる、信頼度の高い巨大なデータベースが、公開的に存在している必要がある。もちろんすべて英文でなくてはならない。それがあることによって初めて、日本の内閣総理大臣や米国高官は、たった一言、「シナ/朝鮮のいいがかりは事実ではない」とTVカメラの前で言い切ることが可能になろう。ソースは、あとで内閣官房や米国政府スタッフが、そのデータベースのURLをHPで発表してフォローすれば良いのだ。
 このようなネット上の英文アーカイブが利用できぬために、米国政府高官も、日本政府に対する公開的な援護射撃のしようがないのである。
 もちろん、このようなデータベースは、日本国の政府や、役人には、まずぜったいに構築は不可能である。国会図書館のいままでの予算のつき方を見れば、わかるだろう。
 この大事業は民間ならでは、できないのだ。
 2ちゃんバカ右翼たちは、アメリカ連邦下院に対する朝鮮人の慰安婦工作の司令塔が北京であることすら察しがつかない様子であるし、今も将来もおそらく英語力はゼロに等しい(というかその前に日本語の文献を読んで咀嚼する力がない)ので、ボランティアの翻訳投稿を呼びかけても無駄だ。これが昨年と今年、わたしが学習できたことである。
 資金を出す有志と、翻訳するプロのチームを、分けるしかない。
 わたしは「史料英訳会」よりも「篤志つうじ倶楽部」のスキームに、むしろ期待をかけていたのであったが……。残念だ。「篤志つうじ倶楽部」のボランティア管理人さんには、まことにご苦労様ですと申し上げる。
 ツアー情報追加。大野町郷土資料室を確認してきました。けっこう面白いことが分かりました(大戦中に機関銃弾で貫通された半鐘の実物など)。ツアー2日目午前の、二股口の土方歳三の塹壕跡を見学する前に、ここにも30分ほど、立ち寄りたいと思います。既に申し込まれている方は、お手元の予定表に追記しておいてください。