「自存自衛」=セキュリティ≠自衛=セルフ・ディフェンス …… という式が可能だろうと兵頭は思いますので、以下にその理由を述べまして、渡部昇一先生もしくは1928~1951年の英語に詳しい方に、謹んでご採点を請う者です。
ソ連のヴァルガ・リポートは、1948年までに資本主義世界に戦後恐慌が起こるだろう、と日本降伏後に予言しました。WWI後にはたしかにすごい恐慌が世界に起こって、それが共産主義の世界布教にどれほど貢献したか知れません。アカはみんな、その再現を期待していました。
ところが、1948になってもちっともヴァルガの予言は当たりそうになかった。ますます自由主義陣営は強化されそうに見えました。これは困った。モスクワは、西側が不況で弱って混乱したところで、軍事侵略の一撃を加えるつもりでいたからです。
ソ連にもシナにも、〈戦後恐慌が起きないのならば、もうこちらは座視してはおられん。西側が復興する前に先手をとって開戦しちまおうぜ〉という威勢のよいグループがいました。北京では、そういうひたすら元気のよすぎる連中が、慎重な仲間との権力闘争で勝利していました。さすがに西ドイツに向けて事を起こされるのは危険だとスターリンの理性は警告しましたが、極東ならOKだとスターリンも決心します。
スターリンのサポートを受けて、ソ連人大尉・金日成は韓国を侵略しました。
ただちに国連軍の司令官に任命されたマッカーサーは、逆上陸によって、ソ連仕込みの北鮮軍を壊滅させて鴨緑江まで押し返します。すると1950年10月、その国連軍に、こんどはシナ軍が襲い掛かってきた。以後の「朝鮮戦争」は、まったく「米軍vsシナ軍」の戦いです。北朝鮮軍などは、とっくに消滅していました。
マッカーサーは、敵の後方兵站線が聖域化されている限定戦争を体験したことがありませんでした。
彼は戦線が38度線付近で膠着してしまったことに我慢ができなくなり、シナ軍の後方基地の満州を原爆で空襲すべきだと公言しはじめました。彼の肚では、満州を破壊しても効果が薄かったら、北京をはじめ、もうシナ全土を空爆してもよかろうとまで考えていました。トルーマンはもちろん反対です。そうなれば、西ドイツの攻略を希求しているスターリンの思う壺だからです。
すると、なんと、アメリカの新聞に、マックが東京で(かれは朝鮮戦争の指揮を、ずっと日本国内でとりつづけた。ちなみに第二次大戦前からその頃まで、マックは米本土には戻っていない。どこかアメリカ嫌いなアメリカ軍人だったのです)、トルーマン大統領を批判した発言内容の記事が載ります。
当時の米国新聞の特派員は、マックの機嫌を損ねる記事を本社に送ったら、日本にはいられなかったのです。ですから、この報道は異常でした。合衆国に雇われている職業軍人が、国民の代表である合衆国大統領の外交方針を堂々と非難したのですから。マックは米国憲法の意味をまるで理解していなかったのです!
トルーマンは、反憲法的な異常な米軍人マックをすぐに馘にしました。もちろん日本占領軍のボスの座も、お役御免、本国召還です。
多くの日本人がその人事を知って驚いたといいます。ほとんどすべての日本人もまた、1950年になっても、米国憲法や米国の国体を理解していなかったでしょう。
男を下げた平民マックに、弁明の機会がやってきました。
1951年5月、ワシントンのアメリカ連邦議会の上院軍事外交合同委員会での、3日連続の聴聞会です。
5月3日、ヒッケンルーパー上院議員が、〈シナを空爆し、シナを海空から封じ込めればいいのだというあなたの主張の正しさは、あなたが実施した対日戦で、証明済みなのですよね?〉と、水を向けました。この上院議員はあきらかにマック贔屓でした。
じつはマッカーサーは対日戦争中に、隷下の陸軍地上部隊が、海兵隊よりも消極的である、という誹謗を受けていました。マックにはこれがずっと心外でした。彼は戦後すぐに部下に書かせた自己宣伝的な回想録の中で、空軍力によって敵の海上補給線を断ち、有力な守備隊のいる島嶼を迂回する戦法を採用したことが、いかに米国兵の犠牲を少なくしたかを強調しまくっています。
ヒッケンルーパーの質問をうけて、マックは、「この球を待っていた!」とばかりに、以下のような演説をします。
――日本の人口は8000万もあった。その労働力の半分は工業が吸収せねばならなかったのである。彼らはどの国民よりも労働を好み、なにもせずにブラブラするのは嫌いであった。ところが日本国内には工業が要求する地下資源がない。もしも東南アジアの資源を利用できなくなれば、1000万~1200万人の日本人労働者が、するべき用事もなくブラブラする(unoccupied)ことになり、不幸になる。日本政府は、この不幸を避け、資源利用を将来も確実にする「セキュリティ」のために、先手をとって侵略戦争に踏み切ったのであった。いったん日本が占領した東南アジアの島々を米軍が上陸戦闘で奪回しようとなどとするのは、米兵の犠牲が大きくなる下策だった。敵は勤勉で有能なのだ。だからわたしは、迂回戦略と海空からの封鎖によって、あの勤勉で有能な強敵を降伏に追い込んでみせたのだ――。
マックは、日本人が〈餓死回避〉等の、生存の必要、すなわち自己保存の自然権から緊急避難的に戦争を始めたという弁護は、少しもしていません。日本人は、何もせずブラブラして生きることもできたはずだったのです。が、彼らの溢れんばかりの勤労意欲は、そのような人生を幸福だとは思わせなかった。労働者の幸福を確保するために東南アジアを侵略した彼らは強敵であり、それを降伏させた自分は天才的な作戦家だ、と言っているだけです。
マックはここで、日本の1941-12-8の開戦は「セルフ・ディフェンス」だった、とも言っていません。言うはずがありません。
1928のパリ不戦条約以降、列国にゆるされている戦争は「自衛」戦争だけなのです。真珠湾奇襲で開戦することが「自衛」になり得るのなら、今の「自衛隊」にも真珠湾奇襲が許されてしまいます。
なおまた確認すれば、国際法上の「自衛」の英訳は「セルフ・ディフェンス」しかなかったはずです。
マックが1951にワシントンで、日本の1941-12の行動について「セルフ・ディフェンス」という表現は使わず、「セキュリティ」としか言っていないのは、マックが日本の行動を「自衛」とは思っていなかったことの傍証になるだけでしょう。
ところでマックがここで「セキュリティ」とパラフレーズしたときに念頭していたのは何でしょうか。わたしは、それは東条が陸相だった1940年に裁可された「帝国国策遂行要領」の中の「自存自衛」という熟語だったのではないか、と疑う者です。
東京裁判の中でも、この「自存自衛」が何十遍、被告人側によって用いられたことでしょうか。それを聞いた通訳と外国人たちは、とても混乱したはずです。
なぜなら、聞けば聞くほどに、彼ら日本人が「セルフ・ディフェンス」の意味がわかっていないで、「自衛」の語を用いているらしいことが、外国人には、推察されたからです。
その通りでした。日本人は、単に「自存」を言い直す強調として、何の気なしに「自衛」と言っていただけなのです。
マックはおそらくかなり後になって、自分なりにそれについて理解したのではないでしょうか。日本人が口にする「自衛」とは、どうやら「自存」と一組で、どうやら英語の「セキュリティ」の意味らしい……と。
「帝国国策遂行要領」だけでなく、戦前の日本の指導部は、自衛という言葉の国際条約上の意味を知らなかったんです。
これは驚くべきことでしょうが、じつはマックも1945までは、よく分かっていなかった。マックはしょせん、自己演出だけが得意な、時代遅れの二流の人物でした。古い世代の日本人は、そんな二流のアメリカ人を、まるで神様のように思っていたのです。一流のアメリカ人たちは、米国東部からマックに指示を飛ばしていました。
はじめ、マックは、東条を、古いハーグ条約の開戦規定違反で裁くつもりでした。スチムソンはあわてて、1929のパリ不戦条約発効以降は、ハーグ条約の開戦規定などもう意味はなくなっているという説明を伝えねばならなかったはずです。マックは、国際法に関してはド素人であり続け、東京裁判の法的体裁を整えたのは、すべてワシントンの文民でした。
日本人はいまだに、真珠湾攻撃前に宣戦布告していれば東条は無罪だと考えていますけれども、天皇の御名御璽によってパリ不戦条約を批准した1929以後は、先制攻撃した国が侵略者(アグレッサー)とされるしかないのであり、1941-12に世界に向かって日本の「自衛」を主張するためには、むしろ、宣戦布告や開戦詔勅を米国よりも先に出してはいけなかったのです。
この基本すら分からず、わざわざ侵略者である証明となるだけの開戦詔勅(そこにも「自存自衛」の熟語が入っています!)を先に出していることの謎を、東京裁判の後半にとうとう理解したマックは、おそまきながら詠嘆します。〈日本人は、ドイツ人と違って、新しい国際法の内容と意味もわきまえなかった、12歳の少年犯罪者だったのだな〉と。
ただし、マックもせいぜい15歳くらいだったのです。
ところで東条は正直者です。東京裁判に提出した「宣誓供述書」の中で、アメリカ政府の禁輸のうち、いちばん効いたのは1940-10の屑鉄の全面禁止(北部仏印進駐への制裁として。東条の陸相時代)だった、と打ち明けている。
鉄がなくても日本国民は餓死しないでしょう。ただ、支那事変は続行不可能になるわけです。(事変の軍事費の半分が弾薬費。その砲弾と爆弾の外殻スチールはアメリカから買った屑鉄を溶かして製造した。)
参謀本部が考えた対米先制開戦のプログラムを、近衛内閣の陸相として政府に呑ませ、続いてみずから首相を兼ねてその実行をやり遂げた東条が、「パリ不戦条約」を破ったことは、動かせません。
東条が国際法上の侵略者であることをマックも戦後にようやく勉強できて、以後は、東条の叫んだ「自存自衛」を、「セキュリティ」と意訳しているのでしょう。
不思議なことに、昭和天皇の終戦の詔勅は「自衛」の語を省き、「自存」だけ再度、強調しています。詔勅の草稿を担当した陸軍省の誰かが、日本語の「自衛」と、国際通念上の「自衛」のギャップに、気が付いたのです。
日本が「セキュリティ」のために開戦したとマックに納得させたレトリックは、たぶん、東条の証言などではなく、昭和天皇の開戦詔勅です。マックは、「自存自衛」の、日本人独特のズレた意味・用法を理解したあとで、この開戦詔勅を(おそらく自伝を書くために)読み直してみて、あらためて日本国の立場への理解を深めたでしょう。しかし、日本が「自衛」をしたとマックが思った、という証拠は、どこにもありません。