街道でイク!

 ウォルト・ディズニーの1950年以前のビジネスは、アニメの一作ごとが、賭けだった。というのは彼はほとんど裸一貫でハリウッドにやってきたので、資金繰りは常にショートしていたのだ。短編であっても2回連続でコケれば、銀行からの借り入れは返せず、スタジオは解散するしかない。
 準備と制作に3年以上もかけて1942-4にリリースした長編の『Bambi』が、得られて当然の高収益を上げられなかったのは、まったく日本軍の真珠湾攻撃のせいである。彼が日本人嫌いになったのは、当たり前だろう。
 そのディズニーが1953にリリースした『Peter Pan』の中のキャプテン・フックの台詞に、「ひとさらい」の意味で“shanghai”という動詞が出てくる。
 既刊の「読書余論」でも紹介した『郭沫若自伝4』を見よ。1926~27頃の上海の娼婦、街娼、妾は、蘇州の小作農家の女房や娘が売られたものだ、と郭はちゃんと書いているだろう。
 直木賞作家の榛葉英治の『夕日に立つ』(S50、日本経済新聞社)には、こんな記述があった。
 「〔1945後半の長春市の〕日本人会の仕事は、ほかにもあった。日本人のためのただひとつの興安病院の経営、何千という穴を掘りつづける墓地、いっぽうでは、キャバレーまで委託経営をした。さらにソ連兵を接待するための特殊婦人を使っての慰安所の開設……。」「特殊婦人はもとからの水商売の女、難民の女なぞが千人ぐらいいて、この女たちがソ連兵から金をとれないときには、日本人会が立替えて支払った。この慰安所は、ソ連兵の日本婦人への暴行を、いくらか防いだかもしれないのである。」「奉天と鞍山の中間にある遼陽という町では、日本人会は、ソ連軍の高級将校には一人ずつの慰安婦をつけてサービスにつとめた。」(pp.83-4)。
 さて朗報だ。ポシャッていたと思っていた某劇画が、じつは進行していた! あきれた遅筆の作画家氏が、1年半遅れで完成させたらしいのだ。なんのことを言っているのかさっぱりわからねーだろうが、投下した労働時間が無駄にはならなかったという、リアルどんでん返しの片鱗を、味わったぜ。(シナリオを公開してある奴、および大阪のデザイン事務所に現在発注中の奴とは別件なので、念のため。)