かかる刀匠ありき

 「さかきまち」と聞いて聞き覚えがある人は、北信地方のローカル・ニュースをBGMにして育った人を除けばきっと少数でしょう。表記は「坂城町」と書きます。
 長野市育ちのわたしですが、そこが刀工の一大根拠地になっていたとは知りませんでした。
 じつはご近所の測量士の方から、「刀匠宮入行平・小左衛門行平 父子北海道展」が隣の七飯町の歴史館で3日より開催されると教えてもらいましたので、それならばと、一緒に初日に出掛けて参った次第です。
 この小左衛門さんが、坂城町のご出身。人間国宝の家業をすんなり継ぐのを潔しとせず、高校のハンドボール部の先生の伝手で、2年間、函館の大沼の牧場で働き、それから意を決してあらためて刀工の道に進まれたという。いや、人生いろいろなんですね。
 ちなみに測量士さんも、珍しくも福井県の武生というところまで行って包丁鍛治となって、ご実家のご都合で数年前にUターンするまで、6年もそれを続けていらしたというのだから驚きだ。まさか同じ町内に、『陸軍戸山流で検証する 日本刀真剣斬り』の読者がいようとは予期いたしませんでした。しかも、この催しのことは、甲野善紀氏のHPでご承知になったそうだ。
 確認のため、七飯町のHPにアクセスしても、この展示企画の情報は掲載されていません。田舎はこれですからな~。博物館というハコがあり、インターネットというシステムがあっても、オペレートする人がいなければ……。
 で、そういうことなら、もしや近郷近在の隠れた武道家の方々もやってくるのかも……とも予想しておりましたが、そのような風体の方はお見掛けはせず、そのかわりに、小左衛門さんご本人がその場でいろいろとお話をしてくださいました。
 刀匠の方からじかにお話をきいたのは、わたしは初めてであります。測量士さん、有り難う。
 素材となる古鉄(明治以前の鉄)は、いまや、解体される土蔵の鉄窓や、蝶番の金具などを、全国から集めなければならぬような状態であるようです。古釘(四角い和釘)は、古い屋敷を壊したとしても、ごく僅かの量しか、得られないそうです。そもそも、江戸時代の建築では、あまり釘を使っていないからです。
 1本の刀を打ち上げるのに、だいたい、120kgから150kgもの松炭を燃やすことになるのだそうです。松炭は、すぐ灰になるので、不純物が刀身に混入しにくいというお話でした。
 武道家からの注文で刀を打ち上げることもあるそうですが、平生「模擬刀」で練習をされている武道家は、本身のバランス(先が重い)を知らないので、模擬刀のバランス(根本が重く先が軽い)を再現するようにリクエストしてくるので、刀匠としては不本意な作品になりがちだということも、素人なりに理解しました。
 また小左衛門さんが理想視する刀身は、南北朝時代のスタイルであるそうです。
 測量士さんからは豆知識も得た。包丁の鋼(スチール)部分は、全幅の三分の一ぐらいなんだそうで、あとは鉄(アイアン)が接合されている。ですから、寿司屋が毎日々々包丁を研いで、もとの大きさの半分にまで磨り減ったとしたら、それはもう、包丁の切れ味なんかなくなっちまうわけですな。
 この七飯の歴史館は過去に二度、見学したことがあったのですが、今回、測量士さんの指摘で、ひとつ発見をしました。
 常設展示品の中に「永禄十一年」の銘のある和鞍があるのです。これは西暦にすると1568年、織田信長が上洛した年だ。ホンモノだとしたら、大した古物ですよ。
 江戸時代の武士が戦国時代風を哂って「元亀・天正」といったものですが、永禄はその元亀の一つ前の元号ですからね。
 さいごに余談。民主党の小沢氏は、若い時に法学コースを勉強したくせに、近代的自我が身に着かなかった。「ムラに預けてしまいたい自我」しか、持ってないのでしょう。その「ムラ」は、どうやら彼にとっては、「彼の心の中にある国連」らしい。そしてその根源の動機は、ユニークな強度の「米国恐怖」ではないのか。
 自分で自我をもつと、心地が悪い。小沢氏がみずからは首相をめざさなかった理由は、「ナンバー2でないと日本の政界では理想を行なえない」と、徂徠学流に信じていたからではなかったのです。
 以上は、3日に届いた『諸君!』の田久保論文を読んでいて、ふと、思い至りました。