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 『2011年日中開戦』を読んだというメールが未だ一通も届かないところをみると、昨晩は遂に都内の書店にも並ばなかったのか? (じつは小生もまだ見本冊子を手にしていません。)
 2日発売という広告を間にうけて、当日にわざわざ書店に足を運んだ人は、えらい時間の無駄をしたことになりはしないか。そういうのを「サーチ・コストが高くついた」という。
 消費者はサーチ・コストを嫌う。あたりまえだ。店に出掛けてみたものの、目当ての商品がなかった場合、労力も交通費も全部損であり、次回から足は遠のく。
 困ったことに、本は典型的な「多品種・少量生産」の品なのだ。
 2003年頃のデータしか覚えてなくて恐縮だが、日本の毎月の新刊が6800点以上。これに旧刊分が加わる。
 雑誌のタイトルは3500銘柄あり、その増刊別冊が6000点と、ムック7500点が毎年加わる。
 書籍小売りは薄利構造なので、これらを一店舗で同時に商って黒字になる経営などありえまい。
 なら「古書店街」のように、書店ばかり一箇所に集めたら良いかというと、限られた売れ筋本の、食い合いとなるデメリットが大。
 本は、万引きや店内汚損も防ぎ難い。盗るのは泥棒、とられれば箆棒。返品ができるのが前提で成り立っているこの薄利商売(書店の取り分が定価の2割前後)にとり、致命的に痛い。同じ本を4冊売ってもその損は埋められないという。
 2004年頃から、ウェブと宅配/コンビニの組み合わせが、これらの難題を解決したように見える。自宅端末で探せば版元の倉庫にある限りの本が分かり、注文すれば数日で届けられる。送料もタダ同然だ。
 あの音楽CD産業を斜陽に向かわせたほど急激なIT革命も「ペーパーレス化」は引き起こせなかった。圧倒的な安さ、軽便さ、ひとまとまり性、斜め読みの手応えゆえに、紙媒体は欧米でも日本でも生き残るに違いない。
 インターネットという新手の技術は、書籍ではなく、書店の弱点を教えたのだ。
 このままだと、日本の昔風の本屋は、数年後には全国かぞえて1000店未満に減ってしまったとしてもおかしくない。
 ではどうすればいいのかというと、これは新刊書店の店舗内のあの「落ち着かない」雰囲気を逆転させるしかないだろう。
 いまの書店は、客が商品を衝動的に購入してさっさと自宅に持ち帰ってそこでゆっくりと消費してもらうように誘導することを狙ったインテリアになっている。これではネット通販の至便性に対抗できないだろう。
 いっそ戦前建築の古い暗い図書館や美術館、あるいは最近は行ってないが、昔、神田神保町の専修大と共立大の中間にあった某エロ本専門書店ビルのようなダークでシックな内装にした方がいいんじゃないかと思う。
 ネットで済む買い物をわざわざ店舗まで足を運んできてくれているお客なのに、ギンギラに明るくして慌しいBGMを流して早く回転させようとして、いったいどうするのか。存分に長時間、滞留できるようになっていれば、遠来のリピーター客を集められるのではないか。
 理想的には、その店舗のすぐ隣(または上下のフロア)に、商品を自宅ではなくその場で消費してしまえるスペースが併設されていることである。つまり「時間貸し」の、持込専用の読書スペースだ。都市部の貧乏人たちに無いモノは、静かに集中ができる空間なのだ。客一人あたり、電話ボックス並の無響スペースでも、それは構わない。
 これは、真に、格差解消につながる道だ。