2001年刊の『田山花袋記念文学館研究紀要』の第14号を、おくればせながら館林市から取り寄せ、そこに収められていますところの工藤三壽男氏ご寄稿の「岡谷繁実と『時は過ぎゆく』」を一読。
またしても繁実のイメージが変わりました。
それにしても、ここに書かれているような情報が、なぜ事前にインターネットでヒットしなかったか――といぶかしんだのですが、OPACを見てみたら、工藤氏は1925年の御生まれ。無理もございません。
なお、論文の「参考文献」に挙げられていた『館林双書 23巻』も必読だと確信しているところであります。しかし、1995年の「非売品」をどうやったら入手できるのだろうか……?
さて、早速にも「10月中旬の『日本主義』函館座談会」に応募してくださった方々、どうもありがとうございます。
なにしろ主催者側からスケジュールその他のディテールを知らされておらぬ段階ですので、今日の時点ではロクな確答もできません。恐縮です。(いまどきめずらしいことでしょうが、なんと、主催者側のEメール・アドレスが不明なのです。わたしはFAXで問い合わせをしております。)どうかいましばらくお待ち下さい。
尚、遠隔にお住まいの方は基本的に無理であろうと愚考しております。きっと、旅費も出ませんから……。
豆ちしき。
バリバリ白ゆり(聖フランシスコ会?)のウチの山の神に訊いたら、麻生総理の洗礼名は、「清貧」を象徴するのだと謂うことだ。