◎読書余論 2008-11-25配信 の前宣伝です。

▼新井白石著『折たく柴の木』村松明・校注、岩波文庫1999
 「大君」というのはシナでは王子の嫡子に授けられる称なのに、官学の腐儒一家が徳川将軍を大君と号させてしまったのだ。
 己が欲せざることを施す朝鮮人のやることは悉く無礼である(p.203)。
 幕府内の官僚どもが「それでは日朝の戦争が近い」などと騒ぎ出すが、白石はつっぱり、ついに、朝鮮側の文書の「光」の文字を変更させた。この騒ぎを大きくしたのはけっきょく朝鮮人ではなくて、白石を妬む日本人どもであった(p.204)。
 貞享・元禄の頃から、長崎の外国人を大事にしろという政府方針ができた。奉行所の下級役人が唐人から陵轢されんとし、刀を抜いて少し傷つけたことがあった。その役人はただちに追却(解雇)になった。こうして長崎では外国人はほしきままになり、オランダ船が密貿易や沿岸略奪を平気で働くようになった(pp.396-7)。
 営利誘拐されるような成人は、もちろん「下愚」なのである。犯人側は口達者である。だから頭の良い「お上」が捜査究明して救ってやらなかったなら、被害者は自力では何もできず、法廷でも埒が開かないのである。
▼防研史料 第二水雷戦隊司令部『特型駆逐艦長必携』S10末
 原速より急停止 後進一杯 は、1分40秒かかる。その間に360m進む。
▼防研史料 『伊号第25潜水艦 北米西岸焼夷攻撃 並に 艦船攻撃に関する調査報告』(1947-3の調べ)
 こちらから発射した魚雷が距離300mで誘爆し、そのため艦の鋲が200本も緩んだ。
▼『仏軍航空戦史』大14、陸軍航空本部ed. 恵藤第四郎・要訳
 トランプのエースを仏語でAS[アス]という。新聞がこれを、5機以上おとした者に用いはじめた。
 対空布板は、砲煙で見えなくなるので、ベンガル火(信号煙火)が多用された。
 5500mでは肉眼偵察は無理で、写真偵察が必要である。
▼神田伯竜『五郎正宗』M32、大川屋書店
 ※講談速記本。
▼『宝蔵院覚禅(片鎌槍の達人)』立川文明堂、M44
▼防研史料 『機関関係雑綴』S14年度、イ-52
 水中では、3ノットで70浬(23h)、最大8ノットで8浬(1h)。
▼防研史料 『潜水艦一般講義案』S19-12 by海軍水雷学校
 電池年令というものがある。4年半で容量は半減する。
▼『工兵』第152号/陸軍工兵学校 S19-10
 「100式火焔発射機」を89式戦車に対して実験したら、エンジンが酸欠で止まった。
▼中村彰彦『保科正之』中公新書#1227、1995刊
 江戸に大風が吹き、屋敷がつぶれるかと思われるようなときには、長持ちを2棹ならべて、その間に幼君を置く。
 なぜ保科正之は『名将言行録』に載っていないのか。またその続編『徳川名君名臣言行録』に田中三郎兵衛正玄がないのはなぜか。
▼マイケル・ハワード著、奥村房夫・他tr.『戦争と知識人』1982、原1978
 カントの見解は短い文章では公平に扱えない。彼は、自然状態は戦争状態であり、平和状態は意識的に樹立されなければならない、とした。他方、戦争それ自体が長期的には平和状態の確立という目的に役立つとも信じていた。なぜなら、人々が諸国家による連盟を支持するようになるから。
 コブデンは死ぬまで、ポーランドでの不正は英国が傍観していても神の摂理で正されると信じていた。しかし、自由放任主義は、経済においてだけでなく、政治外交でも支持を失う。ミルは1874に、人民が専制と戦っているとき、その弾圧主体の政府が外国の武力で援助されているのならば、英国は人民の側に立って武力介入してもいいと述べた。
 野党指導者となっていたグラッドストンははっきりと、イギリス国民は東欧の従属民族に対して人類兄弟愛から生じる道徳的責任を有すると述べた。1877、彼はブルガリアに対するトルコの暴虐を公然と非難した。そして武力も用いたブルガリア救済を訴えた。彼は1854にはオスマン帝国防衛のためにロシアと戦争した内閣の閣僚だったのだが。
 英艦隊がアレキサンドリアを砲撃し、エジプトを占領した。1882、グラドストンは説明した。いわく。エジプトの平和と秩序のため、文明ヨーロッパ諸国の協力を求めるべきだが、それが得られないときは、その任務は英国一国だけによって行なわれよう、と。ジョン・ブライトが抗議すると、グラドストンは答えた。アラブの暴力に対して武力が用いられる場合、それが文明世界を代表するヨーロッパ諸国によって認可される武力であるように、最大の努力をした、と。ブライトは満足せず、内閣を辞任した。
 コブデンの平和的国際主義は、尚武の倫理の復活の前にも影が薄くなった。すなわち、英国ではパブリック・スクールが設立されて、中流階級の子弟に規律と愛国の美徳を教え込んだのだ。
 フィリップ・ノエル・ベイカーらに対する1937時点でのキングズリー・マーティン(急進主義者)の疑問。平和主義者は侵略に対して戦う意思があるかどうかという問題をなぜ注意深く回避するのか。
▼色川大吉『明治精神史』上・下 講談社学術文庫1976、原S43
 小楠ら実学党の命題:「明尭舜孔子之道。尽西洋器械之術。何止富国、何止強兵、布大義於四海而已。」
 蘇峰の「将来之日本」は、小楠の世界平和思想と、スペンサーの進化説、ミルの功利説、コブデン&ブライトのマンチェスター派の非干渉主義ならびに自由放任主義を混ぜている。
 M18頃、川口村には天然理心流の免許皆伝をうけた、近藤勇と同門の楠重次郎正重の道場があった。
 秋山国三郎は選挙運動用に大量の仕込み杖を造らせていた。
 M20の『三酔人経綸問答』で豪傑君は反論する。英仏独露がアジアにたくさんの軍隊と艦隊を送り込んでくるのに、自由平等だとか四海兄弟だとか言うのは学士にありがちな愚の至り。「愚に非ざれば狂」だと。そして豪傑君いわく、今ならまだ間に合うから、アジアのある大国を侵伐して、その三分の一を割きとり、わが国を大国(強兵富国)とする以外に、欧米帝国主義に対抗する道はない、と。
 明治10年前後に米価が高騰した。これが地方の豪農層に自信を持たせた。
 M17~19に全国で抵当流れとなった土地は全耕地の八分の一にのぼり、没落した農民は数十万人。
 M19~22が、企業熱勃興の時代。これを背景に蘇峰は、カントリー・ジェントルメンが日本に現れると早合点した。
 だがM25-11に蘇峰は、日本の中等階級は堕落していると結論した。
 福沢はM24年に、中等種族は、いまの殖産社会に身を立て家を起こすのは極めて難しいと判断。
▼久保尚之『満州の誕生 ――日米摩擦のはじまり』平成8年刊
 ハリマンは1906と1908にも日本政府に満鉄買収を打診している。あきらめていなかったのだ。ところが1906秋から米国に恐慌のきざし。1907-3にNY株市場で大暴落。
 手元流動性選好のためハリマンは満州中央銀行への出資を見送った。つまり資本参加しようと思えばできたのだ。
 ウラジオに日本人娼婦があらわれたのは明治16年。明治30年までに、バイカル以東の全域に進出した。
 M24、サンフランシスコでは日本の女といえばほとんど売女のこと。M23-6時点で80人いた。
▼和田秀穂『海軍航空史話』S19
 ファルマン大型で青島を空襲に行ったとき、海軍機が日本機として初めて日の丸を描いた。
▼アントニー・フォッカー『わが征空記』白木茂&山本実tr.、文林堂双魚房pub.
▼秋山紋次郎『陸軍航空概史』航空自衛隊S39pub.
 陸軍は、満ソ国境の近距離目標を設想していたので、爆弾搭載量を多くするより、むしろ出撃回数を増やしたほうが、衆敵に対処できると考えていた。
 4式戦は空戦中、プロペラピッチを変えねばならないのが不都合だった。計器の操作は面倒すぎた。
▼佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』2008-9
▼『昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫』太田出版2002
▼佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』2008-5
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