「読書余論」 2009年1月25日配信号 の 内容予告

▼木村毅『西園寺公望』S60刊、初版はS33-4
 ロシアは日露戦争後にようやく議会を開いた。日本より十余年遅れているのだ。
 アメリカ教育の一大特徴は、「非専門的」であること。つまり国土に対して知識人が少ないため、一人の教師が何でも教えねばならない。深くはないが広い。
 たとえば東大のフェノロサは、政治学、哲学、文学を講じ、美術について助言した。その門下の三宅雪嶺は、哲学と政治を同時に論じた。
 坪内逍遥は、劇が本職なのに、バジョットの英国憲法史や論理学まで担当した。
 日本はドイツと同じ理由で勃興し、同じ理由で崩壊している。もし伊藤のような英米派追随主義の政治家がおらず、軍と官僚に任せていたら、日本はWWIのときにドイツと組んで敗亡していた。
 伊藤は正規の学問はしておらず、『宋名臣言行録』と『日本政記』が政治学の根底。だから、大学教育を受けている後進の鳩山和夫、穂積兄弟、加藤高明、関直彦、高田早苗には内心、脅威を感じていた。
 だがビスマルクはそんなことを屁とも思って居なかった。学者には一つの専門をできるだけ深く追究させておけばいい。アカデミック・フールは世間人としては恐れるに及ばないからだ。伊藤はこのこともドイツで学んで来て、東大に応用させた。米国流リベラル・エデュケーションは、専門バカ製造工場に変えられ、名前も「帝国大学」とあらたまった(pp.68-9)。
 「前任井上毅が命をかしこんで執筆したといわれる教育勅語を、西園寺が文相時代に改定か、あるいは新たにもう一つ下付を願おうとして、明治天皇から内諾を得ていた」「この間の機微については、いままでは公けに書く自由がなかった。教育勅語を金科玉条はおろか、まるで神託か予言のように、時代ばなれのした神聖なものに祭りあげて、一言これに不満や批評がましい言葉をもらしても、不敬として罰せられるおそれがあったから、われわれも事実は知りながら黙っていたのだが、西園寺は教育勅語があまりにも東洋道徳に偏しすぎて、世界の通識である闊達な自由主義的な気魄に乏しいから、リベラルな世界道徳に立脚する新勅語の下付を乞おうとし、天皇の内諾を得ていたのである」(p.106)。
 西園寺総裁の演説。日本国民には沈毅なる態度がない。沈毅の上に、愛敬をもって外にまじわれないと、所詮、よその国から同情や尊敬を得ることはできぬ。日本は世界を相手とする戦いをせねばならぬのだが、そのためには「第一に信義を重んずることが必要である」「種々の注文がたくさんありますが、概してこれをいえば、第一に信義の二字が大切である」
 西園寺は、司法関係あがりは首相にはできないとの確信あり。なぜならば、「首相候補にでも推されようという者は、それまでになるには相当な人徳を積まねばなれぬ、ところが裁判関係者は、岡ッ引きの大きいもので、つまり人の弱点をにぎっていて、そのこわもてで、社会的勢力を得るので、徳をつむ度がとぼしい。平沼はその好例」だった(p.201)。
 新官僚とは、「大学でマルキシズムにかぶれながら、実際運動にとびこむ勇気と純情がなく、権勢と月給に恋々して官吏となり、そして国民へ色目をつかい、マルキシズムのなまかじりを鼻にかけ、国家を統制組織に追い込んだ元兇」(p.209)。
 近衛文麿は親しい新聞記者に語った。歳が若く、平大臣の経験がなく、政界の苦労が足りないので、ロボットとしてあやつりやすい。そのように思っている連中に担がれるのがいやなので拝辞したと。
 また、政党にも軍にもインテリにも国民にも評判がいいということは、じつはどこからも腹からの支持者がないということだ――とも語った。さすがに聡明な公子で、よく自分を知っていたといえる。
▼『宗教学論集』S5-5、同文館pub.
▼『上代日本文学講座 第三巻』S9所収、斎藤清江「上代文学と道教思想」
▼和田徹城『淫祠と邪神』大7
 明治に自由と自我がやってきた。ところがそこには障害がいよいよたちはだかっている。そこで愚民が淫祠にすがった。知識人は高踏宗教をかえりみたが、何の安心も得られなかった。
▼小林諦亮ed.『大陸ローマンス』大13-5
▼保田與重郎『改版 日本の橋』S14-9
 「はし」には端末の他、仲介としての舟の意味があった。はしけ。
 地震のあと、隅田川に近代的な橋をたくさん架けた。相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋。S2の清洲橋は、復興建築のつねとして周囲との調和や四辺との美観など考えていない。しかし人々は、あのデザインを不審とする代りに喜んだ(pp.98-9)。。
 戦場では、百姓が逃げ出し、夜、山中や海辺で焚き火をする。それがよく、敵軍の露営と間違えられる。
 日本の古典時代の精神と発想とその系譜を解明する最も重要な鍵は後鳥羽院である。芭蕉が近古と近世の橋であるなら、院は近古と中世との橋なのだ。
 頼朝は専制君主の理想形なのだ。人々は天地の作った我々の一人の同胞に身を委ねうるのである。
 長田父子を土磔[つちはりつけ]刑にしたのは立派な行為である。頼朝の生涯には「野心」はなかった。彼の検察機関の方針は、清盛の使用した六波羅の禿童児たちとまったく異なる。頼朝は人道の希望であった。
 日本の少年少女が木曾を好きになるように、作者はわざと事実を戯画化しておいたのだ。
▼橋川文三『日本浪曼派批判序説』講談社文藝文庫、1998
 保田は1950-10には、シナの「人海戦術を可能にしているものは、必ずしも強暴な権力の圧迫とのみは考えられない」と書いた。
 1950-3にはこう書いた。米ソどちらかの陣営に属すのは情勢論であり近代の道だ。どちらにも属さず、憲法九条を守るのが日本人の生きてゆく道だ。九条を「守るには、ただ近代の観念では守りきれません」。
▼清沢洌『暗黒日記 II』評論社 S50-10
 ※この巻には、昭和19年分の戦争日記が収められている。
2-12、読売新聞いわく。米英の日本人蔑称は、ジャップ→マンキー、そして大東亜戦争勃発後はインセクト(虫)に変わった。最近は、サブヒューマン(半獣)といっている。かつてデーリーニューズが毒ガスを使えと言ったときFDRは躍起に取り消した。しかし最近NYTのハンソン・ボールドウィンは毒ガス使用論を放言。毎日いわく、囲碁において相手について歩くと必ず負ける。米国は日本本土空襲を始めるつもりなので捕虜問題を日本に問いただしている――のではないぞ。※という反転した表現で真相を国民に予告している。
4-13、放送局は、空襲でやられたときのバックアップ送信基地をもっていない。対外向け短波放送が空襲でとまったらとんだ逆宣伝になるではないか。愛宕山に第二、第一生命保険会社の地下室に第三、信州小諸に第四の設備を置きたいという計画だけがあるという。「何人も責任を負わない官僚組織の結果である」。朝日や毎日は疎開準備を完成した。これは責任者があるからだ。「官僚主義、統制主義の欠点は、日本における数年の試験によって完全に明かにされた。予の一生を通し、この目前の試験が、予の確信を最終的なものとした。統制主義、官僚主義は日本を亡ぼす」。
4-15、「また閣議で配給機構が変わった」。「とにかく、役人は外に用がないのと、また統制の面白さに図ばかりひいている。左翼全盛の頃からの流行だ。遺物だ」。「統制業者」の道楽なのだ。
5-10、「官吏はかつて生産を考えたことのない人種である。彼等は物は泉が沸くように独りでに生産されると考えている。従って物資について彼等の懸念するところは価格のみである。そこに物の不足が生ずるのは当然だ」。
5-22、富山県の富豪の高広。飛行機関係工場をやっているが、若い軍人が干渉して、全く何もやれないとのこと。
7-3、神奈川の特高課長は嶋中が入院中であるにもかかわらず週1のペースで呼び出して社長辞職を要求。呼び出しに応じなければ検挙すると脅している。30歳代の青年官吏どもが、中央公論を乗っ取りたくてたまらないのだ。野望は、身内から官選社長を据えて、社まるごと言うなりにすること。改造の山本実彦の廃刊届けを青年官吏は認めぬと。要するに内務官僚が「呑む」利権なのだ。大蔵や農林は外郭機関がたくさんあるが、内務省にはそれがない。そこで出版界に目をつけたのである。逓信省が放送局や電気事業界に、外務省がニッポンタイムスや外政協会に、というのと同じ。内務省の特高課の命をうけて嶋中を取り調べる下級刑事は、嶋中の秘書いわく「人間ではありません獣です」というタイプ。
8-5、小磯が伊勢参りしたとき、東條は赤松大佐など家の子郎党を引きつれて、同じく伊勢参りをしている。「傍若無人だ。この独裁者が仆れたのは、日本は矢張り皇室が中心だからだ。この制度により願わくは、過激なる革命手段によることなくして戦争始末をなさんことを」。中日に、「不満はただ一つ」という題のわけのわからない論説が載る。情報局から与えられる缶詰記事だ。
8-9、坂本龍馬の甥の坂本直道いわく、三国同盟によって米国を圧迫するのが目的だったというのは後でつけたした話だ。来栖はこれに反対で、ベルリンから3回も電報をよこし、米国と相談せよ、その交渉には自分が行ってもいいと訴えたと。清沢いわく、近衛も松岡も直後に「戦争」を口にしているから、強く出れば米国は引っ込むと考えていたろう。
10-8、中央線の汽車に朝鮮人が荷物をたくさん持って乗る。乞食みたいな格好にもかかわらず、二等切符をもっているらしい。「朝鮮人の金儲け非常なものである。闇取引によってであって、全国的な網を持っている由。この問題はユダヤ人のそれの如くならん。問題は名前をかえることを奨励して、ほとんど全部は日本名を有していることだ――これも無知なる軍人政治の結果である。その総督の名を南という」。
12-1、池上線の車掌はよほど以前から若い婦人であった。最近はいよいよ女の運転手が登場。
12-6、来栖は11/26を米国の対日最後通牒の日といい、毎年演説をすることにしている。石橋は肯定評価。清沢は「日本そのものの立場に無理があるから議論が弱いと思う」。
12-10、重慶は××〔天皇制/皇室〕について、その存在が害があり、一掃を必要とすると考える。英国は、スタビライジング・フォースと考える。米国は、ラバー・スタンプとして今後利用しようとする。これは幕末維新と同様に重大な大変局だ。グルーは19世紀的自由主義から戦後の日本を産業人を中心に考えている。そのため『ネーション』は藤原銀次郎と国務省を攻撃している。清沢いわく、外交は、持つ物を手札として、最小限度に譲歩する外ない。日本が持っているものは満州と外国の駐兵だ。これを捨てて朝鮮と台湾を保てばいい。朝鮮に政治的権限を与えるとする小磯の言明が問題になっている。朝鮮は日本のアイルランド問題だ。
12-13、外交問題処理には屈伸性=フレクシビリチーが必要だ。これが日本人にはない。ユダヤ陰謀論を説く日本人に特に然り。
▼季刊『日本主義』2008春号(創刊号)、夏号、秋号
 編集人の真木修平氏は『現代の眼』の編集長だった。
▼中山博道&中山善道『日本剣道と西洋剣技』S12-8
 突きは、実戦では、不確実な戦法である。ゆえに、古来、連撃する必要があった。つまり剣道の試合での片手突きは、連撃を放棄しているので、「死に術」なのである。
▼東亜問題研究所『中支産業要覧』S14-1
▼飯沢高&村上常太郎『智能犯罪』S10-12
▼石川順『支那の鉄道』S3-7
▼水谷国一『事変と北支鉄道』S13-7
▼小林多喜二『蟹工船・党生活者』新潮文庫S28
 工船であって航船でないから、航海法が適用されず、20年もつなぎっぱなしのボロ船。日露戦争で破損した病院船や運送船が転用される。少し蒸気を強くするとパイプが破れて吹く。露国の監視船に追われてスピードをかけると、船のどの部分もメリメリ鳴る。
 共産党員は逮捕されるとき、真裸にされることあり。逃げられないようにだ(p.163)。
▼石橋猪作『滑空士必携』S18-7
▼石角春之助『乞食裏譚』S4-7
 ヤドをひっくりかえしてドヤと呼ぶ。
▼村上兵衛『新・連隊旗手』S52、光人社
 襟章の権威は影を失っていた。ひときわ妖しく眼光が輝いている異様な2人の将校。某大尉と、新藤中尉がボスであった。大尉は絶え間なくピストルを天井にむかって発射していた。
 当時、私物としてピストルを所持していた者はきわめて少なかった。
 伯父の工場では海軍の砲弾をつくっていた。さいきん、海軍の陸戦隊のための大量の銃剣を受注した。それでわたしに陸軍の銃剣の構造を問うたことがある。
 炭坑のスト破り。ヤクザが7~8人あつめられ、トラックの荷台に乗ってやってくる。荷台の上でダンビラを振り回しながら酒盛りしている。襲撃する方だって怖いのだ。
▼川上哲治『巨人軍の鬼といわれて』S49
 ※梶原一騎は野球を全く知らなかったので、こういう本を片端から読んでネタに取り込んだのだな――とよく分かる一冊。
▼鳩山一郎『スポーツを語る』S7-8
 ※支那事変がなければ、次の五輪は東京で開かれるはずだった。それを盛り上げる企画。
▼近藤彌一『野球の駈引 常識篇』大12-6
▼大阪毎日新聞社ed.『最新野球戦法』大12-1
▼伊夫伎孫治郎『支那長江貿易詳覧』大11-3
▼白井恒三郎『馬利用有畜農業論』S11-6
▼高桑藤代吉『東京市の舗道』大8-11
▼西沢勇志智『日本火術薬法之巻』S10-11
▼Colin J. Smithells著、川口寅之輔tr.『タングステン』S19-6、原1926
▼二宮寛『サッカーの戦術』S47
▼腰本寿『私の野球』S6-5
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