スタートリック

 大蔵省が恐れているのは、赤字国債や政府紙幣の、「その先に来るもの」なのだろう。
 具体的には、西南戦争中の「西郷札」であり、大東亜戦争中の「軍票」であり、江戸時代の「藩札」なのだろう。
 政治家、政党、あるいは日銀や内務省(大蔵の最強ライバルだったが分解されたので分割制圧しやすくなった)、通産省(海軍省のゾンビ)、陸軍省(死んでくれた)や軍需省や満州国や大東亜省(流産したはずだが外務省内にDNAの切片が生きているかも知れん)その他の、要は正統大蔵省ではない有象無象一切の機関の権限が、正統大蔵省の権力を侵す事態を、防衛圏最前縁たる「プライマリーバランス」によって予防的に防遏しておきたいのだろう。
 衆愚政治には一片の救いがある。愚かさのツケを大衆自身が払わされるという、自業自得のわかりやすさだ。
 しかし官愚政治だと井伊直弼と同じで一片の救いもない。権力と責任が分離されているからだ。そのため超法規の対官テロが盛り上がってしまったのが幕末維新だ。今日、武士ではない官僚に肉体的な死をもって責任をとらせるわけにいかないから、総選挙で国民に対して責任を負うている代議士(衆議院議員)たる大臣が部下局長を何の説明もなく随意随時に閉門蟄居させられるような制度改革が必要なのだ。挫折しつつある小泉ムーヴメントの最終ゴールはそこだった。
 パペット与謝野氏はマジックワードを出した。「藩札」だ。
 藩札と聞いてネガティヴなイメージをパブロフスドッグのように思い浮かべるのは、1970年前後に月刊『ガロ』を読んでいたマル経・マル歴一色の大学生、つまり今の官庁最上層世代である。
 とうじの『ガロ』に「カムイ外伝」が連載されていた。その中に、藩札の、硬貨に対する価値の低さが、描写されているのだ。
 もちろんこの劇画は、「江戸時代=真っ黒」のマル歴革命必然史観で律儀に貫かれていた。わたしは偶々小学生のときに、従兄弟からタダで貰ってその数年分をまとめ読みしたので覚えているのだ(ただしついていけたのは「鬼太郎夜話」と四コママンガだけである。鬼太郎といえば『表現者』に三田村雅子先生が登場していて驚いたね)。
 日本人には倹約のモラルがあった。江戸町民たる大工が宵越しのカネを持たなかったなんていうのは、明治の落語の中だけのフィクションだ。大嘘だ。
 明治前半の落語家の多くは幇間の世界に生きていたから、じぶんの自堕落な金銭感覚を肯定的に投影して、罪の意識を中和しようと試みたのだ。裏から透かし見れば、幇間(放蕩息子の成れの果て)すら気にせざるを得ないくらいに広く深く定着していたモラルなのだ。さもなくば「家主」という中産階級がどこから湧いてきたのか。
 「藩札」イメージは、この日本人の伝統的家計モラルに訴える。〈カネが要るなら質屋に行くか妻女を売れ。そうした担保が無い信用享受など庶民は考えるな〉と。
 デフレを忍べ、というモラルだ。
 根が貧乏性の役人である小栗上野介は、このモラルから、かつて対馬を外国に質入しようとし、また御気楽な榎本武揚は、箱舘郊外の農地をドイツ人に租借させるのに特に問題はないと思ったのだろう。
 幕府や諸藩が欧米製の兵器・機械を輸入するときにだけ、どうしても金貨が必要だった。幕府は比較的に大量に保有していた金貨を、軍艦輸入や、兵器製造機械の購入や、そもそも金貨で支払う必要のない沿岸要塞工事を急ぐために、使いすぎたのだろう。もし陸上火器の購入にだけ使っていたなら、幕府はかんたんには倒れず、幕末混乱はさらに延長したろう。なまじ、機械を買い込んでいたために、内製ができるはずの小火器ごときに大枚を支払うのはムダだと、彼らは判断していたのかもしれない。それは結果的に愛国的な判断だった。
 幕府は、(郡県制ではなく)封建制の下でなしくずし的に自由貿易に移行すれば、日本は外国勢力によって分割されてしまうと直観できていたのだ。だからあくまで海防(鎖国)に責任を持とうとしたのだ。そして大政奉還によって封建制を自殺させた。
 幕藩時代の諸藩は大坂の豪商からものすごい借金をしていた。その多くは最終的に踏み倒されたのだろう。しかしあくまで日本国内で完結する「徳政」といえるので大禍に至らなかった。幕末混乱期にも新政府軍は豪商から強制上納金を集めた。今でいうなら法人税の超累進みたいなものか。これも日本国内で完結していた。
 だからインフレは抑えられ、むしろデフレ不況になったのだ。
 WWII直後も同じだろう。新円への切り替えに、日本国民は暴動を起こさなかった。敗戦前に買った国債は、「お上」に献金したも同然となった。
 大蔵官僚は、この非合理的なまでに愛国的で従順な国民を保護してやらねばと思ったことだろう。いまの後期高齢世代が受け取る手厚い年金は、この新円切り替えに対する、1世代ずれた、遅めの補償(ご褒美的慰労金)のようなものじゃないか。
 とにかく明治いらいの大蔵省は、重商主義と同じくらいにデフレが好きなのだと想像する。