オピニオンを「買わせる」ことの不自由さ

 『諸君!』が休刊ですって? ネットで聞き及びました。不況と「政界ドゥームズデイ」に敏感なのでしょうね。文藝春秋社の株(もちろんバーチャル)は、上がるんじゃないでしょうか。
 社内では、ウン十年前みたいに、総力を投入した重量級のインベスティゲイティング記事のために、優秀な記者さんたちを五、六人くらいも貼り付けて行ける、そんな体制を、また、とりたいのかもしれません(むろん、これはアウトサイダーの憶測です)。
 考えてみれば、「第二の立花氏」も、未だに社内で育成できてません。
 としますれば、月刊『文藝春秋』本誌や、『週刊文春』の、近未来の破壊力増強が期待できそうだ。
 しかし個人的には、週刊誌の発売日が遅い田舎のヒキコモリ自営業であるために、わたしは週刊誌をタイムリーに読む機会がゼロですので、とても残念です。
 文春の雑誌記事のために社会的評価を致命的なまでに落とす「巨悪」が次々と出る――、そういう時代が近々、来るのだと信じて忍ぶことにしましょう。(あるいは、庶民が誰も予測もしなかったような大疑獄事件が、まもなく立て続けに表沙汰にされるのかもしれませんね。)
 追懐です。
 1997年頃と思いますが、自分の力作の寄稿が載った『諸君!』の最新号(書店発売日よりも早く郵送されてくる)をママチャリのカゴに放り込み、上野の不忍池まで出掛けて、ベンチでじぶんの記事だけ2回繰り返し読んでから、また文京区のボロアパートに戻って行った、あの初々しい痛快感を、新人寄稿者がもう味わうことはないのだな…と思いますと、寂しいですねぇ。(これらの記事はそのご私の単行本には収載されていませんから、図書館で読んでみようという人以外には、存在しないも同然ですな。)
 雑感です。
 プロ・ライターの気分は、輓近、「編集長」化してます。ネット普及が一定以上に達した、だいたい西暦2004年以後の、日本国内の傾向でしょう。
 そのせいでしょうか、近ごろは、あちこちの大物ライターが、自己都合で書きたい記事を押し込んでくる圧力に、異動の頻繁な、あるいは多忙すぎる編集者たちが、イージーに屈しているんじゃないのか――、と思うような誌面に、しばしばお目にかかります。
 (それを言うと、オレの96年論文も江藤淳の押し込みですよ。でも、斉藤禎さん時代、つまりオレが学生だったときには、原稿は江藤のプッシュに関係なく、見事にリジェクトされているのです。その原稿がどんな内容だったかは、1995の『日本の防衛力再考』の巻末附録から、ご想像ください。)
 こうした記事の共通な特徴は、1頁で語れるはずの話を3頁くらいにも引き伸ばしていることです。要するに読者本位ではなく、ライターの営業収益本位(字数に応じて原稿料が増え、取材費は編集部に負担させた上、何号かまとめて単行本にすれば二期作で印税も稼げる)なのです。
 江戸時代の民間大工がわざと工期を延ばそうとチンタラ仕事をしていたのを武家屋敷の発注主も強腰の監督指導ができなかった、そんな図が思い浮かぶでしょう。
 もしそんな記事が1号中に複数、いつも登場するような状態になったなら、左翼主義雑誌だって閉塞するのではないでしょうか。つまり、雑誌社が特定のライターたちにたかられている状態ですよ。わたしもたかる術はないかと冀求し続けているコジキの一人ですけども、長い記事を書くときには読者にぜったいに損をさせないように新ネタを仕入れます。当然なことに、それはネット上の無料テキストと重複がないようにしなければならない。
 オピニオン雑誌に、興味の細分化している現代の読者の気をひくような、短くて高濃度の完結記事が、ひとつ載っていたとします。それは、立ち読みされておしまいでしょうね。
 しかも、ほとんどの読者は、異論を脳内でスルーしますので、真のオピニオンは伝達されないことが多いんです。(たとえばわたしは公然たる反遠洋捕鯨、反霊璽簿、反田母神論文、一億総背番号制大賛成の記事を何度か書いてきていますが、雑誌の常連購読者は誰も認識してないでしょう。この空しさたるや……。)
 オピニオン雑誌向けの長い記事の2~3本分の文字量(=労力)で、薄い新書を1冊つくることができます。新書は、興味の細分化している消費者に、立ち読みでなく購入を誘いかける引力をもつでしょう。
 良心的ライターにとっては、実売部数の少ないオピニオン雑誌で1ヶ月間だけ力作が掲載されるよりも、書き下ろしの新書をプロデュースしてもらった方が、いまやメリットが大きいかもしれません。
 おしまいに、『諸君!』4月号の「秦 v. 西尾」対談について。わたしは秦氏を支持します。しかし田母神論文のタイトルは「日本は侵略国家であったのか」なんですから、秦氏はこれに対して明瞭に「日本は侵略国家であった。なぜなら……」と答えねば、スッキリしないんじゃないでしょうか。編集者はどうしてそこをはっきりさせないんだ?
 わたしは、はっきりさせました。並木書房の『予言・日支宗教戦争』は、昨日、見本が刷り上ったようです。田母神論文騒動に興味がある方は、是非、この本の前半3章をお読みになってください。
 以上、「オレにもっと書かせていれば、『諸君!』も潰れなかった」と歎いているあまたのライターの代弁にはすこしもなっていないカキコでした(w)。