選挙が(小沢氏にとり)至福のレクリエーションではなくなる日

 ひきこもっていると一生絶対にわからないのが、選挙の面白さです。
 そこでわたしは杉山穎男さんが平成13年の参院選に出る(それも前田日明さんの代打として)と聞いたとき、『落ちるに決まってんだろ。家族の人もたいへんだな』と思いつつ、面白半分で街頭演説を何度かひきうけました。佐山サトルさんや、一水会の木村さんと肩を並べてね。いや~、あの一夏で、あまりに多くのことを学ばせていただきました。
 街宣車は、選挙期間中は、交通警察の取調べを、事実上、受けないのです。ふだんは駐停車などゆるされぬような場所、たとえば駅前ロータリーに停車させて、拡声器で演説を始めることができる。「法律われに関して何かあらん」という、〈法的な透明人間〉になれるわけです。
 何という非日常の2週間! そしてそこから生まれる同志的な共感。ふだんは気づかなかった、組織的な気色の悪い「政敵/公敵」が街のあちこちに潜伏していたことへの気付き。(大橋巨泉は憎々しかったね。)ここには学生クラブ活動の延長線上の異時空があるのです。これでわたしはピンと来た。小沢さんは、こういう演劇興行空間の中毒力からもう脱けられなくなっちゃったんでしょう。ショウほど素敵なものはなかったんだ。
 GHQ民主主義の議会実験の土台として「聖化」されてきたがゆえに、触法行為に対して部分的に錦の御旗となってくれる、国政選挙。しかし選挙が終わると、関係者は、法的な透明人間ではなくなってしまいます。つまりませんわね。
 若い時に司法試験にチャレンジして果たせなかったと聞く小沢さんには、高級国家公務員式の法運用スキルに対して、コンプレックスがあるだろうと想像します。選挙のときだけ、その法匪どもに対してじぶんがオールマイティになれるんだという錯覚が、彼をやみつきにしてしまったと想像しています。(でも御父君が「一郎」なんていう単純明快な名を敢えて息子につけたのは、はじめから息子を将来の代議士選挙に立候補させる用意であって、法科英才教育などさせなかったから、弁護士になれなかったんだと想像ができますよね。とすればご本人は、弁護士資格をとってみせることで、己れの父親を乗り越えようとしたのかしらん。)
 また、小沢氏とマスコミの相性の良さも、シンデレラ舞踏会中毒の同病だというところにあるんでしょう。時計の針を何度でも12時前に戻し、日常の埒外の楽しいイベントだけを、永久に、延々と、死ぬまでも反復して行きたいという共通願望。
 わたしは、小沢氏退場後の検察がヒーローになり、その検察とマスコミが、演劇空間中毒の麻薬注射の射ち回しをし始めぬように、今から祈りたいと思います。
 それじゃ皆さん、横浜でお目にかかりましょう!