猥褻取締り法の審議には「数値」のハード・イビデンスは必須である

故・ロバート・マクナマラ氏の未熟な営業数値主義は、リアルな「戦争」に勝とうとする政治にもちこまれたとき、国家に大害を為したという話をしたばかりですが、わが国の「児ポ法」導入議論については、この「マクナマラ式」は、詢に正しい。
 数値をハッキリさせない猥褻規制議論ほど、いかがわしいものはないという智恵に、戦後の長い議論の中で、もうわたしたちは到達していなくてはならないのです。
 放置していて現に人権問題が起きていないなら、あるいは限界的特異事例を超えて増える兆しがないなら、それは放置しつつ様子を見ていれば良い、というのが、歴史的な統治の智恵です。小賢しくその逆をやって限界的特異事例をゼロにまでしようと試みて反対に公共の福利を広範に傷つけ失敗するのが、しばしば「社会工学」なのです。
 不況が長引くと警察に良い人材が集まるため、ときとしてソーシャル・エンジニアリングをやってやろうかという、おせっかいな「世直し」情熱が蓄積されるかもしれません。が、それは違う方面で放散して欲しい。「悪い世直し」の責任は、誰もどうせ取れないんですから。大衆が不合理な不利益を長く負わされるだけです。
 いったい、アニメを見て幼女/少女/未成年女子誘拐や幼女/少女/未成年女子監禁や幼女/少女/未成年女子虐待や幼女/少女/未成年女子強姦を為したと自白している犯人が日本で何人いるのか? 既存の法規が不備で、新法が必要なのだと主張する者は、その数字を出すべきです。
 「日本国内で無規制だから北米内で犯罪が起きる」などというのは、まさに「いいがかり」でしょう。外交的にはねつけるのが当然です。逆を考えてみたら分かることです。アメリカ司法は日本の衆議院の要求などに聴従しないでしょう。日本国とその法律は、第一義的に日本国民を保護するためにあります。それができないんだったら、日本国政府も国会も要らない、という話になるはずです。
 狂った犯罪者が多い悪い国の法律を、狂った犯罪者が少ない良い国が採用しなければならぬ必然はありません。
 世界に主権国家が190以上、別々に存在する理由は、まさにそこにあります。また、「単一世界国家」など半永久に有り得ぬ理由も、そこにあります。
 たとえば、ある宗教圏では飲酒はご法度です。そこにはおそらく、歴史的宗教的根拠だけでなく、科学的な合理性も十分に認められるでしょう。
 その禁酒国から、たまたまインターネットで、他国の酒宴の画像にアクセスできたとしましょう。
 その禁酒国は、他国に対して「酒の画像の掲示を違法化しろ。酒は社会的に益よりも害の大きなものであり、それには科学的な根拠もある」と申し入れたとしましょう。
 これに対し他国は、「わが国では歴史的に飲酒行為そのものは許容されており、また酒の存在が社会をくつろげる効能の大きさが、酔っ払いが起こす重大犯罪の害を何倍もしのぐとも承認されて来ている」と言い返せるでしょう。また、言い返すべきでもあるでしょう。
 高緯度国の探検家が低緯度地方を訪れ、赤道直下でも本国と同じ暑苦しいコートを着ているのは、ご本人の勝手でしょう。しかし、赤道直下の裸族に、高緯度国風の衣装を纏わせようとすれば、それは僭越でしょうし有害でもあるでしょう。裸族の社会に欧米の児童ポルノ犯罪に相当する事件は無いでしょう。可能性としては起こり得るのですが、事実として無い。そこが重要です。日本はいわば、平和な裸族の国です。数字を検討すればそこがハッキリするでしょう。
 ところでわたしは欧語圏では語の定義が命であると、これまで漠然と考えてきました。が、今回、米国の猥褻関連法や判例を、二、三、ナナメ読みいたしましたら、一向に厳密ではなかったので、ワロタ。
 ちょっと例を挙げましょう。
 まず「未成年」という言葉です。
 米国司法の猥褻関連用語で minor(未成年)とは、では、どの範囲を指すのか、数値が示されていません。それで、手持ちの研究社『リーダーズ英和辞典』初版第1刷1984刊を見たら、「通例21歳未満」と注されていました。
 えっ……?
 もし20歳のように見える男女まで含まれるとなれば、ネット上で堂々と宣伝されているインノセントハイ・シリーズやらチアリーダーズオーディション・シリーズほか何千タイトルもあるほとんどの実写ティーン物は違法ってことですよね。それにMILFとの境目も曖昧な灰色になる。
 これは現状との乖離が甚だしい。余計なお世話でしょうが、 minor などという曖昧語はもう使わない方が良いんじゃないかと思いました。
 18歳以上でも社会的保護のりっぱな対象になるという法律が、じつは合衆国には厳存するようです。
 1998年3月2日、ニューヨーク州のオルバニー大学で、1978-4うまれで満19歳であった Suzanne Lyall が失踪。いまだに手掛かりがありません。
 Suzanne は実家ではなく寄宿舎で起居しており、アルバイトもしており、彼氏もいた。ほとんど一個の成人に近かったわけですけれども、ご両親は納得しませんでした。
 なにしろ米国では親のいる子供が誘拐される事件が多いので、大衆は、このご両親の悲痛については深い同情を寄せました。(日本では、北朝鮮工作員ぐらいしか、そんな重大犯罪はやらかしません。)
 その結果ついに、全米の大学と地元警察は、大学生をキャンパス周辺で起きる重罪(felonies=これには殺人や拉致だけでなく単純強姦まで含まれるようです)から手厚く防護する措置を取らなくてはならない、という Lyall Act(または Suzanne’s Law)が下院を通過し、2008-8-14にブッシュ大統領が署名して発効したそうです。
 満21歳でも大学生ならば被保護者あつかい、というわけです。法律になるまでに10年近くかかっているのは、「それはおかしいだろう」というサイレントマジョリティのコモンセンスが抵抗をしたからでしょう。しかしこのご両親が同情されるべき立場であることには、どの下院議員も表立って反論などできません。
 さて、もしこのような不合理な法律を、日本でも制定しなさいと米国人から要求されたなら、日本の衆議院は、どうすべきですか?
 相手にする必要はないでしょう。もちろん日本の大学キャンパスにも米国人留学生はいますけれども、国情が違うのですからね。
 「日本にはなぁ、昼間っからマリファナ吸ってフラフラしているような若者は一人も居ねえんだ!」というスネークマンショーがポール・マッカートニーに与えた名言を、何度も噛み締めたい気になります。
 Suzanne’s Law は保護対象年齢を数値で示していないという点でも厄介な法律だと評せます。
 2006年に下院で審議された Securing Adolescents From Exploitation-Online (SAFE) Act では、Adolescents という形容詞が使われています。この語を研究社辞書で引きますと、〈青年期の男子、または女子〉のことだと分かります。「わかもの」という語感にでも近いんでしょうか。
 別の名詞の adolescence を見ますと、「青年期、未成年期、思春期、年ごろ《男14歳、女12歳から成年まで》」と、ヨリ具体的に範囲が説明されていました。
 この「男14歳、女12歳」は、ボーダー指標として、わかりやすい気がしませんか。世間の同意も得易いのではないでしょうか。児ポ法案を審議したいなら、この数値のどちらかが入るべきかもしれません。
 ちなみに Exploitation は、〈食い物にすること・搾取〉です。無から作画した描写の場合、搾取の相手がいないと思うのですが、いかがでしょうか。
 Child Obscenity and Pornography Prevention Act of 2002(思春期前少年ポルノ禁止法案) には、次のような文言があります。
 … depicts a pre-pubescent child engaging in sexually explicit conduct and that is obscene …
 この pre-pubescent とは「思春期前」と訳されます。それは具体的に何歳がボーダーなのか。同法案には見えません。
 研究社辞書では、child(児童)には年齢の範囲限定がなく、 pre-pubescent(思春期前)にもハッキリした境界が無いようです。
 しかし中学3年生が思春期前だとは、米国人の誰も思ってないでしょう。つまりこの米国の法案は、日本で18歳をボーダーとすべく審議されている「児ポ法」とは、明瞭に保護範囲の異なったものです。
 ところが、日本国内には、この米国の Child Obscenity and Pornography Prevention Act が、法案タイトルに「思春期前の」と入っていないことを奇貨として、あたかも同じものであるかのように喧伝する者がいるのです。
 日本の「児ポ法」提案者は、「児童」と投網をかけておいて、「思春期前の」という限定を設けないのでしょう。しかし日本語で「児童」と言ったときに、まさか高校野球選手を想像する者はいないはずです。18歳まで児童扱いする法律文言は、社会の通念から遊離しています。
 米国の関連法規でも、年齢の範囲をハッキリさせているものはあるようです。
 英文ウィキペディアで PROTECT Act of 2003 を見ますと、こんなふうに理解できました。
 ――米国内での街娼とのセックスは、その街娼が18歳未満であれば非合法。合意の素人とのセックスは、相手が16歳未満でしかも行為者と4歳以上年齢が離れていると非合法になる。そして相手が12歳未満の場合は、年齢がいくら近くても非合法。従来、その州で14歳との合意セックスが合法になっていれば、連邦法はそれを罰していなかったが、これからは連邦法で罰したい――。
 余談ですが、辞書をひいているうちに、わたしは「ポン引き」(女衒行為)の語源が pandering らしいということに、はじめて思い至りました。
 ちなみに同法案はCGおよび手書きのイラストも禁じます。
 Child Pornography Prevention Act of 1996 が、2002-4-16に連邦最高裁で違憲だとされたあとに、この2003法案が下院を通過し、大統領はこの法律を2003-4-30に有効化したそうです。としますと、現状は、えらいことになっています。
 この法案名から察しますに、強い規制を求める議員は、17歳の裸でも認めたくないわけでしょう。他方、12歳以下のセックス描写は卑しむべき行為で不快だが16歳くらいだったらもうOKだと考える議員もいた。だから、限定詞を付けない、ただの「Child」(未成年者)という括りになっているのかもしれません。
 マンガが規制されるべきかどうかについては米国内でも論争があったようです。
 連邦下院では、〈アニメのような描画であっても、変態犯罪者の欲情を刺激する。その結果、子供に実害が及ぶかもしれない〉という推論をしたようです。じっさいに誘拐犯罪が多発している米国では、どんなものでも犯罪者の刺激となるでしょう。ですので米国議会は、人の顔面をなぐりつけるカートゥーンや、すぐに拳銃を持ち出すTVドラマの表現も一切禁止すべきです。日本の衆議院がそれを勧告しては如何でしょうか?
 まちがいなく、近未来のコンピュータ関連技術は、本物そっくりのイメージだけでなく、本物そっくりの快楽感覚まで実現できるようになるでしょう。脳内に簡単に自生的に性的快感を引き起こしてしまうテクノロジーが完成することでしょう。いまは、その一歩手前の段階ではないでしょうか。
 日本社会は、バーチャルな感覚がリアルの犯行を抑止するというソーシャル・エンジニアリングに部分的に成功しつつあるのです。これは、官僚が作文したプランニングではなかったからこそ、集合智によって偶然に成功したのです。アメリカが日本に学習するときがきっと来るでしょう。
 1973年に連邦最高裁は、話や表現が猥褻かどうかを決定する Miller test という猥褻定義をあきらかにしています。
 そこでは、全国的基準よりもコミュニティの基準が重視されるべきことが、謳われました。
 しかし、インターネット時代には、コミュニティの基準がボーダレス化しています。ユーザーが世界各地に存在するため、適用される地域慣習をハッキリさせられなくなったのです。
 この場合、最も厳格な地域に価値基準をあわせるのが正当なのか、最も寛容な地域に価値基準をあわせるのが正当なのか、ヨリ上位から判定できる権威は、無いはずです。
 インターネットが普及したからこそ、ただポルノを見るだけでは犯罪にはできなくなりました。(単純所持を非合法化しようとする論者は、「見るだけでも犯罪」だと叫び、しかもそれが〈国際的な常識〉だと主張しています。しかも年齢のボーダーは18歳だそうです。どこの「常識」ですか?)
 わたしも、小学生以下にみえる女のセックスを下手なイラストでいっしょうけんめい描いている連中は、ほんまキチガイじゃないかと呆れますが、その当人がリアルの盗撮やら拉致やらに手を染めず、逆にそうしたリアル犯罪を日本国内において抑制する貢献をしているのならば、誰もそのイメージ創造行為をワイプアウトするべきではないし、アクセス制限などの措置でテクニカルに囲い込んでおくことで十分であると、目下は考えています。
 18世紀フランスがソーシャルエンジニアリングの牢獄をこの世に実現していたとき、英国は自由な思想家の避難場所になっていました。実は不自由な米国に代わって、日本が世界の自由の保証国になる時代が、目前にやって来ているようにも思います。