薩摩硫黄島の意味。

 『大日本国防史』の地の文の執筆が、ようやく「鹿ヶ谷」まで来ただよ。小松さん、元寇のマンガ部分は終わりましたか? 今回は締め切り猶予はありませんよ!
 それで「きかいがしま」を調べていたら、またしても今までの史家の盲点を発見しただよ。
 この火口から船着場までは、数kmしかないだよ。ということは、九州にやってくる宋の商船にとって、「鬼界ヶ島」の硫黄こそが、最も低コストで輸入のできる硫黄鉱石だったわけでござんすよ。
 だから貿易と海防の両面戦略で厳島や兵庫港も整備し、福原に遷都まで考えていたほどの清盛としたら、この「きかいがしま」を、忘れられた過疎島として放置していたはずなんか絶対にないんですよ。
 かならずや、交易船とシナ海軍の監視のための信用できる「手下」を常駐させていたはずなんすよ。標高700mから大隅海峡を監視できる絶好の望楼ですよ。鉱山業者ももちろん働いていたはず。
 だから、安心のできる流刑地ともできたんですよ。
 ……ここから先は、『大日本国防史』ができたときのお楽しみに。
 ちなみに俊寛が1年で釈放されなかったのもとうぜんの話で、彼は法勝寺の数百人のゴロツキの頂点に君臨する暴力団組長みたいなもんだったのですぜ。経済ヤクザのドン。しかも36歳だ。他の2人は、戻ってきても動かせる「組織」の無い小者級だったから赦免したまでです。(小生は吉川英治の『新平家物語』をあざやかに記憶していますが、あれほどありえない俊寛像はない。平曲の「足摺の事」を書いたのは、彼の永久追放を快しとする、敵対寺院の坊さんでしょう。)
 さて、ミリタリーテクノロジーの「Bigger, Badder IEDs in Afghanistan」という記事。記者の署名がみあたらん。
 イラクでは、IEDは個人行動として仕掛けられているという。家のドアから、ふっと出てきて、道路脇にリモコン爆弾を置いて行く。
 イラクでは、the explosively formed penetrator (EFP) shaped charge device が多用されているという。※本当ですかね。
 かたやアフガンでは、すべてが組織的行動。軍隊式の命令に従ってIEDが埋められているのだ。埋める者もプロのゲリラ。だが無線は使わないで踏み板で起爆する。
  しかもこのごろはアフガン独特のIEDとして塩素酸カリ製が登場。
 アフガンのIEDは金属ケースを用いないので探知が至難。とうとう米軍は、対地雷ローラーを使うようになった。
 次。
 チャイナディフェンスブログに2010-3-15に転載された、Kang Juan記者の「China gains Sea of Japan trade access」という記事。初出は 『globaltimes』で3-10らしい。
 北鮮は、日本海側の羅津港の「第一埠頭」を、シナに10年間リースすることにした。
 この港は豆満江の河口からは15km離れている。※手持ちの地図ではとてもそのようには見えないんだが……。
 シナ船は豆満江を通って日本海に抜けられるのだが、これまでは北鮮政府が阻止してきた。
 羅津は、冬も氷らない。4万トンの貨物船まで進入できる。
 琿春市(満州の朝鮮人自治区)から物産を大連経由で対日輸出するのには3~4日もかかってしまう。しかし豆満江~羅津(そこは琿春から48kmであるという)を使えば、新潟港まで10時間しかかからないのだ。
 シナ国境から羅津までの道路は延長50kmで、状態は悪い。このため羅津の能力がフルに活用されてこなかった。
 ちなみにロシアは過去50年間、羅津を原油輸出港として利用してきた。
 これとは別に、鴨緑江をまたいでシナの丹東と新義州を結ぶあたらしい鉄橋の建設も10月から始まる。
 いま架かっている鉄橋は1937完成で、あれはてている。
 ※新潟市がブームタウンになる日も近い?
 次。
 記者不明の「Murphy’s Law なんたら」という2010-3-16の記事。
 軍拡説得の最良の武器は FUD (Fear, Uncertainty and Doubt)だ(笑)。
 シナの軍艦があまり外洋に出てこないのは故障が多すぎるからだ。
 潜航中にディーゼルエンジンを回し続けて乗員が窒息したこともあった。
 金持ちのシナ人は2割。すなわち3億人。のこりは皆、不満を持っている。
 1941の日本と今のシナが違うことは、核兵器をもっていることだ。
 末筆ながら 都築有さま。ブログで拙著をご紹介くださり、どうも有り難うございます。