辻政信の評伝の古本をだれかめぐんでくれ~ぃ。

 札幌の講演会場で手渡ししてくださるとありがたいです。
 あと『町尻量基追悼録』、『井上太郎伝』、楠瀬幸彦の『国民皆兵主義』、櫻井忠温の『大将白川』、佐伯平造の『宰相林銑十郎』、坂部護郎の『将軍長岡外史』、山岡重厚の『回想五十年』、中村明人の『ホトケの司令官』、田崎末松の『評伝真崎甚三郎』、林桂の『国防点描八十年』、村上啓作の『戦争要論』、高山信武『荒尾興功さんをしのぶ』、河村参郎の『英国に告ぐるの書』、それから片倉衷の諸著作など、いずれもご不要な古書をめぐんでくださるとありがたいであります。
 さて、Joe Pappalardo 記者による2010-6-17記事「First Look: Next-Gen Anti-Aircraft Missile Jammer」。
 肩射ち式のSAMからヘリが自衛するためのBAE社の新製品、「Boldstroke」がでけました。なんとBAE社は『ポピュラー・メカニクス』の編集部にその現物をサンプルとして持ち込んで説明をしたようです。※今後、こういうPRは増えるんでしょうなぁ。
 1980年代のソ連のアフガン侵攻最後の2年間強で、米国がムジャヒディンに贈与したスティンガー・ミサイルで、250機ものロシア軍ヘリが撃墜されたと見積もられている。
 イラク占領作戦以後、米英軍は、ソ連設計のSA-7肩射ちSAMに悩まされてきた。これはフレアなどで欺騙することができたのだが、赤外線だけでなく、紫外線でも標的を識別するSA-16が闇マーケットからイラク、アフガンに流入しているらしいので、米国は新たな脅威を感じている。こいつはフレアには見向きもしないのだ。
 2008に米陸軍は急に思い立ったようにしてBAE社に対し、レーザーによってSAMの赤外線シーカーを盲目化させるシステムの完成を急かした。※イラクのゲリラにSA-16が渡るという情報でも得たのか。
 2009末に BAE は最初の Advanced Threat Infrared Countermeasure (ATRICM) を米陸軍の CH-47 Chinooks用に完成した。
 この装置からは、エンピツくらいの細いレーザー・ビームを出す。その波長はマルチバンドである。
 これがイラクのチヌークに装備された1週間後に、チヌークに対するIRシーカー付きミサイルの攻撃があった。
 米陸軍は今年の末までにはこの装置をイラクとアフガンの全ヘリコプターに装着したい。
 なぜチヌークが問題になったかというと、ひとつはアフガンでは道路が悪いので輸送ヘリ頼みである。しかるにヘリの中でもチヌークの熱線輻射は格別に大きい。それだけエンジンが強力なためだ。だからIRシーカー付きの射ち放し式ミサイルの良いマトになってしまうわけなのだ。
 ヘリはその両サイドにBoldstroke をとりつけることで360度のプロテクションを得る。レーザーの指向は反射鏡による。内部の鏡だけが素早く動くのだ。
 6月前半、1機の NATO helicopterが2発の RPGで撃墜されて4人が死んだ。これは初めてのケースではない。
 そこでBAEは、地上から発射された無誘導のRPGの接近をヘリのパイロットに警告する回路も追加したいと考えている。PRGはロケットなので赤外線を出す。それを探知できるはずだと。
 次。
 Christina Mackenzie 記者による2010-6-17記事「Eurosatory Focuses On Afghanistan」。
  このごろは urgent operational requirements (UORs)が言われるようになっている。※そう、防衛省の調達慣行では今後百年経ってもできぬことだ。
 仏陸軍の武器開発計画局の Lt. Col. Gilles Randereauいわく、アフガンのゲリラがnight-vision gogglesを使うようになってきたので、こっちも夜戦能力をさらに高めねばならんと。
 ドイツの専門メーカーSesamは、T-72とT-90戦車用に、進歩したパワーパックを提案している。全自動のトランスミッションで、自動車のような円形ハンドルにより、あたかもオートマの自動車であるかのように戦車をころがせる。しかもメンテナンスは、パックごと交換してからすればよいので、戦車の実働率はやたらに向上する。
 すでに、ポーランドの工場で製造してマレーシアが買ったPT-91Mには、このパワーパックが採用されることが決まった。
 常に移動している部隊の通信小隊が、大袈裟なL字空中線(ワイヤー・ダイポール・アンテナ)を張らずとも、ちゃんと長距離通信ができるという、すばらしい新製品も登場。つまり、アンテナ展張を、かんぜんに1台のトラックの上だけで完成させることができるというもの。
 40kmから200 kmの範囲で短波の送受をするためには、これまではホイップ・アンテナでは不可能で、どうしても a wire dipole antennaを建てる必要があった。つまりトラックを止めて、通信兵がシェルターの中から出て、地面の上で数十mも線を引っ張ってどこかの樹木や高所にひっかける等の作業をする必要があった。
 だがノルウェーのComrod社は、直径150-cmの loop antenna で40~200 kmの短波の送受信ができるようにしてくれた。
 製品名を HF230L OTM という。ほぼ垂直波で、電離層で反射し、 650 km以遠に到達する。
 ただし車両の天井の上に出しっぱなしで機動できるわけではないようだ。展張には数分かかるようである。
 Thales 社は自社開発の Spy Arrowを出品予定。気泡入りプラスチック製の micro-UAVで重さは 500 grams しかない。2008 Eurosatory に出品されたものの簡略化版だ。
 この無人機の需要は、2008-8にUzbin ValleyでNATOと一緒にInternational Security Assistance Forceの作戦中だった仏兵が伏撃され10人が戦死してから、高まった。
 システムは、2機のUAVからなり、値段は$123,000以下である。
 20-kt. の風の中で運用でき、速度は 30~100 km/時、継続して5km飛行できる。ビーコンを発しているので不時着しても回収できる。最近ではジブチで外人部隊がこれを試用して、仏軍が正式採用するかどうかの資料を提供した。
 仏軍がすでに使用しているミニUAVは Trackerである。翼長3.3 meters、胴長 1.4 meters、最大離陸重量 8.2 kgでそのうち1 kgが payloadだ。
 hand-launched 式で高度 2,500 meters を2時間滞空できる。巡航速度60km/時で最大進出距離は 10 km。37 ktの風の中でも運用可能。
 SurveyCopter社の TrackerというUAVはすでに仏陸軍が60システムを購入。歩兵が2つのrucksacksにて携行し得る。システムは2機のUAVと自動追尾アンテナなどの地上管制局からなっている。
 次。
 ストラテジーページの2010-6-18記事「It’s America’s Fault」。
  ケニヤ警察は昔からずっと腐っている。そのためソマリア国境はほぼ開放状態。これには、ソマリアの山賊の方がケニア警察よりも火力が大なるためもある。
 ケニア政府の本心は、隣国ソマリアの内部は大混乱していてくれた方が好い、というものだ。
 ソマリアのイスラム原理主義権力 Hizbul Islamは、その住民のソマリア人がワールドカップサッカーをテレビで視ることを禁じている。これに違反した数十人が逮捕され、すくなくも2人は処刑されたという。
 たくさんのテレビおよびパラボラアンテナが破壊されている。
 Hizbul Islamは国際イスラムテロへの加盟を渋っている。そこでもっとラディカルなグループが分派して al Shabaabという一団をつくった。
 イエメンのタンカーがソマリア海賊から紅海で襲撃されたが、armed security detachment がタンカーに配乗されていて、その火器で反撃して追い返した。
 タンカーによるこのような自衛が増えている。※大航海時代には商船は必ず大砲と小銃を備えていた。その時代が蘇るわけだな。民間軍事会社にとっても、これは新しいマーケットかもね。
 くわえて、36隻前後の軍艦がソマリア沖をパトロールし、上空には有人/無人の哨戒機が飛んでいる。それでも1隻のハイジャックに成功すると儲けが巨額なので、海賊稼業はやめられぬ。
 次。
 Robert Burns 記者による2010-6-16記事「CIA debuts film on secretive ’52 China mission」。
  CIAが最近、プロのドキュメンタリー監督に発注して制作し、部内教育用に映写しているノンフィクション映画をAPの記者が観ることができた。
 ひとつの驚かされたエピソードは、1952-11にシナ系のスパイを満州に送り込んで失敗をしたという話。
 マークを消したC-47輸送機が満州の人員回収予定地に進入して高度を下げた。するとそこにはもう中共軍が隠れて待っていた。発砲され、輸送機は炎上してハードランディング。
 パイロットの Robert Snoddy と Norman Schwartzは死亡。2人のCIA職員John T. Downey と Richard G. Fecteauは捕虜となり、20年以上もシナの刑務所で暮らしたというのだ。
 Fecteauは1971-12に釈放された。Downeyは1973-3に釈放された。2人はいまだに詳細については語らない。
 このフィルムは何を強調しているか。この2人が中共の獄窓に20年間暮らしている間、その家族は、CIAによって完全に金銭の面倒を見られていたのだよ、ということ。