《真実》は最後には勝つが、すぐに勝つとは限らない

 世の中には、本当のことを書かれると、地位や所得を失なうかもしれない人が、ものすごく多いのでしょう。〈NHKが何十年も中継してきた大相撲本場所において八百長はじつは黙認状態の慣行であり続けていた〉ことなどは、まず卑近な例に属するのかもしれません。
 多くの有名スポーツ記者やスポーツ解説者たちは、この事実を知りながら人々には伝えないことによって利権の分け前にあずかり、〈誰もが儲かるビジネス・モデル〉だと思っていたからこそ、こんなに長く秘密が保たれたのかもしれませんね。しかし《真実》はずっと犠牲にされていた。人々は公的な嘘を吹き込まれるために受信料を支払い続けていたようなものです。そして一連の騒動では、〈大手マスメディアや業界人は、平気で嘘の共犯者になれるのか〉という新しい常識も、大衆は推知してしまった。「こうなった責任を感じたなら辞任せよ」等と部内・部外からつきあげられることは、関係する公的団体や官庁の高級幹部にとっては、さぞやおそろしい事態でしょうね。
 真実の流布は、人々による特定者への非難や批判を、にわかに喚起することがあり得ます。そこから、権力者たちの人事交替につながりかねません。それが心配される場合、「真実を隠したい」との動機を、一部の権力者は持つことになります。
 いまから170~150年ほど前には、〈現政府には国防担任能力がない〉ことが、天下にバレそうになりました。
 多大な国税の配分権力を揮っていた徳川幕府の中枢閣僚が、その無能・無責任を問われることになったなら、せっかく苦労して得た地位から彼は離れねばならなくなるやもしれませんでした。そんな転帰をひたすら厭うたあまり、有力幕閣は、「蛮社の獄」や「安政の大獄」を指揮し、非道な《行政テロ》を連発しました。
 かつて1260年にモンゴルの侵略を早々と予言した日蓮は、反政府的なインテリでしたけども、反国家主義者ではありませんでした。それどころか彼は熱烈な愛国者であり、すくなくとも外国に通牒して日本の安全を売るようなタマではないことが明かであったればこそ、江戸幕府よりもずっと人権を軽視していた鎌倉幕府でも、その才学と志操を重視して佐渡ヶ島へ3年ほど遠ざけるだけにしたものです。
 なのに鎌倉時代から560年後の為政者たちは、〈害意ある外国軍隊が、わが国の領域にもう迫ってきている〉という、いつまでも匿し通せるわけがない安全情報からして、すこしでも長くその周知を防遏しようと欲した。そのためには、最先端の知識人の抹殺すらも厭いませんでした。それでも外国艦隊は次々と沿岸に来航しますので、やがて人々は時の政府の器量の小ささを了知することとなり、重大課題を先送りするだけの頼りない江戸幕府そのものが退場させられたのでした。明治維新では《真実》が勝利したと申せましょう。
☆日本の「公務員」と「マスコミ」は親類か?
 わたしはこの1月に『大日本国防史』という通史をまとめまして、今は、次なる作――明治元年から2年まで続いた「箱館戦争」(幕末戊辰戦争の最終局面)を、日めくり式に再現し再検討する書籍(タイトル未定)――に、取り組んでいるさいちゅうです。
 古代から近代までの、あまたの日本の内戦につきまして、わたしが何度も考えさせられますのが、各陣営を動かしていたプレイヤーたちの、不思議なまでの《国家公務員マインド》です。
 「オレは無人島を探して開拓し、そこで中央政府とは関係なく、自由気儘に暮らすぜ!」――といった、リバータリアン的な選択は、日本史上のどんな冒険英雄たちにも、不可能だったように見える。
 いったい、何故なんでしょう?
 そんなすてきな土地がもし発見され、開発されたとしましょう。すぐに中央権力はそこに目をつけ、支配力を及ぼそうとし、さいごには、日本国の税源として取り込むことに成功するからです。
 コンパクトに程良くまとまった群島国家の、それが地理的な特質だった。ジェームズ・ミッチェナーの『南太平洋物語』に出てくるフランス人たちのような、逃避的・孤立的な活計の恒久維持は、日本列島内のどんな僻陬でも、不可能な夢でした。
 過去の冒険英雄たちには、そうなることが既往からも予見し得たんでしょう。なればこそ、彼らはむしろ、中央政府に食い込んで操縦し利用を図り、国家の確かな枠組みを後ろ盾にして、永代継続する合法的な特権を謳歌せんものと、狡智を傾けたのです。
 このマインドは、現代の日本のメジャー・マスコミや有力地方紙の、反日的――そもそも「反政府」と「反国家」とでは霄壤の差があるはずなんですけど、彼らの頭の中でのみ、これはしばしば一緒――なレトリックの謎を理解するときの、鍵にもなるのではなかろうかと、わたしは疑います。
 今より1000年以上むかしです。日本人は、ただ人々の平均よりも頭が良いというだけの資格では、国庫の分配を大きく左右できる権力者になることは望めませんでした。巨大な富・国税の支配者となるためには、天皇家につながる門閥が、エントリー資格として不可欠でした。
 中央の権門との血のつながりが稀薄でも、おのれの才覚を武器に、都から遠く離れた田舎で、住民等を手下に働かせて土地を開墾し、その収入で集団的に豪強になる道は、ありました。が、豊かになった土地と人民を狙ってくる周辺の開発地主たちとは、武力で抗争して自衛する必要がありますし、中央からは国税を上納せよという圧力がかかります。よほど有能な子孫が立て続けに生まれ育ってくれぬ限りは、せっかくの事業財産を地方で永代遺贈できるかどうかは危ぶまれたものです。
 門地・閨閥と無関係な生い立ちでも、庶民の平均より一寸頭がよくて、身体も頑健という、そんな在野の人材を、中央政府が、国税の受給者たる〈文官公務員〉として採用し、かなりの地位までは実力次第に昇進させ活躍させてやろうというコースの、最初に制度的に用意された機関こそ、東大寺ほかの、奈良の仏教寺院に他なりますまい。
 現代の日本の報道関係者や、ニュース解説・論説記事の作り手も、どこか、これら古代の中級国家公務員であった官僧や、その暮らしぶりにあこがれた後代の「私度僧」たちと、風貌が重なって見えます。
 彼らは、建て前の上で〈私益を忘れよ〉との本義の縛りがあるために、都から遠い地方豪族たちのように大々的に蓄財することこそ叶いませんでしたが、諸税を納めなくて可くて給与(現物)を貰うのですから、一人当たりの生涯フィナンシャルや生活の快適性の上で、じゅうぶん恵まれた特権を制度から引き出していたでしょう。
 〈みずから長者に成り上がろう〉との覇気は無いけれども、身体に苦役は負わず、庶民を上から見下しつつ、リスクの無い、健康で文化的な暮らしを、一代かぎりであれば、満喫できたわけです。そして、ちょっと元気のある僧兵は、近年の公務員労組のように、政府や首長たちを困らせ、じぶんたちの処遇の改悪にはあくまで抵抗する方法にも練達しました。また、〈聖徳太子の予言はこうだった〉などと、凝ったテキストを捏造して、社会が必要以上に仏僧を尊敬するよう世論工作を励んだ者たちもいました。
 ただ、いくら無学な雑民にも、「偽善」の匂いは、察することができました。そもそも偽善が工夫されるということは、裏を返せば「善」や「真」に常に世俗的な価値があるということです。イデアとしての善に縛られている僧徒たちが天下を奪い取ることは、このために、難しかったのでしょう。
 開発地主たる豪族や戦国大名には、偽善がありませんでした。もともと葦原しかなかった日本列島をここまで豊かにしてくれたのは、僧侶でも公務員でもない、この人たちでしょう。
 開発地主は、大勢の手下の面倒を見なければなりません。特定の関係者のために、自己の自由時間を捧げ、リスクも冒す……。その自発的拘束の蓄積が過去に十分長く、しかも今後も続くと見込まれれば、関係者は特段の恩義を感ずるでしょう。互いに「偽善」抜きならば、この感情は強烈です。「偽善」を纏わねばならぬマスコミ出身者には、なかなかこんなマネはできません。
 奈良時代の官僧の末裔たる近代日本のジャーナリストの中では、石橋湛山ただ一人が、位人臣を極めています。彼の直前、緒方竹虎(早大から東京朝日新聞へ入り、その主筆を経て、戦中の小磯内閣に初入閣。第五次吉田内閣で副総理格の国務大臣に就き、健康体だったならば吉田の次を狙えたかも、といわれた)が、道を啓いておいてくれました。石橋も、早大を出て新聞記者となり、雑誌の『東洋経済新報』に転じて戦中の自由言論の砦を保ち、さらに第一次吉田内閣での蔵相抜擢等を経てのちに内閣総理大臣になったのでしたが、組閣後2か月ほどにして脳血管症で倒れてしまいました。石橋は、反日主義でも売国主義でもなかったでしょうが、心情的(つまり勉強の足らぬ)自由主義者であり、朝鮮戦争後、ソ共・中共からの対日間接侵略の脅威を誰もが無視し得なかった時期に、反米的な姿勢を敢えて好んで示しました。そこを閣内の岸信介から論難されていて、ストレスが高じていたことは間違いないでしょう。
 その後、日本では、政治部記者が政党派閥の領袖の担当となり、いつしかその手下のような関係になって、大将の引きで陣笠議員へ転ずるというコースも世間から許認されてはいるのですけれども、石橋のように、あるいは戦前イタリアのムソリーニのように、国家指導部筆頭の地位を掴むにまで至った元新聞記者は、現われてはいません。
☆地方新聞はなぜ「反日」の論説を好むようになったか?
 ほどよくまとまった群島である日本では、内戦も〈分離独立〉闘争には向かわず、〈国税をオレによこせ〉闘争に、収斂しがちです。今も、むかしも、です。
 中央豪族も地方豪族も、平氏も源氏も、歴代幕府も歴代反幕府勢力も、めがけたところは、国税を、理念的な国税とはさせずに、己が勝手な支配下に囲い込みたいがための、できるだけ好都合な請求権もしくは請求拒否権の仕組みでした。
 この仕組みからマスコミなどが甘い汁を吸い上げることができる秘密は、わたしたちの人間社会が、あくまで「分業」で成り立っているところにあります。
 他の誰かに財を生[な]させたり、あるいは〈安居楽業〉の境涯を与えた人は、その受益者からみたら偉人・恩人であり、大切に思われて、そうした感謝の総体が大規模となれば、今日の世界でしたなら、ついには政党党首ですとか内閣総理大臣とか、さもなくばそうした看板を指名のできる「キングメーカー」になってくれと、周囲から担がれるに至るかもしれません。
 そこまで行かずとも、大きな見返りを半公然と受納できる、何か都合の良いポジションは与えられますでしょう。
 たとえば、現代の地方の企業や個人は、法人税や所得税・相続税を国税として徴集されています。その一方で、国は、道府県以下の地方公共団体に対して「地方交付税交付金」を分配していますよね。
 この交付金のパイの総体は有限(集められた国税の32%)であり、それを全国の自治体(東京都等を除く)で分け捕り競争しなければなりません。
 県でしたら沖縄が最も著しかろうと想像いたしますが、地元から集められた国税の額以上の交付金を国から補給してもらっているような自治体の幹部や職員や利権関係者の思いとしては、その数十億とか数千億とかの交付金について、頭の中で道義的に強力に正当化できていないと、やっていけないでしょう。
 また、その正当化が、じぶんたちの生涯所得の加増にもつながってくれる。民間よりも格別に恵まれた福利がすでに保証されているくせに、地方の公務員の労組などが堂々と胸を張って、おいしすぎる雑手当の廃止に反対を唱えたり、人事院からのボーナス削減勧告に反発したりもできます。地方が中央に対して居丈高に福利要求を主張するのにも、アンチ「中央政府」的な新聞論調(共同通信社からの配信論説が、あまねく利用されていますが)は、大いに手を貸してきたと言えます。これも、分業です。
 一方、メジャーなマスコミは、国税の徴収と配分を左右できる公人の地位をさらに強化してやったり、その逆に、高い地位にある特定の公人の評判を悪くして、彼と彼の郎党をごっそりと不遇の淵に沈淪せしめ、国税の流れに浴する人々を入れ替えてしまうほどの影響力も行使できるでしょう。
 そうなると新聞社は、何か記事を載せることによってではなく、逆に、肝腎のことは「直書」しないことによって、善悪を社会の中で朦朧化せしめ、政治家や役人や特権金満団体に貸しをつくることも可能になります。
☆表裏ある〈反体制メディア〉を見透かすウィキリークス
 海上保安庁の神戸保安部巡視艇主任航海士が、シナ漁船船長の犯意を立証できる保存動画を、内閣官房長官の意向には逆らって社会に公開しようと行動を起こしたとき、彼は遅ればせながら、日本の既存のメジャー・マスコミが、事件をニュースにすることによってではなく、事件の一部または全部をニュースにしないことによってむしろ商売しているのではないか、と、強く疑ったことでしょう。
 かの《ウィキリークス》の幹部たちも、日本の既存マスコミの体質……というかビジネス・モデルを、洞察できているような気がします。
 米国の在外公館からワシントンの国務省に宛てた膨大な数の外交電文のコピーという漏洩情報を、人々の前に公示してやろうと思った、ジュリアン・アサンジ氏率いる〈脱・国家〉志向の組織《ウィキリークス》は、英国の『ガーディアン』紙、ドイツの『シュピーゲル』誌、米国の『ニューヨークタイムズ』紙、フランスの『ルモンド』紙、スペインの『エルパイス』紙、ノルウェーの『アフテンポステン』紙など、各国で定評ある報道機関を選び、戦略的にそのコピーを渡しているようです。……が、部数(すなわち大衆性)の上ではそれらに負けぬ巨大メディアであると誇らしげな日本の各新聞社は、興味深いことに、一社も相手にされておりません。
 この違いのよってきたるところは、彼我のマスコミの「前史」にあろうかと思います。
 西欧では、近代思想が識字インテリの間にひろまったあとから、近代新聞が簇生しています。日本はその逆です。明治維新とほぼ同時に、近代的新聞が模倣的に導入され始めたのに続いて、その新聞によって西洋の近代思想が講授・広宣され、併行して、国内で議会制民主主義などが論議されたのです。この落差は、いまだに埋まっていません。だから日本でのみ、大新聞や「公共放送」が、近隣の反近代国家の間接侵略の手先になっていたり、特定の役人グループと組んで国民の自由を減らす統制政策を応援しながら、組織として恬然としていられるのです。地方新聞も、中央への提言力が乏しいことを無理してごまかそうとすれば、上滑りな国政非難で読者の前に格好をつけるだけでもよしとされるのです。
 現代および将来の人民の福祉について、過去の政治哲学の蓄積の上に考える訓練のできていた新聞記者や新聞編集者は、明治元年の日本には一人もいませんでした。おかげで日本の新聞執筆者たちは、横文字を解するというだけでいきなり先生面[づら]を提[さ]げて読者に説教ができる体裁を獲得しました。彼らは内心では、人民の幸福を考えるのではなくて、「誰の味方をしてじぶんが得をするか」という関心に集中することが、可能でした。それは、世襲公務員だった武士の処世道のそのままの延長だともいえます。じぶんの味方を盛り上げ、とりあえず敵を叩くために、西洋の政治術語が利用されました。それでは《真実》が犠牲になってしまいますけれども、その被害について、メディア関係者の誰も、怪しまなかった。この調子は敗戦後も改められるどころか「マック偽憲法」によって強化すらされています。たとえば1997年にもなって、〈防衛庁の防衛省への昇格はよくない〉などという売国論説を、少なからぬ新聞が堂々と印刷していることが、確かめられるでしょう。
 幕府通訳として渡欧し、英仏の新聞社説というものをつぶさに読んで感心し、戊辰戦争さなかの慶應4年には江戸で『江湖新聞』を発行して、日本の新聞人の第一号とも称される旧幕臣の福地源一郎は、みずから彰義隊などに加入しない代償行為のようにして、数ヶ月間、論筆で新政府を批難攻撃しました。その『江湖新聞』が発禁になると、福地は士籍を脱してしまって、しばらく英語塾講師で生計を営んでいましたが、何年かして、こんどは新政府が彼を《準公務員》格で厚遇してくれると分かると、『東京日日[にちにち]新聞』を舞台に、喜んで政府に全面協力するのです。この福地の中に、日本の新聞人のモデルが見えるのではないでしょうか。
 無意識裡の人民度外視主義に、さらに磨きがかけられましたのが、第二次大戦後の〈学習〉です。まず占領軍によって同盟通信社を含めてあらゆる事実の発信が禁圧され、「マック偽憲法」を占領軍から非理非法に押し付けられたあとに、メディア検閲が恩恵的に解除されるという段取りで、戦後日本では近代政治哲学の議論そのものがアンタッチャブルにされました。戦前の日本は「憲法精神の前に新聞が有った」珍しい国でしたが、戦後の日本は「偽憲法のあとから明治式の新聞の復活が許された」、ねじけた空間なのです。
☆大不況からの出口をマスコミが閉ざしてしまう
 公務員は、税金を使ったり分けたりすることは得意ですけど、その税収源をのびやかに育てることに関しては、概して智恵は廻りません。逆に商工業者の自由な創意を抑圧し、日本経済を牽引してくれているはずの人々の旺盛な活動を、余計な統制(規制や裁量行政)で邪魔をして、わざわざGDPを引き下げさせているとしか思えないところすらあります。そう、日本では、公務員が公務員のための政策を考え、実施するのです。明治いらい、また「マック偽憲法」いらい、近代政治哲学の根本からの討議はタブーであり続けているために、公務員の身内が幸せであるならば、行政が非効率で人民が不幸となっても、良心は傷まない――という公務員たちが、いつのまにか優勢になろうとします。
 現代日本のマスコミの論説も、税源論(増税論)や分配論は熱心に首を突っ込んで具体的ですが、いざ「成長戦略」「生産性向上ロードマップ」を拝聴しようかと思いますと、ガックリとトーンダウンするでしょう。政党よりもマシなのは、票の買収を狙った「補償バラマキ」を叫ばないことだけで、分業から成り立っているこの日本国内の抵抗勢力をいかにせば欲得ずくに納得させ、健全経済と安全保障を維持し得るのかのビジョンは、語られない。それでは、改革より増税を急ぎたい財務省の広報係と、大差がありますまい。
 人々の幸せはどうすれば増えるのかという近代政治哲学を根本から考えたことがなく、大正期以降の「社会主義」や米軍占領下の「民主主義」をてっとり早く吸収することで、その勉強は済ませたつもりになっているがために、徴税して分配(バラマキ)するだけでも、国家国民経済が成長(または効率化)するだろうと空想するのでしょう。畢竟は〈公務員の親戚〉です。なるほど、わが国では、官庁の公式発表が、『官報』ならぬ、商業メディアの見出しの筆頭に日々載ることが、少しも不自然なことではないのだとも察せられる。
 日本の目下の不況の原因は、公務員の専恣をチェックすべきマスコミが、輪をかけて公務員寄りの発想しかできぬことにあるでしょう。
 この根も歴史的に深いことを確認しましょう。幕末の「徳川脱走軍」、つまり、榎本武揚や大鳥圭介ら旧幕臣と、奥羽越の旧陪臣、その他よりなっていた、蝦夷上陸組の事蹟をふりかえっても、それは痛感できるはずです。
 彼ら徳川脱走軍は、蝦夷地(今の北海道)に「独立政権」を樹立しようとしたのだ、と言われます。
 彼らの幹部のうち幾人もが、欧文で日記が書き綴れたり、三角関数を計算できるほどの洋学通でした。体力もあり、戦場往来の闘争精神も盛んで、蒸気船による航海の最新知識も兼ね備えた、若々しい武士団の頭目たちが、文字通り、多士済々に揃っていたのでしたけれども、そんな彼らが、北海道住民のためには何一つ、善いことはしていません。
 フロンティア地方の行政権力をとつぜん与えられても、ただ税金を取り立てて自分たちの飲み食い代に使ってしまうことしか考えつけなかった、ありがたくもない〈寄生虫〉たちだったんです。
 明治維新によって、本土で公務員(仕官している武士は全員、公務員でした)の業務と安定収入を失なうことになった彼らは、北海道に乗り込み、みずからを勝手に〈世襲の公務員〉の地位に据えて、住民の上に君臨しようとしたのでした。「経済開発」も、できればしたいとは思っていましたけれども、方法をロクに研究しておらず、すぐに、それは諦められました。案件毎に、特定商人や特定外国人に丸投げするという伝統の手法が選ばれています。
 代わりに彼らが、手馴れた調子で着々と実行したのは、倉庫を差し押さえ、商人には上納金を命じ、通行人からは諸税を取り立て、外国船の入港税収入をあてにし、砲台の土工には付近住民を無闇に徴用し、農家や山小屋は夜間の照明代わりに次々と焼き立ててしまい、人々を私的な法度で統制して、その生活と経済活動を不自由にすることのみでした。
 一騒動が終わってみれば、人民には迷惑をかけたのみ、日本国にも損害を与えたのみ……という事実は、ちょっと調べれば歴然としているにもかかわらず、彼ら脱走軍は、歴史小説の上ではむしろヒーロー扱いが目立つでしょう。しかも、それを批評家の大半が怪しみません。
 古代以来、日本のインテリには、病的なほど公務員指向が強いのです。それがいともかんたんに公務員独善主義に直結する。共産主義も軍国主義も根は同じでした。人々が効率的に稼ぐことには無頓着な、「後は野となれ山となれ」式の国税バラマキ行政には、誰もがあこがれを感じてならないのでしょう。
 「満州国」は、そんな公務員たちの夢を地上に叶えた楽園だったようです。東京政府から歳入が補填されるので、現地の役人は税収について何も心配する必要がなく、毎年、使うことばかり考えていればよいという、まさしくこの世の官僚天国だったのです。関係した官吏たちが満州国を懐かしみ、敗戦後も夢に見るというのも尤もでしょう。
☆〈一石 三~四鳥〉の成長戦略に地方紙は智嚢を絞れ
 わが国の人口が、個人の自由の増進にともなって減少モードに転じ、その年齢構成は必然的に高齢層に厚くなっているために、政府によるイージーな景気刺激策(無駄なローテク事業へのバラ撒き)は、効くはずもなくなりました(各段階で役人とそのOBの家計に回収され、乗数作用は即死)。
 しかもまた、日本の道路交通システムが、自動車も法規も、まるっきり老人向けには考えられていませんために、人々は老後のフィナンシャル・プランについて不安でならず、〈籠城〉準備のため、いよいよもって「消費」など考えるわけにはいかなくなってしまっています。
 景気が悪く、その回復の見通しも予感されなければ、生きていても面白くない不幸な人が増え、防衛費の原資たるべき税収も減ります。すると、近隣の外敵が調子に乗ってきます。まぎれもない人民の不幸のスパイラルでしょう。
 他方で、日本の財政を健常化させようと思えば、老人向けの社会保障費が国税の三分の一を喰ってしまうような予算からは、できるだけ遠ざからねばなりません。けれども新聞を買ってくれているのは老人世帯が多いのです。新聞社と、新聞社から資本注入されているテレビ/ラジオは、口にガムテープを貼られた状態ではないでしょうか。
 若い有権者よりも老人の有権者が圧倒的に数の上で優勢ならば、選挙も財政も、世代間不平等の助長に向かうのはデモクラシーの勢いです。いまこそ、選挙で投票ができる日本国民の年齢を、満16歳に引き下げるべきときかもしれません。それによって世代間の「バランス・オブ・パワー」が、いくぶん回復され、カタストロフは回避されるでしょう。社会は分業によって維持されています。16歳にもなれば、社会を破壊することができるのです。ならば反対に、彼らは投票権を行使して、「国民総背番号制を導入し、消費税ではなく所得税と資産税をこそ強化しよう」と要求する資格も持つはずです。(余談ですが、日教組等による反日教育をやめさせるのにも、参政年齢の引き下げが有効です。高校でその地位を利用して生徒の投票行動を誘導しようとした教員は、選挙法違反で逮捕されるだろうからです。)
 国家も社会も分業で維持される以上は、国民の特定の層(たとえば老人)だけに損をさせる政策が、議会を通過したり役人や労組から協賛されることだってあり得ません。国民のどの層も損をしない、なかんずく大票田の老人層が納得できる、うまい財政健全化案を考えるしかないのです。しかもそれが同時に成長戦略・生産性向上インセンティヴでもなければならない。
 長い話を短く括れば、老人社会保障費を減らして景気も浮揚させ経済も効率化させて長期的に税収も増やす一石四鳥の手はいくつもあります。具体的なことは過去の拙著、たとえば『「自衛隊」無人化計画――あんしん・救国のミリタリー財政出動』『「グリーン・ミリテク」が日本を生き返らせる!』などをご覧下さい。中年が老後について、老人が人生の終末期について、金銭的な不安にかられなくても済むような社会法制は、持続的なものとして合理的に考案可能です。ところが、その採用の検討を、役人の無気力と新聞の反日主義がコラボして妨げているのです。いまの不況は、官製不況でありまたマスコミ世論製不況でもあるでしょう。
 わが国は、たとえば医療用ロボット分野でもいつのまにか世界の後進国になってしまっています。これもロクに報道されざるおそろしい事実のひとつでしょう。そうなっている理由につきましては、残念ですがわたしは業界のインサイダーじゃありませんので、あれこれ想像するしかありません。
 1980年代に、日本の製造工場のラインで使う組み立て加工用ロボットが、顕著に発展して普及しました。これは、旧通産省(いま経産省)の官僚が何かをしたからではなく、逆に、役人が何も邪魔をしなかったおかげが大でしょう。アセンブリー用腕形ロボットは、1950年代の米国SF小説が空想で描き、それをジェネラルモーターズ社で1961年に実現したのが嚆矢でした。日本のメーカーも最初は米国製ロボットの模倣からスタートしました。しかし米国では、自動車会社の組合が強かったり、その経営者に長期投資が許されなかったりと、工場用ロボットの改善や普及を遅らせる条件が多かった。日本にはそれが少なかったために、ロボット市場が急速に創成され、ロボットが雇用と税収を増やしてくれたのです。察するに、医療用ロボットや介護用ロボットでは、この逆の現象が起きているのです。
 オペレーターがつきっきりで操作する「手の延長の道具」としての医療用/介護用ロボットが、もっと洗練されてわが国の隅々まで普及すれば、国や自治体の医療関連負担は軽減され、税金や公的保険料の必要量も減じ、日本の経済成長にとっての限りない好循環が生まれるでしょう。これはホンの一端です(詳しくは過去の拙著をお読みください)。
 日清戦争の前まで、日本陸軍の歩兵銃の開発を担任していた村田経芳(つねよし/つねふさ)は、少将で退役した後の活躍が、また光り輝いています。村田は若いとき、外国語の学習が不得意でしたので薩摩人ながら公費留学をさせてもらえませんでした。つまり「準エリート」でしたが、他の外国通の秀才官僚や軍人幕僚たちのように、世の中を不自由にすることでじぶんの利益を増やそうと企むところがなく、純粋に人々の幸福を増やす事業を老後に続けたアイディア・マンだったのです。
 村田は、対清戦争を前にして、大量解雇を迫られていた古巣の陸軍工廠のために、〈廃品の軍用小銃の機関部を再利用した民間用猟銃を工廠で受注生産して、廉価に市販してはどうか〉と提案。みずから必要な設計を買って出て、それを実現しました。秋田のマタギがなんと1950年代までも愛用していた猟用散弾銃の「村田銃」は、退役少将である村田の創意工夫によって、このようにして市場に送り出されたものだったのです。国家もそれで得をし、工廠も熟練職工を抱え続けることができ、軍も悦び、民間のプロ/アマのハンターたちもその価格の安さを歓迎しました。村田は、関係するすべての人々を、幸せにしました。
 政治家や役人は、人々を不自由にする余計な規制ばかり考え出すのではなく、どうしたら村田のような有益な創意がもっと世の中に行なわれるようになるか、日々、三省すべきでしょう。地方新聞には、その着眼があるでしょうか? むしろ政治家や役人の選択の幅を狭める誘導ばかりしているのではないでしょうか。
 たとえば夕張市は、海水冷却を必要としない新型原発を誘致することで、おなじ北海道にある泊村のような「不交付団体」(地元での税収が巨額であるため国から地方交付税を受ける必要がない)として、一躍、蘇ることができるのではありませんか? これから中東動乱で原油が高騰すれば、いちばん生活に打撃を受けて苦しまねばならないのは、北海道の住民ですよね。地元の新聞が、ほんとうに地元の人々の幸せに貢献しているのかどうか、これから、人々が判定するでしょう。
※兵頭先生より何故か書き込みができないため、管理人が書き込みしております。
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