フロンティヌス戦術書を1921年に英訳したベネット教授について

 本日は、都内の大書店に『[新訳]フロンティヌス戦術書』が搬入されます。夕方にはPHP新書のコーナーに並んでいるかもしれません。
 英訳者のC・E・ベネット氏については、ウィキペディアの英文版くらいしか紹介情報がないので、ここで兵頭が抄訳しておきます。
 チャールズ・エドウィン・ベネット(Charles Edwin Bennett)は、米国人で、1858年4月6日の生まれ、1921年5月2日の没。
 さいごはコーネル大学のラテン語教授でした。
 彼が書いた『新ラテン文法(New Latin Grammar)』(1895年初版)は、いまでも再版されて売られているそうです。
 生誕地はロードアイランド州プロヴィデンス。
 ブラウン大学を1878年に卒業すると、まずフロリダの中等学校で最初の教職キャリアをスタートさせ(1878~1879)、次いでニューヨークの学校に転職します(1879~1881)。
 そのあと、ハーヴァード大(1881~1882)とドイツの大学(1882~1884)で、彼はさらなる研鑽に励んでいます。
 そののち、ネブラスカ州で教職に就き(1885~1889)、マディソンにあるウィスコンシン州立大学で1889年にラテン語の教授になっています。
 続いて1891年にブラウン大学で古典言語学の教授となり、1892年に、コーネル大学のラテン語教授に就任しました。
 彼の構文法(シンタクス)研究、すなわち仮定法に関する著名な諸論文は、ラテン語文典を統計学的に調べ直すという作業から生み出されたもので、その新しい用語例整理体系は、注目されました。
 彼は、「利用可能なラテン語文典の全データを、まず再調査すべきなのだ」と強調し、斯界をリードした一人でした。
 彼の重要な業績は、音の長短をリズムの基礎とするラテン詩朗詠法を強調したことです。彼が編集人の一人であった紀要『コーネル大学古典言語学』第9号に所収された「最近のいくつかの仮定法理論に関する批判(Critique of Some Recent Subjunctive Theories)」(1898年)に、それは論述されています。
 そして Schulgrammatik 〔学校文法〕という当時のドイツ最新の言語理解アプローチ法を、最初に学問的にアメリカに紹介しようとして成功したのは、1895年刊のベネット著『ラテン文法(Latin Grammar)』でした。
 ベネットは、ラテン語古典シリーズをいくつか編集しています。すなわち、タキトゥス著の『Dialogus de Oratoribus』(1894)、キケロの『De Senectute』(1897)、およびキケロの『De Amicitia』(1897)です。
 ベネットは、1900年には、中等学校向けのギリシャ語とラテン語の教科書『The Teaching of Greek and Latin in Secondary Schools』を出版。
 1907年には、George P. Bristol との共著で『The Latin Language』を上梓。
 1902年には、William Alexander Hammond との共訳で『The Characters of Theophrastus』を公刊。
 そして、ローブ古典文庫(Loeb Classical Library)所収の、『ホラティウス詩撰集(Odes and Epodes of Horace)』も訳編しています。
 以上が主な業績のようですが、次のような著述もあります。
 『ラテン語の基礎(Foundations of Latin)』1898年刊。
『ラテン語学習(Latin Lessons)』1901年刊。
 『カエサルのガリア戦記(Caesar’s Gallic War)』1903年訳刊。
 『キケロ名演説選(Cicero’s Selected Orations)』1904年訳刊。
 『ラテン語作文予習(Preparatory Latin Writer)』1905年訳刊。
 『初期ラテン語の文構造(Syntax of Early Latin)』上・下、1910年刊。
 『新・ラテン語構文(New Latin Composition)』1912年刊。
 『新・キケロ選集(New Cicero)』1922年刊。
 最晩年にフロンティヌスの英訳を手がけている動機は、やはり第一次大戦でしょうね。留学先のドイツが敵国となったショックが大きかったのではないかと拝察します。享年63。