2013-12-22に南スーダンの難民地区警備担当の韓国軍の隊長が、小銃弾が足りないので分けてくれと近所の自衛隊に乞うてきたので23日に1万発をめぐんでやったという報道だが、この韓国人隊長の決心の背景(もしくは底意)が何なのか、不審であった。
しかしストラテジーページに以下のような記事があったので、理由を推察し得た。
この韓国人隊長は、米軍発の最新の「戦訓まとめ」情報を読んで、焦ったのだろう。
記事は「Things You Need To Know To Survive Combat」というタイトルで検索すると出てくる。ストラテジーページには2013-12-27付でアップロードされた。毎度のことながら、ソースは明記されていない。
しかし元ネタとしての米軍情報が27日よりも早く世界中の紛争地帯のPKF/PKO諸隊に対して公表配布されていたと想像することはゆるされるだろう。韓国人隊長は、本国の参謀本部でハングル訳されたかしたその「戦訓まとめ」をFAXかメールで読んでしまい、焦ったのだ。
以下、抜粋抄訳。
イラクとアフガンで米軍は、いろいろな貴重な戦訓を得ている。その一部はこうだ。
おまえの基地・陣地を離れるときには、常に銃器は手放すな。
弾薬は、持てるだけ持っていろ。
緊急事態では、弾薬はいくらあっても困るということはないのだ。予備マガジンは1人で最低14個以上確保しておくのが、良い心掛けである。
※つまり30発入り弾倉を14個。これだけで1人420発以上もが必要。
もし、おまえが乗っている車両を棄てて徒歩で飛び出さなくてはならなくなったとき、弾薬は車内から全部持ち出せ。その弾薬しかお前を守る確かなものはないのだ。
大量の弾薬を徒歩で携行する方法は、よく見回せば、必ず見つかる。イラクでもアフガンでも米兵たちはその方法を発見してきたのだ。
銃戦中、弾倉を交換するときは、頭を地面につけ、全身を低くし、おのれを最大限、遮蔽しておこなえ。暴露した姿勢で弾倉交換をするな。必ず撃たれる。
現地では、常に射撃訓練をしていること。それも、距離800mでやること。それより短いのはイラクやアフガン〔やアフリカ〕では実戦的ではないから。
パトロールの前の日に、800m射撃訓練をやっていたかいないかで、まさにその兵士の生死は分かれているのだ。
※この訓練用の弾薬だけでもたいへんな数量が必要なわけだ。
車両で走行中に狙撃されたら必ず撃ち返せ。それで敵は動揺し、その照準は甘くなる。
子供たちに菓子類を投げ与えないこと。それをやると子供たちは車両に近づきすぎるようになり、必ず轢き殺す。親は自宅からAK-47を持ち出して、おまえに復仇するまでつけねらうぞ。
※戦地では内地と違って「超乱暴運転」がむしろ安全であるとして推奨されているため、交通事故はいつでも起こる可能性がある。余談だが、この超乱暴運転に慣れてしまった米兵が復員すると、市街の交差点で、頭がおかしいんじゃないかというような事故を起こす。
銃撃戦で敵兵が倒れたけれどもまだ死んでおらずに動いているように見えたとき、必ずトドメを刺すべし。確実に死んだと思われるまで射撃しろ。
一般のトラックのようなソフトスキン車両は弾防ぎの足しにはほとんどならないから、それを楯に銃撃戦をしようとは考えるな。かならずコンクリートか鋼鉄構造物の背後に遮蔽すべし。
非装甲車両が銃撃戦のさなかに動けなくなったときには、走ってその車両からできるだけ遠ざかれ。
地元住民のクルマや人で混雑する道路でおまえたちの乗った車両が渋滞し、しかも近辺にはゲリラが潜伏している可能性があるという場合に、とても役に立つのは手榴弾である。三種類持って行け。
まず発煙手榴弾。これを車外に転がせば、住民どもの車両はサーっとスペースをあけてくれるのでおまえの車両は動くことができる。もし逆に近寄ってくる奴がいたら、そいつはテロリストだから、催涙手榴弾か破片手榴弾を転がせ。車両のボディは手榴弾の破片くらいは防いでくれるのでなんとかなる。
教訓。このシチュエーションでは、安全ピンは、必ず、窓の外にて抜くべし。車内では安全ピンには触るなよ。
教訓。まったく車両を動かせない状態で催涙手榴弾をすぐ近くに転がせば、どうなるかは分かるな? 七転八倒するのはおまえだ。
味方の兵站段列で常用しているメイン・サプライ・ルート(Main Supply Route=補給トラック隊の通り道) は、覚えておけ。そしておまえは絶対にその道は走るな。敵ゲリラは、MSRを狙うにきまっているからだ。
車両に乗る全員に、道路地図を配っておけ。特に交代運転手(ドライバーが撃たれたときに代わる要員)には、運行の目的と、敵情とを、よく承知させておくこと。
※そこで疑問だが防衛省は現地の自衛隊に三種類の手榴弾を十分に補給しているのか? 自衛隊に乞食なんかさせるなよ。