●「読書余論」 2014年4月25日配信号 の 内容予告

▼徳川夢声『夢声戦争日記(三)』中公文庫S52
 S18の日記。この巻は、海軍がソロモン方面で決戦しようという国内向けの宣伝が、内地庶民にはどのように受け止められていたかを知る好資料。山本神話がつくられた過程まで分かる。
 「私どもの〔昭南から内地へ向かう輸送船の〕床下には、妙な男女がいるなと思っていたら、女たちは朝鮮P(前線の慰安婦)であって、男たちはその支配人や、ヤリ手婆ならぬ爺どもである。見ていると、兵隊たちが実に大切に扱う。まことに御尤もであり、……。……私たち慰問団よりも厚遇されているかのよう」
 9-5、夜、「宮本武蔵」放送。またしても吉川ムサシを連続放送することになった。戦前にやったときは、市川八百蔵氏と交代であったが……。
 10-30、新宿からの京王電車が、競馬(調布)の客で大混雑。
 12-7、全国どこでもヒマが生えている。霜に遭うまで青々と。
▼防研史料 『昭和12年度 陸軍造兵廠歴史』
▼防研史料 愛甲文雄『水中兵器について』S29-3
 愛甲の考える敗因。作戦部隊から集まるいろいろの好資料を「戦訓 即 金庫」とばかりに死蔵していた。
▼防研史料 『航空本部関係資料雑綴』S8~S13
 海軍はS9-12頃、飛行船輸送会社を設立させて東京~ホノルル間に就航させる気でいた。
▼渡辺 誠『禅と武士道』2004-10 ベスト新書
 男谷の門人が言行を記した『善行録』。なるだけ仕口を知らない他流と試合することが、剣術にとっては大益。
 山岡鉄太郎(鉄舟 1836~88)は、中年にさしかかったM15に『剣法邪正弁』を記した。剣士が体力をなくしたあとは、どうやって勝つのか? 極意。敵の好むところに随って勝ちを得るまでである。我は、からだの総てを、敵に任せて、敵の好んで打ち来るところに随って勝つのである。
 白井亨(1783~1843)も、すべての剣客が40歳を境に衰えてしまうことに気付き、そのような剣技は馬鹿馬鹿しいと大悟して、老境までも衰えぬ何かを求めた。
▼日本法医学界『日本法医学雑誌』S32-7月号
 S23~30の刃物自殺統計。
▼『日本法医学雑誌』S50-5月号
 S44~48の感電死統計。
▼『日本及日本人』大1-11-1号、11-15号、12-1号
 自決したばかりの乃木希典の逸話をあれこれ。
▼辰野隆[ゆたか]『忘れ得ぬ人々』S14
 pp.81~「漱石・乃木将軍・赤彦・茂吉」
▼アンリ・ロワレット(Henri Loyrette)著、飯田&丹生tr.『ギュスターヴ・エッフェル』1989
▼(社)日本建築学会ed.『塔状鋼構造 設計指針・同解説』S55
▼雑誌『全貌』第49号 渡辺銕蔵「全学連に警告する」
 西独ではアデナウアー首相が、1955-9にソ連との友好を回復したが、それにさきだって、共産党の非合法化を憲法裁判所に提訴し、裁判所は1956-8-17判決を下し、「共産党は違憲である。よってこれに解散を命じ、その財産を没収する。政府及び地方官憲はこの趣旨を実行し、警察権を行使すべし」との主文を発表した。西独政府は、即日、中央および地方における共産党の議員を逮捕し、財産書類を押収した。
▼アウグスティヌス著、服部英次郎tr.『神の国』全5巻 イワブン1982~1991
 初期のローマ帝国は、一神教とは無縁だが、厳格な規律と道徳とによって繁栄した。
 しかし、何も害をなさない隣国を次々に支配するという道徳的腐敗が、ローマを第二のバビロン=悪魔の国に堕落させた。旧ローマ世界がいま、ゲルマンにほろぼされようとしているのも、その政体の因果応報。キリスト教とは無関係である。
 神の国は、キリスト教会の中のごく一部の善き人びとと善き天使が地上に構成する。
 獣に喰わせる刑で殺されたキリスト教徒の死体も、欠損の無い、完全な形で蘇る。
 ギリシャ人は喜劇中で誰であろうと実名であてこすってよいと法律で認められた。役者は軽蔑されないように国家公務員とされた。しかしローマ人は、存命中の人物が舞台上で毀誉褒貶されることを嫌い、役者を市民とすら認めず。さらに、詩人に神を自由に攻撃させ、それによって人間の方が神よりも偉いと主張した。
 アポロとディアナは矢をもっている。太陽と月は地上までその光線を送るから。
 ソクラテス以前の哲学者は、自然の問題の究明に集中した。ソクラテスがはじめて、道徳を哲学者の課題とした。
 キリスト教者は野蛮な生贄など捧げない。しかし、わたしたちが、そのかたの真理のために血を流すほどたたかうとき、そのかたのために血で染まった生贄を屠ったことになるのである(2巻、p.304)。
 「わたしが欺かれるなら、わたしは存在する」「わたしが欺かれるなら、わたしが存在するということが確実である以上、どうしてわたしは、わたしが存在するということを信じて欺かれることがあろうか」(3巻、p.70)。
 聖書によく出てくる七という数字は、奇数3と偶数4のプラスなので、数のワイルドカードとして使われる。
 「太陽の下に新しいものは何もない」――これは、ソロモンの書とされる『伝導の書』に出る。
 この世の生涯は、死へむかって歩まれる行程以外の何ものでもない。
 ギリシャ語のアンゲロスは使者。そこから、天使。
 人間の頭の先から足裏までの長さは、脇と脇の間の幅の6倍。また、横腹における背から腹までの厚みの十倍。
 何かを分配しなければならないとき、年上の者が分け、年下の者が選ぶという、平和を維持するための慣習(4巻 p.183)。
 ヘルクレスは複数いた。あちこちに、いたのである。オイタ山で自分を火のなかにおいて自滅したヘルクレスもいた。
 スフィンクスは♀である(4巻 p.381)。
 ラテン語の、イエスス・クリストゥス・デイ・フィリウス・サルウァトールの頭文字をつなげると、イクトゥス。「魚」となる。
 アナクサゴラスは、太陽は燃える石であって神ではないといい、そのため告発された。
 「ローマは、自分自身の重みを担うだけの力をもたないもののごとくに、ある意味で、自分自身の大きさによって難破していたのであった」(4巻 p.484)。
 敵意や戦闘は悪である。それは確かである。「それにたいして、平和は不確かな善である。わたしたちは、平和を共に保持しようと欲している人びとの心を知らず、また、かりに今日それを知りえたとしても、明日はどうなるのか、まったく知らないからである」(5巻 p.40)。
 ラテン語のセルヴァーレ。救われること。そして、奴隷=セルヴスの語源でもある。由来は、殺されるはずの捕虜が、征服者に命を助けられた結果、奴隷になったので。
 スキピオは『国家論』の中で、レス・プブリカ=国家を簡潔に定義して、レス・ポプリ=人民の福利だと。
 マタイの福音書いわく、「わたしは地上に平和をもたらすために来たのではなく、つるぎを投げ込むために来たのである」と言ったのは主。聖書は、神の言葉はもろ刃のつるぎであると行っている。それは二つの契約という二重の刃をもつからだ(ヘブル人への手紙)。
 炭は、湿気によって崩壊しない。それで、地境の石の下には炭を埋める。それによって将来の訴訟に備える。
 「悪徳とたたかうことは、悪徳の支配のもとにあって闘争を免れているよりはよい」(5巻 p.312)。
 プラトン主義者は、世界は消滅すると考えた。キケロはそうは考えなかった。あきらかにキケロは、「安全のために国が武器をとることを欲した」「そうすれば、国はこの世界においていつまでも存続する」(5巻 p.385)。
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 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。
 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。
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