オペレーション・オトモダチ

 ストラテジーペイジの2015-11-9記事「NBC Weapons: The Embarrassing Secret Of Dirty Bombs」。
  通常爆薬の周りを放射性物質で包んだ「ダーティ・ボム」。こいつが現代のテロに最も適している理由は、毒ガスや病原菌よりも殺傷力があるからではない。大衆が「放射能」という言葉を「塩素」や「炭疽菌」という言葉よりも恐れてくれるからなのである。
 特にラドンごときで大騒ぎする現代のアメリカ社会には、この脆弱性がある。
 プルトニウムのような高レベルの放射性物質はよく警備されている。が、低レベルの放射性物質となると、どんなチンピラでも盗み出すことができ、じっさい、世界中で盗まれまくりだ。
 テロリストがこれを少し集めて火薬の力で戸外で吹き飛ばせば、風にのって放射性物質の微粒子が数千ヘクタールに拡がるだろう。その放射能が誰かを殺すことはないが、パニックは毒ガスの何倍にもなってくれるのだ。
 ※サリン事件のとき、東京の地下鉄は除染後にたちまち復旧した。しかしあれがもし低レベル放射性物質を使った「ダーティ梱包爆弾」だったなら? 東京の地下鉄は半年以上、止まっていたかもしれない。
 核兵器の使用を森林大火災だとするならば、ダーティボムはマッチ1本に火をつけるような行為だ。それは実質、無脅威だ。しかし、大衆とマスコミにとっては右往左往する価値がある。
 こんにち米国政府は、放射性物質を取り扱う労働者に、年に5000ミリレム(mrem)を超えた被曝をしないようにせよと求めている。
 米国内でダーティボムが爆発した後、現場には放射線量計が常置され、復旧後、そこで働く者、立ち入る者たちの被曝量がカウントされるだろう。そしてある人物のカウントが累積5000ミリレムになったとされたら、もうその人は、年内は、そこへ近付くことはゆるされないのだ。
 ながらく、米国では人々は自然に年に160ミリレムの放射線を浴びていると考えられていた。しかしその後、ラドンガスが住宅床下などに滞留することがあると知られるようになり、じつは年に360ミリレム浴びているとわかってきた。
 それいらい米国では、ラドン濃度の高い地域では住宅の床下を強制換気しなさいと指導される。それをしないと居住者が毎年数千ミリレムを被曝することもあるという。
 強すぎる放射線を短時間に浴びれば人は傷つく。だがそのレベルは、桁が違う。1986年のチェルノブイリ事故の場合、134人の消防士が、7万ミリレム~134万ミリレムを、1週間強の間に浴びた。
 その結果、28名が放射能症で死亡した。
 日本の広島と長崎における追跡調査は、学界を混乱させてきた。というのは、データが示すところ、放射能を浴びた人々の寿命は却って延びたようだったからだ。それは、被曝者のケアが他の人々よりも優先された結果なのかどうか、そこがよくわからないのである。ロシアでの追跡調査が、この疑問に決着をつけるだろうと期待されている。
 レントゲンの胸部撮影は5ミリレムである。太陽光線に含まれる放射線を人は年間に30ミリレム受けている。石造りの建物は、中の人を毎年50ミリレム、被曝させる。毎年10万マイルの距離を飛行機で旅する人は、そのせいで67ミリレム、よけいに被曝している。
 ラドンガスの放射能ごときに大騒ぎしているような米国のマスコミ環境は、ダーティボムを企画中のテロリストにとっては、いちばん好都合である。わずか数ミリレムの増加や減少でも一喜一憂するのだから、簡単・確実に、ある特定のエリアを、その後何年間も人が寄り付かない場所に変えてやることができるだろう。
 過去に米露は合同で、ロシアの僻地を使ってダーティボムを実験している。そこで、さまざまなタイプの粒子の飛散パターンと、効果的な除染方法について計測・検討された。
 この実験の結果は、テロリストを利口にしないために秘密扱いになっている。だが、漏れ伝わるところによれば、あっと驚くような新知見は、特に得られてはいないそうである。
 ※このような記事が出るのは、イスラエルに対するダーティ・ボムのプロットがあると偵知されたからなのかもしれない。銃後に対する事前啓蒙の記事である。
 次。
 Dan Snow記者による2014-2-25 記事「Viewpoint: 10 big myths about World War One debunked」。
  えらく古い記事だが、ご紹介しよう。第一次大戦の塹壕戦について、現在の英国で人々が抱いているイメージは正確ではない、という話。
 まず、第一次大戦は、最も多数の人が死んだ戦争ではない。
 WWIよりもその50年前の「太平天国の乱」の方が、多くの死人を出していた。すなわち14年間の騒乱で2000万人から3000万人のシナ人が死んだ。これに比してWWIでは非戦闘員も含めて全世界で死んだのが1700万人だったのである。
 また英国人のみの経験に限ると、対人口比率で最悪の戦乱は、17世紀なかばの国内戦。これがWWIよりひどかった。
 WWIではブリテン島の人口の2%が死んでいる。しかし17世紀内戦ではイングランドとウェールズの人口の4%が死んだのだ。統計は無いものの、スコットランドとアイルランドではもっと高率で人が死んだことも間違いがない。
 WWIでは、英国は600万人の男子を動員し、そのうち70万人が死亡。すなわち、11.5%が陣没した。
 また、英国の陸軍将兵の戦死率が最悪だったのはクリミア戦争(1853~56)だった。
 第一次大戦の西部戦線では、英兵たちは、塹壕の中に居ずっぱりだったわけではない。
 長期塹壕生活は兵隊のモラルも健康も破壊するのがあきらかだった。そこで、塹壕に10日間配備したら、次の20日間は、後方の野営地で起居する将兵と持ち場を交替するようにさせていた。
 塹壕も数線陣地帯であるから、敵に近い壕もあれば、遠い後方の壕もある。その最前線の壕には、最大でも連続3日しか、同じ英兵を配置しないようにした。
 もちろん、大会戦のまっただなかではなくて、あくまで閑期中のパターンとしてだが。二段目・三段目の塹壕線であっても連続1ヵ月配備ということはまずなかった。
 こちらから大攻勢をかけている最中には、最前線の塹壕に連続7日ということは稀にあった。しかし通常は会戦中でも1日か2日で最前線配備を交替させていたのである。
 WWIでは、英陸軍の下士官・兵は12%強の戦死率だった。しかし将校は17%である。将校は上流階級の子弟であった。
 特に、小隊を率いた少尉~中尉、中隊を率いた大尉~中尉の戦死率は、高いのが当然だった。最初に塹壕を飛び出し、敵の機関銃に向かって先頭を進むのだから。
 戦死者のうち、イートン校の卒業者だけでも1000名(全員将校)以上いた。これはイートンOBの全従軍将校の2割であった。
 戦時宰相のアスキスの息子も戦死した。また、後に首相になるアンドリュー・ボナー・ローは、WWIで息子2人をうしなっている。アンソニー・イーデンは兄弟2人が戦死、1人が重傷。
 ドイツ軍の指揮官たちは、英軍歩兵を、「ロバに率いられたライオンたちだ」と褒めたという。これは嘘である。アラン・クラークという男による作り話なのだ。WWIで戦死または戦傷した英陸軍将官も200名以上にのぼる。
 いかにもWWI以前、英軍の将校たちは、殖民地戦争しか想定していなかった。
 しかし人間は新環境にはすぐに適応する。彼らもたちまちにして、現代戦争のエキスパートになったのである。
 ガリポリでは、アンザックより英本国兵の方が多数、戦闘している。この事実も認識度が低い。
 そして英軍将兵はガリポリでアンザックの4~5倍、死んだ。フランス将兵ですら、アンザックより死者で上回っているのだ。
 ※ニュージーランダーのことはキウイと言うらしい。豪州人はオージー。
 しかし当時のアンザックの本国人口のすくなさを考えれば、彼らが受けた衝撃の程は、同情ができるだろう。
 第一次大戦の4年間で、戦術は、劇的に変化し続けている。同じことばかり繰返していたわけではないのだ。
 1914においては、時代遅れな騎兵の偵察があり、歩兵は鉄帽ではなく布製戦闘帽をかぶり、支援火力なしで歩兵が強襲を試みていた。両陣営ともに、ライフル銃ばかりを信頼していた。
 しかし1918には、鉄帽をかぶった戦闘チーム〔軽機関銃×1とライフル兵複数〕が、味方野砲の最終弾着に膚接して突撃するまでに進化していた。
 この戦争に勝者はいなかったなどと言う者もいる。
 あきらかに英国はドイツに勝っている。独艦隊は封鎖されていたが、軍港からの自殺的な突出攻撃が命じられるや、水兵たちが反乱を起こした。
 WWI当時のドイツ指導部はヒトラーより利口であった。彼らはベルリンを征服される前に降伏したので、「じつは負けてない」という戦後宣伝が、可能となったのだ。
 ベルサイユ条約は、過酷とはいえない。
 ベルサイユ条約がドイツから剥奪したのは、領土の1割であった。そのドイツは、当時、欧州一、カネモチな国であった。
 普仏戦争でフランスから資源豊富な2州をもぎ取った行為にくらべたら、なんでもない。
 ベルサイユ条約が過酷であるというイメージを定着させたのは、ヒトラーの宣伝である。
 西部戦線の塹壕地帯では、英兵たちが享受した給養はすばらしかった。英兵は毎日肉食した。本国では配給システムで肉が希少品だったときにである。前線では1日に4000カロリーがふるまわれていた。
 また英兵たちは、平時の本国ではありえないようなセックスの自由も堪能したのであった。
 総体に、英国人は、第一次大戦を、楽しんだのだ。※このような記事がネットでリバイバルされる理由は、ロシアとの第三次大戦が近付いているようなので、銃後を啓蒙しておこうというのかもしれない。ちなみに露軍は過去、いっぺんも、米軍と正式の戦争をやったことがない。欧州の古くからの大国として、これは稀有である。