いったい戦後の「科学教育」には成果はあったのだろうか?

 Adam Weinstein 記者による2017-4-11記事「Why The Pentagon Is A Pentagon, And 6 Other Weird Facts About DoD’s HQ」。
 ペンタゴンにはエレベーターがなかった。そしてトイレは標準の二倍ある。どうしてか? 『スミソニアン・マガジン』が教えてくれている。
 1941年にFDRが、手狭になった陸軍省の引越しを考えた。職員は2万4000人いた。ついでにその新ビルには海軍省も入れることにした。
 陸軍省の建設局が三日でラフスケッチを仕上げた。あわただしく買収されたのが、ポトマック川のヴァジニア州岸のアーリントン墓地に近い、五角形の土地だった。
 戦時の物資大動員中であり、鉄材は極端に節約する必要があった。だから高さは5階までに自制された。建設請負業者は、ジョン・マクシャインである。
 しかしFDRが、その立地だと国立墓苑から連邦議事堂が見晴らせなくなることになってよろしくないと判断し、もっと東に建てるように命ずる。そこにもとから暮らしていた、南北戦争後の解放奴隷の子孫たちは、追い出された。
 かくして広い土地が手当てできたために、もはや建物を五角形にする必要はなくなったのである。しかし元のデザインは、低層建築であるため太い鉄骨などが不要で、当時貴重だった鉄資源を節約できる。しかも、連邦議事堂がどこからでもよく見える周辺の景観の障碍にもならないという点もプラスに評価され、そのままとされた。
 ペンタゴンビルは1943-1に竣工した。その外観が見苦しいという政府内委員会の声は斥けられた。
 資材節用の折から、職員用のエレベーターも割愛された。ただ、荷物用が13基だけ設けられた。
 上下階への移動には、職員たちは、コンクリートの斜路を歩いたのである。
 しかしさすがにこれでは不便だというので、ついに2011年には70基の人間用エレベーターが新設されている。
 陸軍省の中でこのビル建築を担当させられたのは、東部出身の典型的都会人で陸軍工兵隊の大佐であったレズリー・グローヴズだった。あまりにも心労が多かったため、彼は、欧州か太平洋かの戦場へ転勤させて欲しいと願っていたという。
 ところが彼はこの難事業を非常にうまくやり遂げたので、次に命じられた仕事は、もっとデカい超難事業となった。ニューメキシコでマンハッタン計画の総指揮を執るように、といわれたのだ。
 建設作業中のグローブズの右腕は、ロバート・フルマン大尉だった。グローヴズはフルマンに、仕事が終わるまでは帰宅をするな、と命じた。そこでフルマンは、ペンタゴン内の武器庫の隣、壁と壁との間に、窓の無い、ベッドとシャワーのある個室をつくり、そこに寝泊りした。竣工から何年もしてフルマンが久々に確かめたところ、それはまったく当時そのままに、残されていた。誰も、そこに「秘密部屋」があることに気付かなかったようだ。そこでフルマンは、秘密任務の公務出張のさいに、この小部屋を借用したという。
 ペンタゴンには標準の二倍の数のトイレがある。これは、建てたところが首都ワシントン地区ではなくてヴァジニア州領だったことが関係する。1940年代、同州では人種隔離法が生きていた。だから州法に従って、黒人専用のトイレが必要とされたのだ。
 FDRは1942-春に建設中のペンタゴンを視察してこの問題に気付き、6月に、連邦職員に人種差別することを禁ずる大統領令に署名した。ヴァジニア州知事は、ペンタゴン施設に関してそれを尊重することとした。
 ペンタゴンの中庭にはホットドッグ屋台があって、毎日、おびただしい職員が往復する。この異常な「動線」をソ連軍は冷戦期のスパイ衛星写真で確認していたはずだ。そこに秘密の地下施設への入り口でもあるのではないかと疑ったかもしれない。とうぜん、ICBMの照準もそこにはつけられている。職員たちはホットドッグ店を「カフェ・グラウンド・ゼロ」と綽名した。
 ※北朝鮮をめぐっては実に馬鹿々々しい言説が飛び交っており、戦前並に非科学的な思考パターンがいまだに多いことに辟易させられる。広島型原爆は、長崎型とちがって、実験しなくとも爆発は確実だと考えられ、最初の爆発がいきなり実戦投下だった。しかし、B-29による本番さながらに手順を確認する投下予行演習は事前に二十数回も反復されているのだ。これを指揮したのがグローヴズだ。併行して、超重量級HE爆弾をB-29に1発だけ積んで、昼間に日本の工場に精密に投弾させるというデータ取りのための実験も繰り返されている。「予行実験」や「手順訓練」をしているかどうかが、その装備の実在を推定する鍵なのだ。音速の数倍で落下するRVが地表から1000m未満の高度できちんと爆縮起爆するかどうか。「カラ撃ち」のテストを一回もしてみないで、どうしてそれを本番に使う気になれるのか。テストはテレメトリー装置を使うしかないから、周辺国はやったかやらないかを確実にモニターできるのである。もし予行テストなしに実弾頭を搭載して発射し、なけなしの「原爆」とやらが不発のまま敵国領土に落ちて回収されてしまったらどうするのか? 少しは常識を働かせろといいたい。「化学弾頭」についても同様である。それを使った弾道弾を撃ち込む演習を一度もしたことがないものをいきなり本番で使用させても、期待通りの戦果など生ずるものではない。「地下鉄サリン事件」は、地下鉄車両や駅構内の閉所空間だったから、揮発したガスが消散せずに滞留し、著効を示した。あれが開放空間だったら、死者はゼロだったろう。
 次。
 Natalie Johnson 記者による2017-4-16記事「Retired Pacific Fleet Intelligence Chief Calls for Tougher Military Policy on China」。
  ジェイムズ・ファネル海軍大佐(今は退役)のとても頼もしい議会証言。
 ファネルは退役前の最後の議会証言――2017-4-13の「米支委員会」にて――で、尖閣を中共が電撃戦で取りにくるのが最大脅威だと。
 2月に訪日したマティスは日米安保条約の第五項を挙げて、日本の領土を守るのが米国の公的な立場だと。
 ファネルは言う。米海軍が東シナ海で、中共ともめごとを起こすのを恐れているような方針をとっているのは、大有害であると。
 米海軍が紛争の可能性を予期するがゆえに行動をためらってしまうことが、習近平にとっての米国操縦の道具になっている。
 自由航行は米国のコア・インタレストである。これを北京からの脅しで自粛するようでは話にならない。
 米海軍も、米空軍も、米海兵隊も、日本当局とともに尖閣海域をパトロールすべきである。
 また、リムパックに中共海軍を招待するのもやめろと。
 ※クリントンはクリーンヒットにこだわったあまり、1994に攻撃を自粛した。核施設だけミサイル空襲して、平壌には最初は手をつけず、同時に「もし北鮮が京城や東京を攻撃したなら、米国は同盟条約に基づき、侵略国の首都を狙った報復攻撃を実行する」と警告宣言すれば、北鮮はもう手も足も出ない。NYCに届く核ICBMが無い段階で、京城や東京を北鮮から先に核攻撃すれば、米国は何の後顧の憂いも無く平壌を核で吹っ飛ばせるだけの話である。「だらだら戦争」の開始こそが中共に「北鮮始末」を強制する政治であることは、すでに論じた。
 次。
 ストラテジーペイジの2017-4-17記事。
   米海兵隊はAH-1ZとUH-1Yに「落下式増槽」を搭載することによって行動半径を25%伸ばしたい。
 標準的なドロップタンクだと、空のときは50kg。満タン292リッターの燃料の重さが237kgなので、プラス50kgで約300kg弱となる。
 次。
 本日のロシア仕込みのフェイクニュース「Russia to Develop Nuclear Round for T-14 Main Battle Tank」。
  ロシアはT-14の主砲を152ミリにして、核砲弾を発射できるようにするという。
 ※そのタマがクレムリンの方角に向かって飛び出したらどうすんの? 常識で考えろってな。