おそらくトヨタはマツダと「水素ロータリー」で協働したいのだろう。

  Michael Elleman汽車による2017-8-14記事「The secret to North Korea’s ICBM success」。
   ムスダンがたてつづけに失敗したあと、中距離の火星12と長距離の火星14がたてつづけに成功。
 かつていかなるミサイル先進国もMRBMからICBMまでかくも一瞬にステップアップしたことはない。
 これを説明する答えはひとつ。北鮮は高性能液燃エンジンの完成品を外国から受領しているのである。
 写真を拡大すれば、火星12と火星14のエンジンがソ連の「RD-250」の改修品であることは明らかだ。
 入手先も、ロシアかウクライナ以外にありえない。
 入手の時期だが、2年前からだろう。
 まず2016-9に北鮮は液燃エンジンの地上噴射テストを行い、そこで80トンのスラストが得られたと発表した。
 次の同様の地上噴射テストが2017-3である。
 このテストの写真で、四つの小さいステアリングエンジン(ヴァーニアエンジンとも補助エンジンとも呼べる)が中心の大きなメインエンジンノズル1個をとりまいていることが知られた。
 2017-5-14に三代目が準備を視察したあと「火星12」実射。高度2000kmまで上がったことで、ポテンシャルの水平射程は3400km先のグァムに十分届くことを示唆した。このときは一段式の弾道弾であった。
 そこで次に二段式が試された。
 2ヵ月もしない2017-7-4に、「火星14」が実射された。高度2700kmに到達。
 さらに2回目の「火星14」が2017-7-28に実射された。高度3800kmに到達。
 最大到達高度の二倍+着水水平距離がポテンシャルだとすると、どちらもICBM基準の5500kmの水平射程があると示した。
 写真から推定するに「火星12」の全重は24トンから25トンだ。
 「火星12」の発射直後の加速度は、フッテージを観る限り、8.5m/S2から9.0m/S2だ。
 北鮮が映像加工していないという前提で試算すれば、「火星12」のエンジン推力は45トンから47トンだ。そのうち主エンジンが39トンから41トンを出し、四つのステアリングエンジンは6トンくらいを発生しているだろう。
 「火星14」の全重は33トンから34トンだろう。
 その発射直後の加速度は4m/S2ないし4.5m/S2だ。
 推力は46トンから48トンだろう。
 しかし北鮮が国内で液燃ロケットエンジンを開発したと思われる証拠は皆無だ。
 北鮮が過去にコピー製造をしてきたスカッドやノドンのエンジン技術と、推力40トン級の液燃エンジン技術とでは、次元が違うものなのである。
 2016-9と2017-3の地上エンジン噴射テストの画像を比べると、その液燃エンジンは同じものである。
 なぜ国産ではないと断言ができるか。その完成品の前段階である比較的出力が小さいエンジンのテストを実施したという過去の宣伝公表が一切皆無である。技術進歩の中間ステップが存在しないのだ。
 スカッド、ノドン、ムスダンは、いずれも、A.M.イサイェフというロシア企業がエンジンを開発・製造し、それを北鮮がコピーしたものである。
 スカッド、ノドンおよびR-27(そこからムスダンがつくられた)は、V.P.マケイェフという技師の名にちなむロシア企業体が設計し最初に製造した。
 火星12/14のエンジンが輸入品だとしたら、候補はひとつしかない。というのは、米・仏・支・日・印・イランの液燃ロケットエンジンは、貯蔵可能な液燃を使うタイプではないのだ。
 消去法によって、輸入元は旧ソ連以外にありえない。
 ※中共が対北鮮制裁に気乗り薄なのは、それをやると、間違いなくプーチンが北鮮を反支の有力同盟者に仕立ててしまうのが見えているからだろう。
 イサエフ社かマケイエフ社のどちらか、もしくは両方が、かつて、エンジンの対北鮮供給には関わっていた。
 ただし、このどちらのメーカーも、今日、火星12/14で使われた液燃エンジンを製造してはいない。
 ならば犯人はどいつなのか。V.P.グルシェンコ技師の名を冠して発足したロシア企業=今日「エネルゴマシュ」と名乗っているメーカーであるか、そうではないとしてもそことつきあいのある関連メーカーであろう。
 エネルゴマシュは、RD-217、RD-225、RD-250という、充填したままで長期貯蔵が可能な特殊液燃を使う大馬力ロケットエンジンを製造している。そこが北鮮に供給したのだ。
 このうちRD-217とRD-225の外見は、北鮮公表の画像とマッチしない。外見が一致しているのは、RD-250である。
 RD-250は、燃焼室が2個あり、1個のターボポンプからそこへ燃料UDMHが送り込まれる。酸化剤は「N2O4」=四酸化窒素である。1個の燃焼室は394キロニュートン=40トンの推力を発生。
 これが2基ならば70トンから80トンの推力となり、北鮮が2016-9に地上テストで達成したと自己宣伝している数値に近い。
 ところで、だんだんわかってきたことがある。北鮮は2個の燃焼室ではなく、1個の燃焼室で火星12/14を飛ばしている。
 2016-9の地上テストでは新しい設計の燃料ポンプが使われたと平壌は自家宣伝した。1個の燃焼室に改めるためだったとするならば、これは整合する話だ。
 そして、そんな思い切った改造ができてしまう技師は、北鮮人たちであるわけもないのだ。元々のメーカーで長年RD-250に携わってきた技師たちが、北鮮からの注文を受けて、改造設計してやったとしか考えられぬ。
 こうした註文に応じてしまえるような技師は、ロシアのエネルゴマシュ社と、ウクライナの「KB ユジノイエ」社には、たくさんいる。犯人は、この2社のうちのどちらかだ。火星12/14用のエンジンは、まずこのどちらかの会社で完成されてから、北鮮へ売り渡された。
 この2企業の技師が北鮮に招請されて現地でこしらえてやったのだということは考え難い。北鮮にはそんなハイテク設備の工場が存在せぬからだ。
 複数の西側の専門家が2016年に「KB ユジノイエ」を訪れたとき、同社のすぐ近くの大学構内に、同社製のRD-250の単燃焼室バージョンが堂々と展示されており、1人の地元ウクライナ人技師が「オレがこれを作ったんだぜ」と自慢したそうだ。
 未解明の疑問がある。燃焼室が2個ある古い型の方が、パワーが出るのだ。なぜ、わざわざ非力な1個燃焼室型エンジンを売り渡したのか?
 一つの仮説だが、最高技術は渡すなよという指針があって、一つグレードが低い品物を売り渡すことで我慢するしかなかったのであろう。
 この比較的に非力なエンジンでも、二段式とすれば、ICBMを米西海岸へ届かせることは十分可能である。
 RD-250エンジンは、ロシアのグルシコ社が設計し、ICBMのR-36(SS-9)のブースターに採用された。また、ウクライナの「KB ユジノイエ」社製の衛星打ち上げ用ロケット「ツィクロン2」のブースターとしても。
 ツィクロン2による最初の衛星軌道投入は1969年である。以来2006までに106回の打ち上げが成功している。
 ツィクロン2はウクライナ製だが、衛星打ち上げ事業はロシアの仕切りである。
 1991にソ連邦が分解しても、このユジノイエ社とロシア宇宙事業社の関係だけは継続。とにかく信頼性の高いブースターであった。
 しかし2006に、ロシア政府が、そろそろ純国産品に切り換えろということになり、ユジノイエ社は顧客を失った。
 そこでユジノイエ社は、ボーイング社やブラジル政府にも売り込み営業をしかけたが、みのらなかった。
 それどころか2015年以降は、ほとんど倒産の瀬戸際という状態に。
 これまでのRD-250の総製造数(ロシア国内とウクライナ国内)は不明だ。
 しかしおそらく、ユジノイエ社内には200個以上の在庫もしくはスペアパーツがあるのではないか。
 ロシアでツィクロン2を打ち上げていたエネルゴマシュ社の倉庫にも予備エンジンが保管されているはずだ。
 エネルゴマシュ社はロシア国内にたくさんの施設を抱えている。各所にスペアパーツがあるであろう。
 RD-250を用いる現役のミサイルも宇宙ロケットも今は無いのであるから、それら在庫スペアパーツの管理はルーズになっていておかしくない。
 不満を抱く従業員、給料の安い警備員たちは、それらの製品を盗み出し、闇ルートで売ることができただろう。
 高さ2m弱×直径1mの外寸にすぎないエンジンは、航空機でも、はたまた汽車によってでも、容易にロシア国内から北鮮まで密輸ができたはずだ。
 2012の事件。ウクライナ警察が、2人の北鮮人を、ユジノイエ製品を購入しようとした罪過で逮捕し訴追した。
 現在、ユジノイエ工場は、親ロシア派が占領する地区と非常に近い場所にある。誰がそこから不法に物資を持ち出すとしても、好都合な情勢だ。
 北鮮は、ICBMの量産配備のためには、数十個のRD-250エンジンを手に入れねばならないはずだ。そのくらいはもう行ったかもしれない。
 1990年代に北鮮が輸入していたスカッドやらノドンやらムスダンの技術は、ロシアのマケイエフ社やイサイエフ社に関連する。
 しかしその2社は、RD-250を扱うエネルゴマシュ社やユジノイエ社とはほぼ連絡がない。
 北鮮は90年代以降、R-27(ムスダン)を元に、なんとかICBM化しようとして、ついにそれに失敗したと悟った。
 2017-3の「火星12」の発射以前は、北鮮は、イサイエフ社の「4D10」という液燃エンジンを2本バンドルすることでICBMのブースターにできないものか、あがいていた。
 しかしうまくいかなかった。なぜならイサイェフのエンジンは、燃料タンク内で多段燃焼させるという複雑なクローズドサイクルコンセプトなのだ。
 もしRD-250が2015以前に手に入っていたなら、とっくに北鮮の技師たちはそっちに路線転換していたはずだ。エンジンが外側に剥きだしの、平易なオープンサイクルに。
 2016からムスダンの試射が始まっているが、点火直後に不具合を起こしているケースが多い(というか、うまく飛んだのは1回だけで、あとはぜんぶ失敗)。
 原因はR-27エンジンそのものだったのだろう。燃料タンク内にエンジンが埋め込まれる複雑な設計は、北鮮の技術ではとても模倣が不可能だったのだ。
 そこに北鮮の技師たちも気付いて、2016いらいムスダンのテストは行なわれなくなった。放棄されたのだ。
 2016-9に改造型RD-250の写真が現れたのは、時期的に、ムスダン計画の放棄決定と同時だろう。
 そして2016に、倒産寸前のユジノイエ社に北鮮はアプローチした。この闇取引にウクライナ政府が関与している必要はないし、ユジノイエ経営幹部も知らなかったかもしれない。労働者が闇で横流しできるものだ。
 ドニプロペトロフスクとパヴログラドに所在するユジノイエ工場から、エンジンが盗み出されたと疑える。
 次。
  Lily Rothman 記者による記事「Why Americans Stopped Building Fallout Shelters」。
   一般アメリカ市民が裏庭に核シェルターを掘らねばと思わされた時代は、とても短かった。
 それは1950年代から1962年までだった。
 アイクは、公共退避壕の増設はすぐには間に合いませんよという役所の結論/報告に悩んだ。
 ブラスト・シェルター(耐爆壕)と、フォールアウトシェルター(耐有害環境地下室)は、違うのである。後者なら、バックヤードに各戸主が作ってもよいはずだった。
 フォールアウトシェルターは、一家が2週間籠もれればいい。
 『TIME』誌の過去記事でもハッキリするが、DIYシェルターブームのピークは1961だった。
 これは政府が大金を支出して推進した。
 既存の公共地下空間をコミュニティシェルターにして公表し公示せよというもの。その中の貯蔵物資については国のカネで用意させる。
 DODは1961に、国民に対フォールアウトの心得のパンフレットを配布した。
 150ドル以下で建造できる各戸敷地内の簡易シェルターでも、放射線被曝を百分の一以下にできるとした上で、地域の公共地下シェルターこそが最も頼りになるものだと強調していた。
 パンフレットの大意。フォールアウトの放射能は、核攻撃直後から2日間までがいちばん強くて危険である。だからこの期間内にはシェルターから出るな。できるなら2週間はシェルター内にとどまるがよい。しかし、シェルター内にいても、地表のフォールアウトが少しづつシェルター内に侵入してそれを人体が吸収してしまうことはあり得る。そこをかれこれよく計算した上で、2日目以後、そこにとどまるか、それともむしろ地上を移動して別な場所へ避難をするか、各人が決心しなさい。地表を移動中にもし一定量以上の放射能を一定時以上浴びてしまえば死ぬ危険があることを忘れないように。
 ところが1962年のうちには、全米におけるこのシェルターブームは消えてしまった。
 ソ連の国防大臣も、そんなシェルターは無駄であるぞ、とさかんに宣伝している。1962前半に。
 限度は、特にトイレによるものであった。バケツ1個で家族全員が2週間の用を足す? それは可能だろうか?
 ※2017-6月以降、シナ軍は、北鮮国境沿いに、NBCフィルター付きの地下壕を多数、建設し始めているという。