UPIによればウクライナ企業から過去にロシアへ売ったツィクロン2/3の総数は223基。

 JONATHAN KAIMAN 記者による2017-8-15記事「I lived a dog’s life,’ says US soldier who deserted Army in 1965 for N. Korea」。
   ジェンキンズは今も佐渡に住んでいる。2004以来ずっと。
 1965-1の深夜に脱走するとき彼は元気付けに10本のビールを飲んだ。
 M-16は持ったまま。ただし弾は抜いといた。トリップワイヤーにひっかけないように膝を高く上げながら歩いた。数時間後、北鮮領へ。
 七十七歳のジェンキンズは今も生まれ故郷ノースカロライナの南部訛が強い。
 北鮮には食い物もなく、水道と電気は止まっていた。冬は寝室の壁が氷で覆われた。
 ジェンキンズはいま、佐渡島のマノパークで観光客相手に煎餅を売っている。リクエストされれば一緒に写真に写ってやる。
 朝鮮戦争後、6人の米兵が北鮮に逃亡している。その多くは米陸軍の中でも不幸だと思っており、厭な過去をひきずっていた。
 1965時点でジェンキンズは、38度線を深夜に米軍がパトロールすることは北鮮を刺激し、殺される可能性があると怯えていた。さらにベトナムへ派兵されたらもっと危険になるであろうと。それでパトロール中に脱走することにした。
 韓国内で逃亡して潜行しようとしてもすぐに見つかるに決まっていた。
 だから脱出先は北鮮しかなかったのだ。
 ロシア大使館に亡命を求めて駆け込むという方法もあり得た。西ドイツ駐留米軍の兵隊がときおりそれをやっていることは新聞で知っていた。その後で「捕虜交換」によって米本土に帰れるかもしれないと。
 夜明けに北鮮の哨所に近づき、歩哨に声をかけたら、相手はマンガのようにびっくり仰天していた。
 すぐに8~10人くらいの北鮮兵が集まって、ジェンキンズを哨所内に押し込めた。
 それから8年間、ジェンキンズは別な3人の逃亡米兵と同じ部屋で過ごした。19歳で脱走したジェリー・ウェイン・パリッシュ、19歳で脱走したラリー・アブシアー、21歳で脱走したジェイムズ・ドレスノク。
 彼らは金日成思想を暗記するように強いられ、うまく覚えられない場合は殴られた。
 次第に彼らは朝鮮語を覚えた。パリッシュとアブシアーはよく殴り合いの喧嘩をしていた。
 1966に4人は監視人から逃亡して平壌市内のロシア大使館へ駆け込んだ。大使館は4人を北鮮当局へ引き渡した。
 1972に北鮮政府は4人に市民権を与え、別々な住宅を与えた。1973に彼らは仕事に就かされた。
 宣伝映画の悪役専門外人俳優である。
 また、軍学校で英語も教えた。
 1980に そが・ひとみ(21)との同居が始まった。彼女はその2年前に佐渡島から北鮮へ拉致されていた。数週間後に結婚。
 娘が2人できた。みか(現在34)と、ブリンダ(現在32)。
 北鮮政府はこの家庭に特権を与えていた。数百万人が餓死した1990年代の飢餓時代にも、コメ、石鹸、衣料、煙草が毎月特配され、一般北鮮市民のように苦しまずに済んだ。
 しかし希望は無かった。煙草は吸うと苦痛を感ずる品質。コメには穀蔵虫が多量に混じっていた。
 あるとき、隣家のドレスノクの家まで連行され、そこでドレスノクからさんざんに打擲されるという罰を受けた。唇を前歯が貫通した。ドレスノクは楽しんでいた。
 あるときは、腕に彫っていたU.S.アーミーのタトゥーをみとがめられ、病院に連行され、麻酔無しで切除された。監視人はジェンキンズが泣き叫ぶのを見て笑っていた。
 ジェンキンズは、北鮮政府が彼の二人の娘をスパイとして訓練しているのではないかと疑った。
 また、北ベトナム政府は北鮮政府に米軍人捕虜数十人を贈与しているのではないかとも疑った。
 また確信した。北鮮の高官は、人民蜂起によって平壌政府が打倒された場合の逃亡先をすでにスイス内に準備し、そこは豪邸である、と。
 ある日、自宅近くの集合墓を複数の野犬が掘り返しているのが見えた。やがて一団の兵隊がやってきて、近所のすべての犬を殺した。
 北鮮についての悪口を言えば、死が待っていた。北鮮では、決して隣人たちを招いて飲酒してはならない。酒に酔い皆で語り合えば、とうぜんに北鮮の現状についての話が混じる。そして宴が果てた後、ひとりだけ帰らない客がいる。そいつが密告者なのだ。
 2002にすべてが一変した。金正日が13人の日本人拉致を認めたのだ。そしてそのうちそがさんを含む5人を解放するという。
 小泉純一郎はそれから2年をかけて、ジェンキンズと2人の娘も北鮮から出国させた。
 米陸軍は必要な手続きとしてジェンキンズを脱走の罪で軍法会議にかけ、25日間の重営倉に処した。
 アブシアは北鮮内で1983に心臓麻痺死。パリッシュは1998に腎臓病で死亡。ドレスノクは2016に死んだがジェンキンズはそのことを知らず、また興味も無いと言う。
 わたしは米本土に戻りたいのですが、妻が望みません。米国では私は職が無く、妻を養えない。だからここにいるしかないのです。とジェンキンズ。
 ※逃亡兵には軍人恩給は出ないし、退役兵およびその家族が特典的に受けられる有利な医療保険も適用されない。
 ジェンキンズのパスポートは2016に失効した。
 ジェンキンズは連日、CNNや韓国ニュースをテレビで何時間も視聴している。
 北鮮の政治を変えるには、北鮮政府の全部まるごとを消滅させるしかないのです。頭首が交代しても、決して、なにひとつ変わりはしません。
 ウォームビアー君の死亡事件。そもそも米国人が北鮮へ観光旅行するという行為が信じられません。正気じゃないですね。わざわざ監禁されに行くようなものです。
 北鮮では「治療」も強制です。わたしは5回手術を受けさせられました。虫垂を除去されました。その前には睾丸も1個、除去されています。わたしは小学校時分に股間を蹴られたことがあります。それによる問題はなかったのですが、彼らはその睾丸を放置してはいけないと主張した。
 日本に来て、すぐ病院で検査を受けた結果、この二つの処置がずさんであって、合併症でいつ死んでもおかしくなかったと判明しました。
 ジェンキンズは、二人の娘には、「もしパトカーが後ろから来て、停まりなさいと命じても、決してそれに従ってはならない。北朝鮮の工作員が日本の警察官に化けているのかもしれないから」と言い含めている。
 北鮮政府は私の死を望んでいるでしょうね、とジェンキンズ。