「読書余論」 2018年2月25日配信号 の 内容予告

▼ヒューバート・L・ドレイファス著、黒崎・村若tr.『コンピュータには何ができないか――哲学的人工知能批判――』原1972、改訂版1979、邦訳1992
 人間が環境を持続的に、しかし分析なしに支配できるのは、身体のおかげなのである。
 成人が常識を持っているのは、彼が身体をもち、技能を通じて物質世界と相互作用し、ある文化へと教育されるからだ。
 もしわれわれの膝がフラミンゴのように逆向きに曲がるものだとすれば、椅子は座るための道具ではなくなるだろう。
 著者は、反形式主義者であり、反機械論的な確信を有する。テーゼの多くは、ウィトゲンシュタインに負う。彼は言った。人間のふるまいを規則によって分析するのは無理だ。なぜなら、その規則には事情斉一条件が必ず含まれる。他の事情が等しいならば、というやつが。ところが、他の事情が等しいとはどういうことなのか、決して誰も定義することなどできぬ。その定義はきっと無限退行に陥る。
 われわれ人間は、われわれとは何であるのかについての感覚をもっている。その感覚をわれわれは、決して明示的に記述することはできない。しようとすれば無限退行にはまるだけ。
 ホッブズは、思考の統語論的概念(形式的概念)が計算であると明言した最初の人物。
 一般問題解決システム、略してGPS。これは1957にまずニューウェルとサイモンによって試みられた。
 ニューロンが、オン/オフ・スイッチとして働くという前提が、おかしい。おそらくそれは妥当しない。
 ヴィトゲンシュタインの弁証法的な批判。
 有意的な振る舞いはすべて規則的であるはずだという前提を仮に立ててみる。
 その規則を適用する際に使用する規則は何か。
 さらにその規則を適用する際に使用する規則は何か。
 ……こう考えれば、誰でも「規則の退行」の無限性に気がつくだろう。
 知能が解釈すべき事実をもつためには、その知能はすでに状況に中になければならない。
 プラトンは規則的基準を捜した。身体は、知性や理性の妨げだと見た。この考え方の延長線上にデカルトも位置する。
 なぜ人間の生活形式がプログラムできないか。
 われわれは身体をもっているおかげで、特定範囲のチェックをバイパスできる。
 コンピュータ中心主義的なパラダイムがわれわれの社会にもし定着すれば、人々は、自分たちもAIの一種だと考え始め、人々は、機械に似てくるだろう(p.479)。
 人間が事実の源。
 人間が、事実かどうかわからない世界の中で生きていく過程でみずからを想像し、事実からなる世界を創造する。
 そしてその人間は、身体的欲求の満足のために、身体的能力を用いている。そのような存在が組織しているのが人間の世界。
 この世界は、人間以外の他の手段によっては、獲得できない。
▼レイ・カーツワイル著、井上健監訳『ポスト・ヒューマン誕生――コンピュータが人類の知性を超えるとき』原2005、訳刊2007-1
 ファインマンは、原子単位でカスタムできる合成物を予言した。化学者が指示するとおりに物理学者が原子を配置すればいい。それによって化学と生物学の諸問題は解決に向かう。
 ファインマンよりはやく、フォン・ノイマンは1950年代に、万能コンストラクター装置をベースとする自己複製システムのモデルを提示した。コンピュータがコンストラクタに指示を送り、コンストラクタはコンピュータと自分の複製を作り出す。
 人血中のブドウ糖と酸素の反応から理論上は100ワットの電力が生産できる。シドニーの新聞は、これが映画『マトリックス』のヒントだと書いた(pp.311-12)。
 2010年代には、インターネットで受信した画像がヒトの網膜に直接投影されるようになるだろう。
 陸軍は、頭蓋骨を震動させて音を伝えるヘルメットをすでに実験している(p.403)。
 合衆国陸軍はすでにあらゆる非肉体的な訓練をウェブ・ベースの教育を利用して行なっている(p.438)。
 カーツワイルは、この宇宙では高等知性は地球にしかいないと信じる立場。
 計算とは存在そのものなのだ、と言った者あり(p.447)。
 著者いわく、「知能は宇宙よりも強力だ」(p.481)。
 知能は、重力も、他の宇宙の力も克服し、宇宙を思うとおりに作りかえる。「これが特異点の到達点である」(p.481)。
 フォン・ノイマンは、空軍戦略ミサイル評価委員会の委員長であり、また、核戦略に関する政府アドバイザーでもあった。キューバ危機以前、彼は、核戦争のアルマゲドンの発生確率は100%近いと見積もっていたという(p.541)。註によれば、それは1979年の本の中で紹介されている。『The Nature of the Physical Universe』所収の「The Place of Facts in a World of Values」。寄稿者はH.Putnam。
 数学では、シンギュラリティはどんな限界をも超えた値である。要するに、無限ということだ(p.590)。
 物理学はこの言葉を数学から借用した。特異点とは、「理論的に大きさがゼロで無限の質量密度があり、したがって無限の重力がある点を指す」(p.592)。
 チンパンジーの親指は弱い。捧を振り回すことはできるが、取り落とすことが多い。人間だけが、四指のすべてを親指の先にあわせることができる。完全拇指対向性という。300万年前のアウストラロピテクスにはこれがあった。だから遠くに速く石を投げられた。
▼カーツワイル著、NHK出版ed.『シンギュラリティは近い[エッセンス版]』2016-4
 ※上掲の2005初版を2007-1に全訳した版を短縮したもの。
▼スティーヴン・ベイカー著、土屋政雄tr.『IBM奇跡の“ワトソン”プロジェクト――人工知能はクイズ王の夢をみる』2011-8
 ※原題「Final Jeopardy ――Man vs. Machine and the Quest to Know Everything」 2011年。
 デミス・ハサビスいわく。2008年だけでも、脳や神経科学分野の研究論文は5万本も発表されている。2005年より以前の神経科学などは時代遅れ(p.216)。※これはつまりカーツワイルの2005年本に対するあてつけか。
 診断エンジンの長所は、理解の深さではなく、視野の広さにある。そして、視野の狭さこそ人間の弱点にほかならない(p.251)。
 シカゴには大小二つの空港があり、大きい方は戦闘機パイロットのブッチ・オヘアの名がついている。小さい方はミッドウェー海戦から名がとられている。
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 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。
 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。
 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。
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