CAITLIN DOORNBOS 記者による2016-6-21記事「Navy’s hospital ships will remain afloat despite talks of scrapping one to cut costs」。
米海軍は、2隻の病院船の『マーシー』と『コンフォート』のどちらか1隻を退役させようと検討していたが、今年、反対する連邦議員がいたために、現役続行ということに決めた。
これら病院船は各1000床を備えている。
2隻の病院船は、大戦争でもなければ基本ヒマなため、『マーシー』は隔年で太平洋諸国に派遣され、『コンフォート』は中米のハリケーン見舞いなどに派遣されている。
この2隻をサイズで上回る病院船はどこにも存在しない。
どちらも艦齢が古いため、メンテナンスコストが嵩む。
反対の声は今年3月、下院の軍事委員会の公聴会で議員たちから。
たとえばジョージア選出共和党のオースティン・スコット議員。中共が病院船『ピースの方舟』を使ってアフリカ諸国に大サービスしているときに、米海軍は何を考えているのか。逆だろう。
そこで海軍は方針転換し、『マーシー』の近代化のために640万ドルの予算をくれとFY2019で要求した。
2隻の米国病院船は全長894フィート、重さ6万9360トン。もともと原油タンカーであったのを改造した。1986と87にそれぞれ就役した。
「パシフィック・パートナーシップ」は150日をかけて数ヵ国を回る。
『マーシー』には腹腔内内視鏡外科手術補助ロボットのダヴィンチまで装備されているが、これはダヴィンチのメーカーである「インテュイティヴ・サージカル」社が無償にて貸与しているものである。
「出師」の状態ではない平時、これら病院船は、軍属と海軍将兵あわせて60人だけで維持されている。
「出師」命令を受領してから5日で両艦は動員完了状態となり、17ノットで戦地へ向かう。
要求されている改装点は、SH-60 シーホーク×2機ではなくオスプレイ×2機を運用できるようにすること。V-22は、座れる状態の患者を20人余計に運ぶことができるので。2020年までにまず『マーシー』を変える。
両艦はデカすぎるのが長期的に困る。そこで、もっと小型の病院船を多数、用意すればいいじゃないかという将来案も出ている。
『マーシー』は過去いちども日本に来たことがなかった。それで2018パシフィックパートナーシップの訪問5ヵ国の中に日本を含めた。
2018PPは2018-2にスタートし、スリランカ、インドネシア、マレーシア、ベトナム、日本の順で回った。
『マーシー』の母港はサンディエゴ。太平洋。
『コンフォート』の母港はノーフォーク。大西洋である。
次。
ストラテジーペイジの2018-6-22記事。
三代目とトランプがシンガポールで会った後、北鮮内では次のような宣伝が打たれている。
会談は大成功であった。
経済問題はもうすぐ解決される。
米韓合同演習はもう無い。
それだけ。
北鮮が非核化するという話はぜんぜん北鮮国民には伝えられていない。
6-19に三代目は彼個人として初めて、おんぼろの「イリューシン62」に搭乗して中共に飛んだ。
この旅程はかなりオープンにされていたので、三代目体制がリラックスしてきたことが察せられる。
三代目は中共に行くときに古株大将を伴ったことはない。しかしシンガポールへは2人、伴った。1週間留守しているあいだの軍クーデターを恐れたためだ。
中共が三代目に貸した747は、シナが4機しか持っていないVIP輸送機のうちの1機。
三代目はシンガポールに発つ前、北鮮公安警察に対し、監視しておくべき軍人たちの長いリストを手渡し、その軍人たちからは、外遊期間中は、携帯電話を確実にとりあげておくように、命令したという。クーデターの相談ができないように手を打ったのだ。
また北鮮全部隊は、三代目のシンガポール外遊中、兵舎を出てはいけないと命じられた。
軍隊内に配置されている秘密警察のタレコミ屋は、将校で怪しい動きを見せるものがいたらすぐに報告するようにと念を押された。
三代目のシンガポール往復中、平壌では、許可なく首都に住み着いている者に関する警察のローラー調査も実施されていた。
三代目はいまや軍隊はクーデターを起こさないと自信を持った。それが6-19の訪支にあらわれている。
北鮮軍の将校は二等兵から下士官を経て昇任するようになっている。
そして、約100人からなる中隊の長=中尉/大尉から、次の少佐に進級できないものは、10年で軍隊を馘になる。
北鮮軍においては小隊長は実質、曹長の役であるが、下士官もまた、将校に昇進できないものは、10年で軍隊を辞めなければならない。
北鮮軍においては下士官は婚姻できない。
少尉~大尉は貧乏なので、政府に対して怒っている。
2月にシナ経由で脱北したカン大佐。偽ドル印刷機の金型を持参したらしい。
カン大佐は満洲に駐在して密輸業を仕切っていた様子。
三代目は怒って、7人の刺客を満州に放ったが、シナ側官憲の協力が得られず、全員、カン殺害には失敗した。
カンは欧州へ逃亡したので、さらに3人の暗殺班が欧州へ送られているところだという。
以上の話は4月にカンの亡命が某国に受け入れられたので漏洩した。
2016に北鮮の外交官が家族ともども韓国に亡命した。この一件以降、北鮮の海外駐在官は、家族を伴って赴任することが許されなくなっている。
カンの場合、息子の方が先に汚職で摘発されていて、おのれの身にも処罰が迫る、という状況であった。
カンは三代目とは遠い従兄弟の関係だという。曽祖父が同じなのだ。
北鮮ではエリート階級の子弟が公務にはつきたがらず、金満実業家を目指そうとするので、困っている。
脱北者は、在満州の北鮮人ブローカーを頼る。そこで公安は、このブローカーたちを強請って、韓国における脱北者の携帯電話番号を把握するようになった。そして公安は、韓国内へ直接電話をかけ、「戻ってテレビの前で韓国の悪口を言えば、罪を許す。協力しなければ家族を収容所に送る」と提案する。これによって戻った者は多くないけれども、このようにして韓国内におけるスパイとなった者は多いはず。
4-27に南北会談していたとき、北鮮の3人の将官がうっかりと、韓国大統領に敬礼してしまった。この3人はすぐ左遷されたという。
あきらかに将官たちは、韓国大統領にどう接すべきかの事前の指示を、受けていなかった。
北鮮将官たちは、中共やロシアの指導者に対していつもしているように、したまでなのである。