函館湾内にも冬に海面結氷する一角があると初めて承知した。某タンク前。

 Doug Livermore 記者による記事「Lessons of Covert Action in Tibet (1950-1972)」。
     1950年から72年にかけ、CIA、米国務省、国防総省は、隠密裡にチベットの抵抗運動を支援した。
 CIAはSADという工作チームを実際にチベットへ送り込んだ。レジスタンスを支援するため。
 SADは見込みのある闘士を選別し、こっそりとサイパン島やコロラド州のキャンプヘイルへ連れ出して、そこで、爆破、秘密通信技法などのゲリラ・スキルを付与した。
 また、ネパールとインド領内からもSADが後援するチベット人ゲリラを作戦させ、中共軍によるチベット人虐殺と、さらなる南アジア方面への侵略を牽制している。
 このCIAの作戦を1972に中止させたのはニクソンである。ニクソンは中共との関係を改善しようとした。
 このCIA作戦は、トータルでは収穫があった。
 特にコミュニズムのインド浸透を防いだことだ。
 中共軍の戦争資源を消耗させ、シナ人に力の限度を思い知らせ、占領域の拡張を許さなかった。
 CIAがチベットを泥沼化させてやったおかげで、他の諸国は中共からの侵略を免れたのだ。
 1959のCIAの試算では、中共軍はチベット戡定のために6万人の兵隊と、連日256トンの物資補給を吸引されつつある。
 1959のダライラマ一党のインド亡命は、CIAが手引きしてやった。
 毛沢東は1949から50にかけてソ連に長期滞留し、アジア解放のリーダーは俺だということを認めさせていた。
 CIAは、年にたったの170万ドルのコストで偉業を成し遂げたりと、自画自賛している。
 ダライラマは1972のニクソンによる支援打ち切りについて1998のインタビューでさまざま不平を述べている。
 ※もしダライラマ一派に戦闘精神があれば、朝鮮戦争中にトルーマンから有力な「反支解放軍」に仕立ててもらって、朝鮮戦争の第二戦線がチベット内にできあがり、武装独立もできたはずである。何年経っても戦闘精神がなく他力本願だから、米政府からは見切られた。自業自得の因果応報耳。
 1953にイランのモサデク政権を転覆させたのもSAD。1954のグァテマラ政変もSAD。
 次。
 Richard Sokolsky 記者による2018-7-31記事「A Road Map for Demilitarizing North Korea」。
       国務省の2016統計によれば、北鮮は2005年から2015年のあいだ、平均して、1年に37億ドルを軍事費として支出した。それはGDPの23%にも相当している。
 北鮮には180の武器工場がある。うち40は大砲の工場。10はAFV。10は海軍艦艇工廠。50は弾薬工場である。
 民需用である115の工場も、軍需品生産に貢献している。
 過去に北鮮は、2箇所の軍用飛行場を民用に転換させた。元山にあるカルマ飛行場とサムジヨン飛行場。同地の観光開発のためであった。