数名まで絞られた「二十六年式拳銃の設計者」探し。

 ホビージャパン社からA4版フルカラー146頁の『日本軍の拳銃』が出た。素晴らしい内容だ。
 写真は、実物を手にとる必要がないくらいにクリアで多角的。すなわち良心的で行き届き、圧倒的とすら言える。
 解説文も、現時点で及ぶ限りの典拠を探偵したうえでの断案となっており、シビレます。この分野での史料を博捜し解明を試みる作業の面白さにハマったことのあるわたしは、戦後70年間積み重ねられた知見が整理された各所の議論を読んで行くだけで陶酔を覚えた。そして国会図書館が所蔵する大部で稀少な『造兵彙報』『工藝記事』等の紙の匂いがまた蘇った。
 一読者としての白眉は、明治26年に制式制定された、国産初の陸軍用拳銃の、設計者の名前を絞り込んだ部分だ。
 嗚呼、いったい今まで、幾人がこの謎にチャレンジしてきたことか。
 いやしくも日本軍の兵器をカタログ的に解説しようとすれば、いきなりこの「空白」にブチ当たって悩まされたものであった。(あと、軽擲弾筒/重擲弾筒もね。)
 杉浦久也氏は、この拳銃を設計できる立場にあった将校たちを列挙してくれた。
 このうち、少将以上に出世した人は芙蓉書房の『陸海軍将官人事総覧』に載っている。私が注目するのは、《杉浦リスト》にはあってこの『陸海軍将官人事総覧』には載ってない人たちだ。それは、何らかの事情で少将になれずに軍のキャリアを終えていることを意味する。「功成り名を遂げる」ことができなかった人生を想像させる。
 たとえば最終的に少将や中将に出世して戦死もしなかった人が、「ワシが昔、陸軍の拳銃を設計した」と家族に一度も洩らさないでいられただろうか? だからわたしはそれらの「将官」たちは除外しても可いのではないかと思う。
 これが、大佐にもなる前に病気や事故で死亡した人、あるいはなにか事情が生じて退役後に世間から隠れ続けた人だったりしたならば、大尉~中佐時代の自慢話を家族にするチャンスがなかったとしても不思議はないのである。
 水谷悦造大尉と伴正男大尉。どちらも、少将になってないようである。
 天野富太郎少佐と、本庄道三少佐、渡辺忠三郎中佐も、少将にはなっていないとおぼしい。
 こうした、将官にはならなかった将校たちの事績追跡は、戦前の話であり、雲を掴むに似て難しいが、兄弟や親子で士官学校に進むケースもしばしばあるから、名字で調べて見る価値はある。
 すると、たまたまかもしれないが、似たような名の人物も見出される。
 伴健雄という福岡出身の砲兵中将がいる。S11に大佐になっている。まさか、親戚だろうか?
 天野邦太郎という兵庫出身の歩兵中将がいる。大佐になったのは大正5年。無関係だろうか?
 本庄庸三という、佐賀出身の砲兵少将もいる。大佐になったのは大正12年。昭和4年には工科校長。まさか、親類だろうか?
 もしや、その人たちが、年長の血縁者または係累から、「26年式拳銃を設計したのはワシなんじゃ」という話を聞いた覚えがあるかもしれない。
 ところで「ゴピー」式拳銃とは何だろう?
 むかし目黒にあった防研の図書館で『明治20年~30年 陸軍兵器本廠歴史前記』といった古い毛筆書きの史料(たぶん陸軍省納本用の副本。つまり手書きによる複製)を読んでいるときに、これはオーストリー軍が騎兵用に採用していた「ガセール」拳銃のことだと見当がついた。というのは同類毛筆文書(年とともにペン化し、さらに活字化する)の別なところではこの「ゴピー」が「ゴゼー」「ガゼー」等と読める箇所もあるのだ。
 最初の下書き(またはオリジナル記録)が、相当に悪筆だったのだろう。しかしそこにはアルファベット表記が添えてあるので間違いは起こるまいと下書き人(将校または技師)は考えていた。ところが転写筆記人はアルファベットが読めない明治の下士官たちだった。どう書くのが正確であるのかじぶんではなんとも決断ができず、どちらにも読めるような誤魔化した筆致にしているうちに、翌年以降の転写人としてはもはやオリジナルを確かめようもなくなり、最終的に「ゴピー」で定着してしまったのかとわたしは察した。
 今、英文ネットをチョイ読みすると、レオポルド・GASSER氏はウィーンに工場を有していて、オーストリア=ハンガリー帝国のために騎兵用拳銃や郵便職員用拳銃や民用護身拳銃等を製造した。騎兵用の「Gasser M1870」はたぶんシングルアクションの6連リボルバーで、口径11.3ミリ。これをダブルアクションにした「M1898」というのもあった由。1898年は明治31年だから試作品か設計図でも取り寄せぬ限り「26年式」の参考とはなし得ぬ。だがわたしは勝手に、日本はオーストリーからは未完成技術をいろいろ見せてもらえる関係にあったと(たとえば三十年式/三八式歩兵銃の弾倉やボルト)想像している(これについてここでは何の断言もするつもりはない。ただ付言して、後考を待つのみ)。
 GASSER 拳銃には「M1874」(=明治7年だ)という9ミリのタイプもあった由。中折れ自動排莢式で、「Galand ダブルアクション」を採用したものだという。これと「26年式」は、相当に近いのではあるまいか?
 1870型をリファインした9ミリの「Gasser-Kropatschek M1876」というのもあったそうだ。9mm化したのがアルフレッド・クロパチェック氏であるらしい。
 さて『陸軍兵器本廠歴史』という公文書の思い出に戻る。これは砲兵工廠の年次事業報告書のようなもので、毎年、作成され、加上されていた。おそらく正本には欧文固有名詞に添えて「ガセー」と草書体で書き流してあったのだが、手書き清書を命じられた下士官にアルファベットの知識がなく、原本(または下書き)の乱暴な字を「ゴピー」と判読するしかなかったのだろう。そして、それがそのまま副本用の複写でも通用してしまった。ガセー拳銃はわが国では不採用となったから、それで何の不都合も、特に生じなかったものと思量す。
 そればかりか、何かガセールとはまるで無関係な別の(発音もしくはカタカナ表記がしにくい)舶来拳銃の代名詞として、「ゴピー」が通用してしまったこともあり得るだろう。
 ともあれアジ歴がそうした稀少な明治期の肉筆史料を早く優先的にデジタル化して、日本じゅうの博雅の士による闡明に供して欲しいものだと念願して已まない。さすれば、このようなあやふやな回想はもう二度とする必要もなくなる。
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 Lara Seligman 記者による2018-8-29記事「Washington Warns of Sanctioning India Over Russian Missile System」。
    インドはロシアから2020年に「S-400」(高性能地対空ミサイル)を輸入するかどうか熟考中。
 もし輸入と決めれば、米国は、容赦なく、インドを経済制裁するつもりである。というのはロシアからの輸入は、国連の対露制裁決議違反だからだ。
 インドは、米国の対イラン制裁に同調する気も乏しい。※これは宿敵のパキスタンを挟み撃ちする必要から。イランはインドにとっては同盟者なのだ。
 ※ロシアやイラン絡みでインドが米国から経済制裁をくらった場合、インドに投資している日本のメーカーはどうなるのか。心配だね。
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 James Rogers 記者による記事「Marines 3D-print concrete barracks in just 40 hours」。
     3Dプリンター建機による建設。海兵隊の工兵セクションはこのたび、3Dプリンターによるものとしては最大サイズのコンクリート製兵舎を、わずか数十時間にして竣工。
 昨年オランダのアイントホーフェン大学は、強化コンクリートによる橋梁を、世界で始めて、3Dプリンターで施工してみせた。プリストレスト・コンクリートである。
 3Dプリンターでコンクリートを打設すると、大幅なセメント節約になるという。必要量だけそのつど混ぜればいいから、事前に余分に捏ねて無駄にすることがない。
 セメント製造には高熱を必要とし、工場からCO2 をやたらに出す。すなわち3Dプリンター工法は、セメントを節約することにより、二酸化炭素排出も減らす。
 中共も負けてはいない。すでに2015年に、彼らは5階建てのアパートを、3Dプリンターで打設したという。
 ※どなたか川崎の見本市でセキュリティ装備品のカタログを集めてくれませんかなぁ……?
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 ストラテジーペイジの2018-8-30記事。
   7月のロシアのきちがいデモ。3人の乗員をのせたまんまの空挺戦車「BTR-MDM」を、輸送機から空中投下してみせた。大勢の見物人の前で。
 着地後、乗員たちはまず車両からパラシュートを切り離す作業をしなければならない。そののちに戦闘加入。
 だが従来はAFVと乗員を別々に降下させた。着地点が離れすぎていて、乗員がAFVに辿り着けないことがよくあった。それにくらべたら大進歩。
 この問題をなくするために、露軍は2006年から開発を進めてきたのだ。