兵頭二十八の、「日本国憲法《代理作文》説」。

 ニコ生そのものについて、わが子がハマっているひかきん氏のことぐらいしか、まるで知らなかったので、このたびせっかくお呼ばれしている「国際政治チャンネル」の篠田英朗さんについてアマゾンから本を取り寄せる等したところ、痛快無比な理論家・行動者であられたとおそまきながらに承知ができた(まだ1冊の半分しか読めてないが、間違いない!)。
 多忙にめしいていたわたしはベツレヘムの上空に何年も前から光り出していた明星に気付かないでいたようだ。
 プラクティカルには、自民党はこの篠田教授を最有力顧問にして着実に改憲を目指すのが総合的に吉だろう。
 以上はポリティカルな愚生の立場表明でござる。以下は、それでも変わらぬ「筋論」に関し、偶懐。
 私は旧著『「日本国憲法」廃棄論』(草思社文庫)で力説した〈形式的にでもいったんは廃棄しなければ、将来の安全保障上の禍根になる=旧連合国が幾度でも脅迫や間接侵略によって新手の不平等条約を日本人民に押し付けられるものと思い込みかねない〉説を引っ込める。
 理由は、AIの急進が世の中をかきまわすはずなので、日本人民が落ち着いて改憲(または廃憲)論議に付き合う時間も、じきになくなるはずであるから。いまの調子だと、わが国の「法令空間の正常化」は、世界の進運に致命的に間に合わなくなるおそれがある。
 それよりもむしろ、一刻も早くケリをつける「オプション」が求められているのだと、篠田先生の著作を読んでいるうちに、思えてきた。
 そこで、ここに私は豹変し、日本国憲法「代理作文説」を唱える。
 大日本帝国憲法は、日本国政府が「五箇条の御誓文」を蹂躙して、国民を道連れにして自爆を遂げたことにより、無効化した。
 火急に新憲法が必要になったが、わが国の指導層の法学教養レベルは「セルフ ディフェンス」の国際的通念すら持てない「12歳の子供」だと近過去の歴史が暴露し、且つ敗戦後に自覚もされたので、とりいそぎ、「45歳以上」の大人であったアメリカ人に作文を頼んだ。
 こうして現行「日本国憲法」が仕立てられ、通用させられることにもなった。
 しかし9条2項が、「セルフ ディフェンス」を否定しているようにも読めてしまうことは日本人民を危険にするとわれら人民は大人になって憂うようになったので、ここに、民主主義的に選挙されている政府が、最高裁判所から「9条2項は制定時に遡って無効」という判決(判断)を引き出す。
 これにより、「代理作文」された日本国憲法の総体は、外見的にも実体上も、日本人民が撰文した憲法として、磨き上げられ、いちだんと完整した。それは中外に闡明されもした。
 「制定時に遡って無効」の最高裁判断が、9条2項についてだけでもこのように為され得た以上は、爾後、この憲法を誰も「押し付け憲法」と呼ぶことはできない。
 われらは平成天皇を、旧連合国とその第五列の魔の手から守り抜いた。国体は、危機的なピリオドを乗り切ったのである。