銃口付近に縛着できるミニスパイカメラは、兵士用「他撮り捧」を実現する。安全に、辻の曲がり先や高塀越しの視野が取得できる。

 もちろんモニターはその兵士のVRゴーグルだ。そこで電源が問題になる。
 ライフルのバットストック内やグリップ内を電池スペースにするのが良いのではないか。
 ところで、リチウムイオン電池は、「内部ショート」が起きれば、空気中のみならず、アルゴン中でも発火する。空気中の酸素なしでも燃える。したがって泡沫消火器では消火できない。噴出したガスも高温の炎になる。こんなものを有人潜水艦で使っていいわけはないと私は思う。耐圧殻の外側に外装して、いつでも切り落とせるようにしておくのならばともかく。
 歩兵用の電池は、メカニカルチャージ型2次電池=亜鉛を燃料とする燃料電池――とするのが、向いているのではないか。これは、電極だけを交換すればよい。兵士は2次電池をけっきょく基地まで持ち帰るのだが、それが「死重」になるのでは可哀想である。
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 David Hambling 記者による2018-12-26記事「The Overloaded Soldier: Why U.S. Infantry Now Carry More Weight Than Ever」。
        紀元前107年、ローマの将軍ガイウス・マリウスは、輜重隊のために全軍の進撃速度が鈍るのを嫌い、兵卒が土工具一式を自分で担いで行けと命令した。2週間分の糧食、武器、盾も担いだ上でだ。重さは80ポンド(36kg強)になった。行軍ペースは、1日に32km。その姿を人呼んで「マリウスの騾馬」となむ言ひしとぞ。
 中世の馬上騎士は60ポンドの荷重を纏った。従者の介助なしには、鞍の上にも上がれなかった。
 そこでフランスの騎士、ジャン・ドゥメングルは、フルアーマーの状態で、梯子の裏側を両手の力だけで昇ることができるまでに、おのれの肉体を鍛えたという。
 火器の時代に入ると、兵隊は弾薬の重さに悩まされるようになった。南北戦争中の北軍の兵士は、行軍で60ポンドを担いだ。そのうち10ポンドは、マスケット銃の重さだった。
 WWIIでは米兵は75ポンドを担がされた。そのため、1944のノルマンディで、上陸用舟艇から降りたところを被弾して負傷した米兵は、溺れ死にするしかなかったのである。
 1945以降、米軍内で5回以上、兵隊の負荷重量についての調査研究がなされてきた。毎回、兵士の負担は過重だと報告されたものだが、その後、なにも解決しなかった。むしろ、最近の歩兵の負担重量は、倍増しているのである。
 2016年の海兵隊の研究。歩兵将校は、152ポンド(おそらく元の数値はメトリックで70kg)を担いで9マイル歩ける。
 アフガニスタンでは、一人の海兵隊員が、任務中、200ポンド以上を担いでいたという。
 現状、ボディアーマー(首・手・足の防具含む)とヘルメットだけで20ポンドにもなってしまう。
 中東の実戦でこれらの防具が将兵の命を救っている事実がある。となると民主主義国の軍隊では、この防具を省いたり、無理に軽量化させることは、選択肢たり得ない。テレビで叩かれてしまうから。
 M4カービンとその弾薬が、しめて15ポンド。
 手榴弾、糧食、水、ポンチョ、マット、懐中電灯、暗視器具、救急キット……。これらを加算すると、1人で70ポンドを軽く超えてしまう。
 分隊軽機(ミニミ)や、小隊用の軽機(7.62ミリ)、60ミリ迫撃砲や、対戦車ロケット弾AT-4もある。
 60ミリ迫撃砲の弾薬は1個が4ポンド。
 M249軽機の弾薬ベルトは、6ポンド。
 トドメは電池だ。
 小隊無線機である「AN/PRC-117」用の電池は4ポンド。すぐになくなる。ある従軍記者の証言。実戦では1人が20ポンドの電池を持っていく必要があるのだと。
 ペンタゴンは、これ以上はもう軽くできないと言えるぐらいに、あらゆる装備の軽量化の努力を払っている。ケヴラーにできるところ、炭素繊維にできるところなどは、すべて、試み済みだ。 ※たしかに。15榴の応力構造パーツをチタン合金にしているほどだ。
 英軍は、ベトナム戦争中の「Long Tan」にて、豪州軍将兵が、ひとりにつき20発弾倉が3個しかないという状態で2時間以上も敵の猛攻をしりぞけられたという戦例に着目している。
 兵士が通常携行する弾薬は、もっと減らせるのではないか、というわけだ。
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 Jay Bennett 記者による2018-12-29記事「Warming Up Your Car in the Cold Just Harms the Engine」。
         キャブレター式のエンジンだった時代には、寒い朝に自動車のエンジンをアイドリングさせておくのは、エンジン寿命をのばすことにもつながった。しかし今は違う。
 氷点下での無駄なアイドリングは、エンジンオイルを流し落としてしまうので、むしろシリンダーを傷めるのだ。
 現代のピエゾ電子制御式燃料噴射ポンプの付いたエンジンは、エンジンが冷え切っているときには自動的に按配して濃い混合気をシリンダー内に送り込む。センサーが、筒温が華氏40度に達したと認めるまで、混合気は薄くはならない。
 このとき、ガソリン飛沫の一部がシリンダーの内壁に付着してしまう。その結果、長時間の低温アイドリング中に、シリンダー内壁の潤滑油が洗い流されてしまう。
 結果としてピストンリングとシリンダー内壁が磨耗して寿命が縮んでしまう。
 ではどうすればいいのかというと、エンジンをかけてから1分以内に手早く窓の氷をこそげ落とし、すぐにゆっくりと走り出すことだ。走行状態になれば筒温はすぐ華氏40度を超えるので、混合気もただちに正常に薄くなってくれる。さすれば燃え残りのガソリンがシリンダー内壁にへばりついたりはしなくなる。
 寒冷地で始動後のアイドリング中に車内を暖房しようとする人は皆体感していると思うが、アイドリング中のエンジンブロックからの発熱は、ガッカリするほどに少ない。ほとんど暖房には使えないいうレベル。
 アイドリングでは、筒温はなかなか華氏40度にはなってくれないことが察せられるだろう。
 言うまでもないが、窓の内側の「くもり」のためにフロントガラスの一部しか透明になっていない状態で、その小穴から外部を覗き込むようにしながら公道に入って行くのは、危険行為である。
 ランドローヴァーのような一部の高級車は、フロントガラス内に電熱ヒーターが埋め込まれているので、このくもりは瞬時に消えるのだが。
 そしてまた、走り始めの15分くらいは、エンジンの回転数をあまり上げてはならぬ。走りながらのウォームアップ期間というものは、やはり必要なのだ。
 チョーク・ボタンは今ではレアになった。チョークとは「締め上げる」の意味である。何を絞るのかというと、空気の流れを絞って少なくしてやる。混合気のガソリンの量ではなく、混合気の空気の量を絞ることで、混合気を濃くしてやった。1970年代以前、すなわちキャブレター時代には、それを手動でやるしかなかったのである。
 チョークの状態で走り出してもトルクが弱い。荷物を積んでいたら動かない。無理にそれを試みるとスパークプラグがカーボンで汚れた。だから昔の人は、走り出す前に、ほどほどにアイドリングで暖機させた。1990年代以降の新車オーナーは、その必要がないし、また、しない方がずっと良いのである。
 ヴォルヴォ社も回答してくれている。寒冷地で走り出す際にエンジンを保護するのに最も大事なのは潤滑油の質と状態です。ヴォルヴォは、エンジンに必要な潤滑油圧が、エンジン始動後、数秒にして確立される。北極圏であっても、その後は、普通に走れるのです、と。