J.P. LAWRENCE 記者による2019-1-28記事「The Army may say bon voyage to part of its seagoing fleet」。
米陸軍は250億ドルの冗費をカットして他分野に廻さねばいかん。
そのため海上運送アセットを削減する。
それら船艇105隻のうち、予備陸軍の保管分が27隻あるが、これは廃止する。
削減は、早ければ2年後、遅くも5年後までに実行される。
陸軍所有の航洋船舶。
小さい方では、「マイク・ボート」。ベトナム戦争中からある揚陸艇。
大きい方は、15両のM1戦車をいちどに運べる、アメフト競技場の長さがあるもの。
マイクボートは重機材を載せられないし、低速なので敵性海岸の前では脆弱すぎる。だからダメだという研究報告が、陸軍指揮幕僚大学校ACGSCから2015にあり。
マイクボートは古いために、毎年のメンテ費用が1隻60万ドルもかかっている。これは2004年の統計。
そこで2017に陸軍は、36隻の新型揚陸艇の新造ため10億ドルの予算を用意した。
※英文ウィキで補う。マイクボートとは「LCM- マーク8」のこと。リーマ・チャーリー・マイクといわないといけないのでマイクボートと略称される。1959からあり。陸軍の下士官以下4~6人で動かす。プロペラ2軸で12ノット。9ノットなら190海里移動できる。吃水1.3m。全長22m。空荷で58トン、満載113トン。荷物は53トンまで載せられるが、M1戦車が重くなりすぎてしまい、余裕がなくなったため、新型のMLV(L)が発注された次第。こちらは長さ30m、18ノット。1両のM1戦車なら余裕で載せられる。ストライカー装甲車なら2両。ちなみにマイクボートをベトナム戦争中に火炎放射舟艇に改造したものがZippoである。
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Franz-Stefan Gady 記者による2019-1-27記事「Is This the Worst Intelligence Chief in the US Army’s History?」。
※記事初出は2017-11である。
朝鮮戦争でマッカーサーの情報幕僚長を務めたチャールズ・ウィロビーこそ、米陸軍史上最悪の情報参謀だった。
この無能男が中共軍の介入は無いとマックに答申したために1950-12に鴨緑江から南鮮まで第8軍が120マイルも総退却せねばならず、その間に多大な人命が損なわれたのだ。
1950-6に北鮮軍から奇襲されていったんは釜山までも追い詰められた米軍(国連軍)であったが、マックが9月に仁川へ逆上陸したことで流れが反転。
敗走する北鮮軍を追いかけて国連軍も北上。
大統領トルーマンは、ソ連軍や中共軍が参戦しない限り38度線を越えて北進しても可いと事前に注文していた。国防長官ジョージ・マーシャルは、マックに38度線超えを許可した。
マックは10月に命令して国連軍に38度線を越えさせた。
10-15にマックはトルーマンに請合った。中共軍またはソ連軍の介入の可能性はほとんどないと。5~6万のシナ兵は鴨緑江を超えるだろうが、平壌に近づこうとすれば大殺戮されておしまいだと。
10-19に平壌を占領した国連軍に対しマックはさらに鴨緑江まで行けと命ずる。
しかし複数の情報ソースが、中共軍がすでに国連軍を待ち伏せていると報告していた。先遣隊がアンブッシュ&Runをやっていた。
マックと、彼の情報幕僚長のウィロビー大将は、それらの報告を無視した。
ウィロビーはマックの追従者として出世した男なので、マックが何をしたいのかを最優先に忖度し、それに逆らう情報は捨象した。
そのキャラクターは、D・ハルバスタムがよく調べてある。『ザ・コールデスト・ウィンター』に書かれている。
ウィロビーはプロイセン軍人の家系だったので「バロン」とか「フォン」とか仇名されていた。
自分の部下たちもイエスマンだけで固めていた。
情報を管理する者が、意思決定を管理できる、というのが彼のモットーだった。
ウィロビーは1930年代からマッカーサー一筋に仕えてきた。マックにとっては唯一の情報「大納言」。
ウィロビーはひたすらマックの思い込みを強化してやった。いかにして戦争を進めるべきかについて。中ソは何を決意しているかについて。
加えてマック自身も、CIAによる敵情分析を拒絶していた。
ウィロビーがマックの崇拝者であったことは、彼が書いたマックの伝記を一読するだけで知られる。ほとんどお世辞だらけである。
ウィロビーはロシアを憎んでおり、ロシアに使役される者も憎んでいたので、反共主義者としては筋金入りだった。
ジョン・チリス中将(第8軍の下の第10兵団長)は、ウィロビーは軍刑務所行きがふさわしかったと証言している。司令官のマックが望むように、軍情を捏造したからだと。
11月25日に、45万人のシナ兵が突撃してきた。国連軍はウィロビーのおかげで防禦工事などなにもしておらず、兵站線は延びきっていたので、各所で包囲殲滅される恐れが生じ、雪崩を打って南鮮まで総退却するしかなかった。
史家のマックス・ヘイスティングスは書く。この潰走は、1940のフランス軍、そして1942のマレー半島の英軍のそれに類似したと。
退却距離では、米陸軍史上、最長であった。
米陸軍CGSCの研究は、ウィロビーが最大の敗戦責任者であると断じている。
惨劇のあと、ウィロビーもマックも、中共軍の兵力について「知ってた」と言い張った。
この退却戦で有名な激闘を潜り抜けたウィリアム・マカフレイいわく。
俺は、ウィロビーがある日、射殺死体で発見されたという新聞記事がいつ出るかと、心配でたまらなかったよ。というのも、もしもそうなれば、殺害犯の第一の被疑者は、まちがいなくこの俺だからな。
パニックに陥って原爆使用まで要求しはじめたマックの首をトルーマンは1951に挿げ替えた。
あとがまに着任したマシュー・リッジウェイは、まず司令部内の腐った情報参謀を一掃した。
CIAはウィロビーを1951-9まで問い詰めて第8軍情報部内の真相を解明した。
同年、ウィロビーは退役した。
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Kris Osborn 記者による記事「Navy Pursues “Offensive” Mine Warfare Strategy, Drafts New Mine War Plan」。
水上海軍協会のシンポジウムでコフマン少将いわく。海軍作戦部長にあたらしい「機雷戦作戦プラン」を提出し、90日以内の署名を待っている、と。
新眼目は、従来は浅海面への沈底機雷撒布が主に考えられていたところ、この新作戦プランでは、新技術を使い、もっと深い海にも機雷線を構築するとしているところ。
※宮古海峡は沈底機雷では封鎖できない。別な技術が必要だ。日本はそれをUUVに求めつつあると思う。UUVは対韓国戦にもとても使い勝手が良い。
機雷のおもしろい特徴は、ステルスを追求してなくともしっかりと機能してくれること。そこに敷設されているのが前もってありありと敵に分かれば、それはそれで、阻止効果を発揮してくれる。