小樽に『加賀』が来るそうだが、行けそうにない。

 Jacqueline Detwiler 記者による2019-7-5記事「The Airplanes That Rescue Ebola Patients」。
   エボラの特徴的症状。妊婦が何でもないのにその胎児が先ず死ぬ。
 フェニックスエアー社は、小規模な民間航空輸送会社だが、特殊バイオコンテナ設備CBCSをもっていて、米国務省に頼まれれば、そのコンテナでエボラ患者だろうが何だろうが空輸することができる。
 ソチ五輪のとき、もしゲーム中に米国の要人が奇病を発症したようなときは、フェニックスエアーがビジネスジェット改造の患者輸送機を飛ばす契約を国務省と結んだ。
 会社はマークとデントのトンプソン兄弟によって1970年代に設立された。アトランタ市育ちの2人は、ベトナム戦争中、ヘリコプターを操縦していた。当初はスカイダイビングの学校だったのだが、いつしか、政府御用の特殊な機動空輸サービス会社に変貌を遂げていた。
 医療活動に従事していたエボラに罹患してしまった米国人を、始めてアトランタにあるCDC(疾病対策センター)まで空輸したときは、その現場はリベリアであった。ゾンビのいない町にゾンビを連れてくるに等しい作業だった。
 CDCがフェニックスエアーに、空気密封型患者空輸コンテナ(ABCS)の開発を依頼したのは、2007年であった。当時はSARSなどが各地で発生していた。
 樹脂製の二重のシャワーカーテンのような巨大密封バッグを、軽金属のパイプ枠で囲ってある。その寸法は飛行機の胴体内に持ち込めるサイズにおさまっている。
 このバッグの内部に置かれる資材は、ストレッチャーからバケツ式トイレまで、すべて、一回使用しただけで捨てる。
 患者の容態をモニターする治療者は、バッグの外側にいる。センサー類の操作も、外側からできるようになっている。
 飛行機内は、患者区画と他の区画との間が、滅菌ゾーンの小部屋になっている。その仕切りはとうぜん気密ハッチで、そこを経ないと誰も通行できない。
 機内は、操縦室>中間滅菌室>患者区画 の順に気圧が低くなるよう、与圧装置が調整されている。だから患者区画内の空気が外に漏洩することはない。 操縦室区画には、エンジンの力を利用して、最初に新鮮な外気が注入される。それが逐次に、機体の後方へ移動する。気圧差を設けてあるので、逆流はしない。
 患者を収容したバッグ内の空気も、機体尾部方向にある集塵機が常時、吸い取るようになっている。
 最終的には、CDCが設計したHEPAというフィルターを経て、その空気は機外へ放出される仕組みだ。
 ABCSのプロトタイプは2011年に完成した。ただちに陸軍のアバーディーン試験場でテスト。
 強い振動にさらしたり、摂氏マイナス29度の大気中ではどうなるかも試された。
 じっさいにフェニックスエアの航空機に搭載して、乗員が酸素マスクを装着して高度4万5000フィートに至り、キャビン内の空気を一気に放出――つまり窓割れ事故を再現――してから1万5000フィートに降下するというテストも行なった。
 だがテストに合格したときには、SARS蔓延は終息していた。
 エボラとSARSには感染力の違いがある。
 じつはエボラは比較的に弱いウィルスで、経空伝染はできない。接触感染のみなのだ。
 すなわち、エボラ患者の輸送のためには、ABCSはオーバースペックだということが分かった。SARS患者用には、それは適当だったのだが。
 2014年、フェニックスエアは政府御用をうけたまわり、リベリアからエボラに感染してしまった医師を空輸してきた。
 このニュースとルーモアが広がるとアトランタの住民は騒いだ。フェニックスエア社員が、子供の通う高校のスポーツ大会への参観を学校から拒否されたりしている。
 コーヒーチェーン店内で「あんたエボラの人だろ?」と言われて客が一斉に引き退いたという経験を、デント・トンプソン社長自身も、した。
 デントはフェニックスエアーの経営者としてさまざまな悩みも抱える。
 もし保険会社が、保険会社が示す条件の患者しか空輸して戻ってはいけないと言ってきたら?
 もしフランス政府の空輸依頼を受けた直後に、米国政府からも別な地域からの急患輸送を頼まれてしまったら、会社に1機しかない専用機材をどっちに回すべき?
 実績としてフェニックスエアは、約40名のエボラ患者を、西アフリカから、米国・欧州まで運んだ。
 北鮮で拷問されたオットー・ウォームビアを米本土まで空輸してきたのも、フェニックスエアー機であった。同社のメディカルスタッフが空中で付き添った。
 2014年からフェニックスエアー社は急拡大。今では、ロサンゼルス、サンディエゴ、ノーフォーク、シュトゥットガルト、ナイロビ、マルタ島にも機材を常駐させている。飛行機は、ビジネスジェット機「ガルフストリーム3」が主力だ。アフリカ奥地の滑走路にも降りられるので。
 マイクロソフトの有名人、ポール・アレンが出資してくれたので、新しいCBCSが開発できた。
 ABCSをゴム合羽だとするなら、CBCSは小型潜航艇のような構造である。
 コンテナの出入り口ドアは1平方インチあたり400ポンドの気圧差に耐えられる。
 いたれりつくせりである代わりに、CBCSは「ボーイング747/400」型の貨物専用機にしか収まらない。
 これが、24時間以内にアトランタの国際空港から飛び立てるようになっている。
 ABCSは1フライトで1人の患者しか運べなかった。CBCSは同時に4人まで運搬可能である。
 ※こうした民間空輸会社が日本にも必要であることを、過去の拙著で何度か書きました。その拠点飛行場としては下地島が適当です。