鎧の小札を実測した結果

 さる方から「南北朝末期~室町初期」の鎧の残片小札のサンプル群だというものを3群、頂戴した。それぞれ「縅」でつながっているので、私が群と呼ぶことにした。
 返却しなくてよいという有り難い思し召しだったので、さっそくそれをバラして慎重に検分を進めている。
 いずれ写真付きでご紹介もしたいが、まずはテキストのみでご報告しておこう。
 いただいたものを、残片群A、残片群B、残片群Cと名付けた。
 いずれも、甲冑のいったいどの部分に使われていたものであるのかは、浅学ゆえ、見当もつかない。
 このうちC群は、塊りとしていちばん大面積で、絹糸らしきものの紐で「ふくりん」のようなものが装飾されている。縅糸かと思ったら、機能的にはどうもそうではない。小札の表側全体が一括式にぶあつい黒漆で塗布されてあった。つまり、小札構造のように見せているが、全体として無可動構造なのだ。裏面は漆の上に金泥塗装してあり、十円玉のように光を鈍く反射する。
 この小札を一枚剥離させようとしたら折れてしまい、偶然に、C群は鉄板ではなくてすべてが木板材であることがわかった。(ひょっとすると固く加工された革なのかもわからないが、割れるときの感触は木材だと思われた。)
 A群とB群は鉄板の小札が革紐で縅されている。革紐はすでにボロボロな状態である。
 A群の小札がより大型で、B群の小札はより小型である。
 まずA群だが、それを構成している小札の1枚の外観は、薄い、細長い長方形で、ただし、その一端は、切り出し小刀のように角度約20度で斜めに画されている。すべてのカドはじゃっかん丸めてある。
 小札には2列に13個のまんまるな穴が空けられていて、むしろ「有孔鉄板」と表現するのが適当か。
 その小札1枚の外寸を、地元のある方からお借りしたデジタルノギス(100分の1ミリまで計測可能な工場用のマイクロメーター)で測ったところ、最大長67.72ミリ×幅17.94ミリ(複数回計って平均を出してある。以下同じ)×厚さ0.95ミリであった。厚さの最小値は0.83ミリである。
 孔の径だが、これが見た目にもバラつきがある。大きいので径4.35ミリ、小さいので2.96ミリであった。
 なお、ノギスを当てて測る前には、分厚い黒漆をナイフでこそげおとし、赤錆をワイヤーブラシで擦ってある。ヤスリは使っていない。
 料理用の秤に載せたところ、A群の鉄小札1枚の重さはちょうど10グラムだった。(これは漆塗装の重量を含んでいない。)
 次にB群。驚いたのは、最上部の2枚の小札は金属板そっくりの平面寸法でこしらえられた木板であった。漆で分厚く塗装してしまえば、それは見ただけではわからない。
 以下は、3枚目より下側に縅されていた金属板についてのデータである。
 長さは54.20ミリ。ただし長辺の一端は、切り出し小刀の如く角度約40度で斜めに画されている。幅は14.89ミリ。厚さは1.43ミリであった。
 小穴は14個。大きさは不揃いで、大きなものは径3.60ミリ。小さなものは径2.63ミリであった。
 B群の鉄小札の重量は、10グラムだった。
 A群小札とB群小札の1個あたりの重量が等しく、B群小札の方が短寸で厚いということは、原材料として同じ規格の「短冊状鉄板」が最初にあり、その素材鉄板を加熱し、A群用のは長く、B群用のは短く狭く叩き延ばしたのではないだろうか。
 B群鉄小札の1枚を、ペンチとプライヤーとで枉げてみたところ、ポキリと行くようなことはなく、また元通りに戻すこともできた。
 絶妙の硬さであり柔らかさであると思った。
 以下は、暫定的な所見である。
 軍記物に表現された「揺り上げ」「鎧づき」をした状態の小札群は、最も厚いところでは鉄板2枚分(すなわち鉄板真水分だけで2.8ミリ~1.9ミリ)、プラス、その数倍の厚みの堅い漆層によって防護されたことになるが、もしも、ちょうど革紐で縅している穴の部分にたとえば径2.8ミリの「尖り矢」がまっすぐに飛び込んできた場合、1枚目と2枚目の孔は重なっているから、防護力としては革紐の抵抗しか期待ができなくなってしまう。
 ただし、ユーラシア大陸とは違って、日本にはそのような「尖り矢」の征矢はなかったと聞いている。
 100円で売られていた千枚通しの、いちばんワイドなところが径3.65ミリ(マイクロノギスによる実測)あるもので、今回の鉄板小札の、それより小さい孔をこじってみたが、力をこめても、とても貫通しそうにはなかった。しかし大きな穴にはこの千枚通しが通ったので、おそろしいと思った。
 とりあえず本日はここまで。
 ご協力くださった皆さんに、深謝もうしあげます。