兵頭二十八先生からの、年頭のごあいさつ

(2003年に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』へUPされたものです)

 皆様、いつもご贔屓になっております兵頭でございます。新年おめでとう存じます。2002年末の遠隔地転居を機に、わたくしも漸くインターネットで出版社の編集部へ原稿を届ける方法を学びましたが、不慣れなもので電話代わりにインターネットを活用するまでには至っておりません。申し訳ないことに、このせっかくのサイトもほとんど読んではいないのであります。
 そこで甚だ卒爾ではございますが、この文書をフロッピーディスクの形で当サイトの運営者の方にお預けし、皆様にあらためてごあいさつをさせて戴こうと存じます。

●過去の雑誌記事をまとめた単行本は出版するつもりがないことについて

 全国どこでも広く市販されておりますメジャーな雑誌の他に、わたくしは、『TOPJOURNAL』『CYBER SECURITY MANAGEMENT』といった、書店では売られておらぬ月刊誌、隔月『神奈川あけぼの』といった機関紙等にも書かせて貰っておりますが、それぞれ「その媒体でなければ語れない話」に努めております。
 読者が特定されているからこそ深く自由に展開できる内容というものもございます。たとえば警察官しか読まぬ雑誌で、腐れ精神左翼の読者その他に顧慮してやる必要など無い。差別問題に新視点を付け加えようとしますにつけても、専門紙ならば単刀直入な話が可能なのであります。
 また雑誌記事には時事性がございます。そして一回勝負の緊張があるはずです。
 小生が、雑誌公表論文は後日に単行本にまとめたりすべきでないと確信し、現在その所信を実践中でありますのも、ここに理由がございます。
 何度も繰り返すようですけれども、ほんらい、一度活字媒体にして公刊されたものは、誰でも図書館に行けば参照と引用が可能になる。一度しか活字にならないが、永久に記録され、参照される。そう思えばこそ、何を書くにも気合いが篭ってくるのではないでしょうか。社会性ある責任感が生ずるのではないでしょうか。
 この気合いも言語操作能力もない、ただ精神の腐った連中が、昔も今もこれからも常に、気取った言い訳で責任を回避し、体裁の良い論難を深夜に落書きして回り、重いこと、中心的なものと、軽いこと、周辺的なものとの区別を顛倒し続け、己れの浅薄さをインターネット上に遺憾なく記録して、それを情けないとも思わないのであります。

●過去の雑誌記事についてのわたくしの考え方

 わたくしは、雑誌公表論文は後日に単行本にまとめたりすべきでないと確信し、現
在その所信を実践中であります。また今後も継続する所存であります。
 昔の『太陽』や『改造』、あるいは『中央公論』の記事は、「後で単行本に入れよう」などと思って書かれてはいませんから、書く方も真剣でしたし、単行本に再録されずとも、日本中がそのオピニオンには注意を払いました。今は、雑誌記事は読み捨てです。誰も過去の雑誌記事を検索して参照しようとはしません。だから、とっくに終ったはずの古い論争がいつまでも繰り返される。著者たちの安易な単行本出版のために、戦前のような、雑誌記事の著者と読者との間の、真剣な関係がなくなったのです。これは、日本語のパワーにとっては、真の危機だと思います。ですからわたくしは、自分だけは雑誌記事で二度稼ぎはしないと、決意をしました。

 ひとつの例として、月刊『諸君!』1997年6月号の拙稿を振り返ってみます。
 この小論は、ワインバーガー氏著とされる小説を、面白可笑しく槍玉に挙げつつ、最新の戦争技術やアジアの近未来予測等について読者に情報を提供したものです。
 おそらく、日本のメジャーなオピニオン誌で「サイバー奇襲」について詳しく論じたのは本稿が初めてでしょう。また、イランの最初の原爆と「本物の乗客を乗せ」た民間旅客機のニューヨーク特攻、なんていう話を97年に於てしているのも、わたくしにとりましては密かな自慢であったのです。
 しかし、この文章をいま読み返せば、わたくしには、文章がひどく幼稚だと感じられます。無名の自分の知能をアピールしようとして、使わなくともいいような不自然な言い回しを多用しているところも鼻につく。
 言い替えますと、わたくしはすでに97年のわたくしと同じではない。成長してしまったのです。わたくしは今も勉強中で、成長中であります。もちろん当時はあった、さまざまな雑誌で好きなように書いてみたいという欲望も、かなり満たされ、薄らぎました。
 いまもし、そうした過去の論文を単行本に再録して出版したら、それはどういうこ
とになるのでしょうか? 現在のわたくしとは違った、古いわたくしを、あるいは幼
稚なわたくしを、今のわたくしが、売ることになるでしょう。日本のオピニオンは日々進化し、わたくしも日々成長しているのに--です。
 時事種が旬でないという不都合も、むろんあります。わたくしは、この記事を書くときに、現在は野村総研のニューヨークにいる経済アナリストの池田琢磨君(東工大大学院同期で、PC素人のわたくしにMS-DOSバッチファイル作成まで手取り足取り教えてくれた恩人)に、日米の銀行決済システム等について尋ねています。また“TIME”誌のバックナンバーの関連記事に当たるなどして、最新のサイバー戦争について稀少価値の十分に高い話を書いたつもりでしたが、「サイバー・アタック」なんて、今では誰でも知っていますね。けれども、将来もし誰かが、「日本における『サイバー戦争』の認知の変遷」といったテーマで『諸君!』のバックナンバーを調査したとしたら、「この時期にこんなことを書いている人もいたのか」と新鮮に驚くことができる。1997年の『諸君』6月号の他の記事の中に埋もれているからこそ、「時の文脈」が蘇るのです。
 またこの記事の中で、わたくしは、2007年のマレーシア首相は親日派のアンワル氏だろう、とも書いています。しかし、その後マレーシアには経済的にも政治的にも激動があって、アンワル氏は失脚したようです。このあたりの東南アジアの未来予測については、わたくしは、現地にとても詳しい阿羅健一さんにも聞いています(当時わたくしは、阿羅さんの経営する校正派遣会社「情報出版」でアルバイトをしていました)。アンワル氏は、この時点では、確かに有望株だった。この雑誌が出た時点では、この記事の内容には胸を張れるのです。しかし、今ではあまりにも明白に、この予測は「真」ではありませんね。あるいはひょっとして、この『諸君!』の無断英訳(これが見たい人はわたくしの核武装論文がどう訳されているか英語版インターネットで検索をしてみてください。著作権者であるわたくしはその機関からは何の連絡も受けていないのです)が米国の投資会社に危機感を与え、それでアンワル氏の芽を潰す陰謀が発動されてしまったのかもしれませんが、ともかく、記事を書いた当時は正しかったことが、今では正しくないことも、少なくはない。それを書き直しもせずに今の読者に売る行為が、著者として誠実と言えるでしょうか?
 同じように、評論家も日々学んでいるのですから、雑誌記事を書いた当時と今とでは、著者の考えそのものが、変わってしまっていることもあるはずですね。しかし、書いた時点ではそれは確信であったはずですから、過去に遡って自分のオピニオンを直すことも、やはり不誠実です。

 マイナーな媒体だからこそ書けるものも、あります。
 上記の『諸君!』の記事の中で、わたくしは麻酔ガスの解説もしています。間違ったことを書くとかなり責任が重大になります。これは、当時の『コミック ’97』の担当編集者の身近な人が麻酔医だというので、間接的に教えてもらった知識に基づいて書いています。その程度の専門的な話ならば『諸君!』に堂々と書いてもいい。しかし、もっとアングラ系の情報だとしたらどうでしょうか。その場合、あまり売れないがまじめな人はちゃんと読んでいる『発言者』などに書くことが良いと、“政治的に”判断されるものもあるのです。つまり著者としては、あまりにたくさんの人に読んで欲しくない、あとで証拠に利用できるように、活字にされたという事実だけ残ればよい、という記事もあったりする。逆に、ちょっと書いてみたくてたたまらないのだが、たとえば『あぶない28号』のような、かなりオフザケの許される媒体でないとこれは書けない--と判断されるテーマもあります。

 それから、わたくしの本の中で、××という兵器のスペックはしかじかであった……等と、数字ばかり羅列している箇所がありますが、あれらはみな、一般の読者が戦後の市販書をすべて探してもまず知る事はできない、マイナーな稀覯文書の中でわたくしがたまたま発見したデータなのです。それは、もし何らかの形で活字にして公刊しなければまず後の世に伝わることはない。それでは先人の貴重な経験が未来に活かされず、無駄になってしまうとの判断、義務感から、わたくしは無理矢理に本文中に挿入しているのです。もちろん、かなりの熱心な研究家でない限り、その数値が現在の市販書で紹介されていることの意義、貴重さは分っては貰えないのですが、それでいいのです。活字になって図書館に残していさえすれば、いつか、何十年後かの熱心な研究家がその情報を活用できるでしょう。こうやって、何世代もの多くの研究者の作業が、図書館に積み増され、比較参照ができる状態に置かれていくことが、あの大英帝国を可能にし、現在の米国の世界覇権を可能にしてもいるのです。 さて皆様ご承知のとおり、わたくしは、図書館のヘヴィ・ユーザーです。前人未踏、オリジナルの境地を開拓しようとする者には、同時代の友人はみつかりません。相談の相手、討論の仲間は、「古書の著者」の中にだけ存在するようです。そのような古書の著者に出合えたとき、わたくしは無常の高揚と充実を感じ、同時に、「この昔の著述家たちの列に連なりたい」と希求せずにはおれないのです。そして、わたくし自身も、わざわざ図書館にやってきて、どこにでもあるシロモノではない小生の文章を探して閲覧する、そんな未来の友人にだけ、知られる存在になることができればよいと、願望を致しております。
 わが国の地方の公共図書館が、情報ストック機関としてあまり充実していないのは残念です。(さらに残念なことに、インターネットも、比較的に少ない有益な情報が、あまりにも多い無益な情報に埋もれてしまっているように見えます。)しかし、日本のどこかには、わたくしの記事の載った雑誌を保管している図書館や大学があります。わたくしは、貴重な情報の詰まった古書がどこかの文書館にあると聞けば、千里の道も遠しとしません。友人に出会えるというのに、日本国内をちょっと旅行するぐらいが、何の障害でしょうか?

 わたくしはむしろファンの皆様の「リファレンス」の構築に、期待をかけたいと存じます。
 大学で論文の書き方を指導されたことがある人なら、「剽窃[ひょうせつ]」と「論文」の違いはご存じですね。要は、他人の発言や文章を引用しているのに、それがあたかも自分のオリジナルの見解であるように読者に受け取られかねない、そんな不明瞭な書き方をしたら反則なのです。常に、どこからどこまでが人の言ったことで、どこからどこまでが自分自身の思い付いた部分なのかを、截然[せつぜん]と読者に分らせながら書き進めなければなりません。(逆に、そのルールさえ守れば、かなりの量の引用も許される。論文としての評価は低くなりますが。)
 これは学術論文に限らず、雑文であっても、不特定多数に公示するものである以上はすべてそうでなければならぬずですが、大学3~4年生くらいのゼミナール等で最初の「しつけ」を受けなかった書き手には、自得することがかなり難しい習慣なのです。もし、そこがよく分らない人は、タイトルに「論文の書き方」とある本を探して今からでも自習すべきです。箸や鉛筆が正しく持てない青年や成人と同じで、それは歳とともに自然に直るものではありません。
 これはあまり賞揚できない例ですけれども、よく文学研究の論文などで、作家の短編の「長い要約」に「ブツ切りの引用」を加え、「詳しい解説」を附すことで、書いてあることの過半を伝達しているようなものがあります。(反則ではありませんがオリジナリティは乏しく、冗長。)
 しかし、もし雑誌記事のひとつひとつがそのような「剽窃ではない」リファレンス情報として整備されているものを誰でもオンラインで確かめられるとすれば、これはとても便利ですよね。そこに、当該雑誌の所蔵図書館の一覧表も備わっていれば、研究者のサーチ・コストは随分節約される。誰でもその図書館に赴き、「時の文脈」を正確に把握することができるようになるでしょう。

●HP画像データサービスについての事情のご説明

 すでに『武道通信』のHPでお知らせがあったかもしれませんが、このたび、わたくしが過去に上梓し、その後、絶版となってしまっております何点かの書籍を、『武道通信』の版元である杉山穎男事務所さんに画像データ化して貰い、さらにそれをオンライン・ダウンロードの形で頒布して戴けることになりました。
 この経緯と意図等につきまして、簡単にご説明します。

 かつて銀河出版という会社があり、兵頭二十八・宗像和広・三貴雅智・小松直之の4名の共著『並べてみりゃ分る 第二次大戦の空軍戦力』が、1997年7月に同社から刊行されました。が、困ったことに、同社は印税を1円も支払わず、いつの間にか池袋のオフィスを無断で引き払ってしまったのです。
 3人の共著者に対して責任を感じたわたくしは、そこで銀河出版あてに内容証明郵便を送達し、『日本の陸軍歩兵兵器』『陸軍機械化兵器』『日本の海軍兵備再考』『日本の防衛力再考』『ヤーボー丼』に関する兵頭二十八の著作権は引き上げること、いずれも5年間有効となっていたこれらの単行本の出版契約の、5年後の自動更新はしないことなどを通告致しております。(『並べてみりゃ分る 第二次大戦の空軍戦力』についてはそもそも出版契約書は成立しておりません。)

 ちなみに『日本の陸軍歩兵兵器』や『日本の海軍兵備再考』等は、契約書ではそれぞれ初版三千部しか印刷されていないことになっておりますが、全国の書店への出回り具合、そしてその期間の長さを考えますと、こうした契約内容が誠意を以て履行されているかどうか疑うに足る合理的根拠もあると判断しています。

 今回のオンライン復刻版から得られる印税は、当面、『並べてみりゃ分る 第二次大戦の空軍戦力』の共著者への私的な弁済事業に役立てるつもりでおります。

 なお、宗像和広氏(故人)と兵頭二十八の共作である『陸軍機械化兵器』および『日本の海軍兵備再考』の2点につきましては、今回は兵頭執筆箇所だけが復刻されることとなります。予めご承知ください。

 内容は、画像取り込みですので、元のままです。直すべきところも直してありません。また、アップロードされるのは基本的に本文と本文頁中の図版だけで、書籍版にあった表紙、目次、奥付、著者紹介欄は画像データ化されません。その代わりにできるだけ廉価に入手できるようなプライス設定をと、杉山穎男事務所さんにはお願いしました。

 今後の予定ですが、次回は『日本の防衛力再考』になります(そろそろ、もうUPされているかもしれません)。
 ほんとうは全冊を一挙にアップロードしてしまいたいところですが、画像取り込み作業がかなり時間のかかる作業であるらしく、はかどっていません。誰かボランティアで手伝ってくれる人はいないでしょうか?

●四谷ラウンドさんのことなど

 『たんたんたたた』『有坂銃』『イッテイ』『日本海軍の爆弾』『日本の高塔』『地獄のX島で米軍と戦い、あくまで持久する方法』『日本人のスポーツ戦略』の計7点を上梓してくれた (株)四谷ラウンドが、2002年末に倒産しました。
 このうち、いくつかのアイテムは、補訂のうえで、他社から文庫本にしてもらいます。また、いくつかのアイテムは、G出版のバックナンバーと同じように画像データサービスにすることを検討します。
 写真集である『日本の高塔』は、一時代の記念として、このまま絶版となるでしょう。
 『X島』と『スポーツ戦略』は、発売後間もないので、暫くは何もしません。今後、版元の在庫が債務のカタとして押えられて、ゾッキ本となって全国の古書店頭に大量に出回ることになるだろうと思われます。それらがすっかり市場から消えた後でどうするかを検討致すことになります。
 なお、『イッテイ』と『日本の高塔』の共著者である小松直之さんは、四谷ラウンドから印税を完全に貰っていないようなので、これもまた、旧G出版のオンライン復刻で得られた兵頭の収益の中から、弁済していくことにになろうと思います。

 おしまいになってしまいましたが、皆様の本年のご健勝とご多幸をお祈り申し上げまして、兵頭二十八からの年頭のご挨拶に代えさせていただきます。

【平成十五年・元日 謹識】


※改行箇所は管理人

管理人:私はもう二度と「コラム集出して欲しい」とか言いません。多分。それより、誰かリファレンスを作ってくれい!私に見せてくだされい!後、誰か「武道通信」に手伝いに行こうというファンの鑑はおらぬのか?
時間さえままなれば私が行くものを……と思ったけど、私なら「日本の防衛力再考」を盗んで逃走しそうだからダメか……。