偶然でかけた先島群島の現況

(2004年11月28日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)
04/11/18~11/22にかけまして、兵頭はたまたま先島群島方面に女連れで小旅行をいたしました。以下はその写真リポートであります。


宮古島

 宮古島の西海岸にある「砂山ビーチ」から西方海上の伊良部島を望む。伊良部島の西隣(つまり写真だと向こう側)に下地島が、ほとんどくっついて一体となっている。この伊良部島まで宮古島から「伊良部架橋」を建設することも決まっている。2005年着工で、8~10年後に開通見込み。ちなみに伊良部=下地島の電力は宮古島の火力発電所から海底ケーブルで供給されている。

 宮古島の西平安名崎から伊良部島の東海岸の南半分を望む。潮流は右から左に流れているように見えたが、あるいは季節風のせいかもしれぬ。11月から2月、つまり冬には北風が強い。この地点から東京都世田谷区まで1900km、室蘭までは2420kmである。どちらも姉妹都市らしい。

 同じ西平安名崎から伊良部島の東海岸の北半分を望む。宮古島は高い山がないので台風が来るととんでもないことになる。観光名所であった風力発電塔が、2003年9月の台風でことごとく倒壊してしまっていた。

 バスの中から宮古島の島尻地区にある国交省・大阪航空局の民航用管制レーダーを撮影。2000m滑走路のある宮古空港の北方の、なんとも低い丘上に建っている。手前の畑はサトウキビ。

 先島群島といえども冬場は裸で海で泳ぎたくなるような高温ではない。旅行中の最低気温は21℃、最高は26℃くらいで、やむなくホテルの温水プールを利用した。

 こちらは航空自衛隊第53警戒群の防空レーダー。
 BADGEシステムの日本最南端で、空港の近くの島内最高峰を占位。地元民はアイスクリームと呼び、子供はメロンと呼ぶ。もともとレドームは2個あったが、昭和41年の第二宮古島台風で1個飛ばされたという。これまでのMax風速は85.3m/sであったとか。

下地島

伊良部島と下地島の間の狭水道。ゴムボートくらいでなくば通航できそうにない。
下地空港の3000m級滑走路の北端からさらに海中に延びる誘導灯の列を見る。
同じく。左脇の通路は点検用で人が歩けるのみ。

 下地空港の滑走路の北端のフェンス。画面左側に滑走路が延び、右側に誘導灯が並ぶ。この北端部分はもとから陸上のようだが実は埋め立てたものだ。

 そのフェンスによじのぼって滑走路の南端方向を望遠する。見ての通り防衛基地を造るには十分な地積が余っている。滑走路長が2700m以上あればF-15クラスの重戦闘機を運用可能だ。そこでシナはこの島に空自や海自の航空部隊が展開することを極度に恐れ、核潜水艦で小泉内閣を恫喝したわけである。ちなみにこの見物中、飛行機の気配も、警備員の気配も無し。

 この二枚は撮影地点をしかと思い出せぬ。撮影時刻は夕方ですが、なにしろ経度が違いすぎるので、明石標準時では感覚がおかしいぞと思いました。

滑走路の北半分、その東隣の道を南から北へタクシーで走った。じつに下地島はサトウキビ畑か未利用地以外は何も無かった。だから観光地でもない。それが良かった。
滑走路と西海岸に挟まれた道路を北から南へ走る。ここは数年後にはすごい警備厳重になっていそうな予感がするぞ。
滑走路の西脇の道から西方を見れば、夕陽が沈まんとす。この方向には尖閣諸島があるわけだが…。
下地空港の滑走路の南端から北を望遠する。

 二枚とも、滑走路の南端からさらに誘導灯列を写したもの。南端部分には埋め立て工事はしていない。

多良間島

宮古島と石垣島の間にある多良間島。写真で島の南海岸中央に長さ800mの旧多良間空港滑走路が見えている。ここには9人乗りのアイランダー機が離発着できる。

 多良間島の西海岸に2003年10月10日にオープンした新多良間空港の1500m滑走路を俯瞰。39人乗りの旅客機が利用できるようになったのだが、シナはここを台湾空軍や米軍の小型戦闘機が利用するのではないかと邪推する。じつは米国の「ランド研究所」が数年前にそういう強調をしてくれちゃっていたのだ。そこでシナ原潜は、この多良間島と石垣島の間を04年11月10日に領海侵犯してみせ、日本人を核恫喝した。写真だと、島の左側の海中を、手前から向こう側へ通航したことになる。

石垣島

 石垣島には八重山列島のハブ港がある。しかし肝心の石垣空港の滑走路長が1500mと、大型ジェット旅客機にはギリギリの長さ。このため羽田や新千歳行きのジェット旅客機が必要な燃料を搭載した重さでは離陸できず、いったん那覇を中継せねばならない。那覇空港の負担を減らすために2000m級の新石垣空港の建設が進んでいるところだが、これにシナの手先の環境団体やアカ新聞が噛み付いた。シナはここも台湾征服作戦の抵抗拠点になると、妄想をたくましくしているのだ。

 石垣港には海上保安庁の最南端の拠点がある。しかしシナは原潜を使うことで「やーいおまえらには対潜装備なんかないだろ~やーい」とせせら笑った。これが許せるかい諸君?

 しかしシナ潜には恐るべき天敵が居るのである。それが「グラスボート」(笑)。船底がガラス張りになっているので海底の珊瑚や熱帯魚がよく見える。先島海域にはこんな観光船やダイバーが年中ウヨウヨしているから敵性潜水艦は浅い海面(たとえば下地と多良間の間)や昼間の沿岸接近を避けなければならない。たぶん実戦では悪天候だけがシナ潜の頼りじゃなかろうか。

 石垣港からは先島の各島へ高速客船が頻発している。ほとんどが浅海面にスクリューのひっかからないウォータージェット推進で、20ノット以上は出すのだが、この通り、船尾にはオープンデッキがあるというおおらかさだ。ベンチに座っていると塩まみれになること請け合い。

西表島

 西表島の船浮湾は国際避難港に指定されている。そのため8基の係留ブイが湾内にある。北向きの湾口は狭く、しかもリーフで外洋の荒波から守られているのに、係留ブイの下の水深は80mと大型船にも十分。ちなみに日本海海戦の前に東郷平八郎はこの港に上陸してつぶさに視察をした。彼がGF司令長官に抜擢されているのも、そんな周到さがあったためだろう。「切らずに済んだカード」を東郷は無数に持っていたのだろう。

 西表島の西岸の船浮湾に面した船浮港には旧海軍の大戦末期の築城が一部保存されている。中央に見える小さいトンネルは、より大きな交通トンネルから枝分かれしているもの。穴を出た先の波打ち際に機銃坐があって、少なくとも1機の米軍艦上機を湾内に撃墜したとされる。

 ちょっと見難いが、小トンネルの右側に本トンネルがある。それを抜けた先に、旧海軍の横穴陣地が点々と残っているのだ。

旧海軍の通信所横穴壕。海底ケーブルで石垣島と結んでいたらしい。奥行きはない。
旧海軍の発電機室用横穴壕。奥行きはない。
旧海軍の弾薬庫跡。やや奥行きがあって、コウモリの巣窟である。懐中電灯で天井を照らすとすごいことに……。

 旧軍の特攻艇の待機所跡が2箇所、ロープで結界されて観光客に示されている。けっきょく米軍の上陸が無さそうなので、旧軍はせっかく構築した陣地をすべて放棄して石垣島に引篭もった。西表島は無防備で終戦を迎えたわけだ。おそらくこんな経緯からも、先島群島には沖縄本島のような反日的ムードが無いのだろう。この住民をシナや反日アカどもの餌食にさせるな。いまこそ沖縄本島の陸海空自衛隊をこぞって先島群島に転進させるべきである。

船浮湾口に浮かぶ無人島の内離島に上陸。ここはかつて炭坑があり、今も横穴やトロッコ・レール跡などが残っている。

(管理人 より)
 諸君、試みに問う。新婚旅行とは何処へ行くべきか?決まっている。先島群島方面だ。それ以外の何処へ行けというのか?其処以外の何処があるというのか?何処にも無い。何処にもあるわけが無い。それは絶対の真実だ。子猫が愛らしく、空を征く鳥を人が何時までも追い続けるように、それは至極当然の事実だ。待っている。神代の時代より多良間島は、下地島は、先島群島は新婚旅行に訪れる人々を待っている。ファインダーに覗かれる日を、シャッターが切られる音を心待ちにしているのだ。だから、兵頭先生が新婚旅行で航空自衛隊第53警戒群の防空レーダーを撮影したとしても、欠片一つも間違いもおかしな所も他の選択肢もない、神ですら違える事のできない必然的行動なのだ。