(2007年6月29日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)
(兵頭二十八先生 より)
女子供向けの市販の観光ガイドブックにはロクに載っておらず、しかも地元民すらほとんど知らずに過ごしているようなマイナーなスポットを、住民の義務心からインターネット上でご案内しておこうというシリーズ。今回は、市内の陣川温泉の北東の山中にある「八十八カ所」を紹介する。撮影は2007年6月8日に行なった。
「八十八箇所」とは、四国まで実際にでかけられない庶民のために、ミニチュアのお遍路コースを作ったもので、全国にたくさんあるものだ。しかし、函館にもあったのだと知っている人は、あまり、いないのではないか。
市街方向から陣川温泉まで登ってくる車道を、温泉を左手に見ながら、さらにそのまま北進すると、左手に劇団の建物があり、舗装はそこまでである。そこから先はいかにも山路で、人家もなくなる。そのあたりに自動車をとめて、徒歩でさらに砂利道を登って行くと、まずはこの栗の木に到達する。
これは栗の木の対面にある、水飲場らしき施設だが、ご覧のように、撮影時には水は出ていなかった。
さらに登っていくと、立ち木を中心にしたロータリー状の広場があり、道が四方向に延びている。地図によれば、向かって左側に折れると、北海道東照宮の裏手の道へ通ずるらしい。八十八箇所参拝道に行く者は、右側に折れる。(もし直進すると、谷に下って行き、その先は分からない。たぶん、森林の中でいきどまりだと思う。)果たして道を間違っていないかどうかは、石仏群が道の左右に現れるかどうかで分かる。
参拝道に入ると、左右に石仏が並ぶ。ひとつひとつに、四国の霊場の名前が彫ってあって、どこのご本尊をコピーしたものなのかが分かる。
台座に「第○○番」と通し番号が彫られているのが確認できよう。しかし、この石仏群がいつ設置されたのか、その手がかりとなるようなDATEの刻字は、どこにも発見できなかった。
まもなくすると左手にこんなスペースがあるところを通り過ぎる。一部の地図によれば、ここは「説教所跡」だそうである。昔、講のようなものがあったのだろう。
ここは道なりに左に進む。
この写真はロータリー方向を振り返って撮ったもの。
ここで、広い道から左に分かれる細い道に入る。そちらに石仏も並んでいる。この細い道はループになっており、またこの広い道へ戻って来るので安心するように。なお、左折せずに広い道をずんずん直進すれば、そのまま蝦夷松山(667m)への登山道となっているようである。
細道はぬかるみが多く、とても小さい子供を連れてハイキング……といったコースではない。ただ、足場の悪いところには親切に板が敷かれている。
笹流川の支流である谷のせせらぎが聞こえると思ったら、とつぜん、近代的な人工物が目の前にあらわれる。この鉄製人道橋は昭和51年に架けられたことが銘鈑から知られた。地元のどこかに仏教信者の講のようなものがあって、そこでこの施設を整備しているらしい。渡ると、無人の休憩所と、不動尊像などがある。
無人の休憩所の中には密教の曼荼羅図が掛けてある。その休憩所の隣がこの像。暗い時刻に一人で来たら、ややインパクトがあるだろう。
この石橋は、現状では谷を跨いでいない。想像するに、かつては鉄橋はなく、この橋だけがあったのだが、大雨かなにかで半分以下に壊れてしまったのではないだろうか。
右手の金属製のパネル構造物は、灯明台である。
写真を拡大すると分かると思うが、この不動像は、鉱泉の近くに設置されていたのだ。(気付かず通り過ぎてしまった。)ある地図には「硫黄泉」と書いてある。最初にこの鉱泉が知られ、それから参道がつくられていったのかと想像できる。
ループを辿り、硫黄泉から最初の参拝道に戻って行く。
とつぜん、元の道に出て合流。分岐点とは、じつは数十mしか離れていなかった。
もうあとは迷うところはない。下り道をテクテクあるくだけで、四つ辻に達する。なお、このロータリーまで地元の老人数人が自動車でピクニックに来ていたので訊ねたところ、鉱泉のことも、石仏群のことも、知らなかった。
拡大すると、舗装道路が見えるだろう。その先が陣川温泉である。右手の茂みの上に、地元の某劇団の建物の屋根が出ている。ここまで、歩いて40分くらいで往復できた。
(管理人 より)
私は一度もお遍路が、各地にあるなど、知りもしなかった。行く機会があるのかどうかわからないが、各地にあるなら、敷居も低くなるだろう。
身を清めたくなったら、利用しようかと思う。有難うございました。