(2010年2月23日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)
(兵頭二十八先生 より)
■平成21年度の「防衛省オピニオンリーダー」と「防衛政策懇談会」の合同部隊見学は、平成22年2月16日に行なわれ、場所は空自の浜松基地であった。引率は防衛省大臣官房広報課。
今回のツアーも、函館→羽田→早朝に入間集合→浜松というコースではワタシ的にマジ厄介すぎるので、名古屋空港経由、浜松市内に前泊をして、当日朝に基地でみなさまご一行と合流をさせて貰うことにした。(帰路だけ入間へCH-47で。)
セントレアでショックだったのは「スタディ・ルーム」という店舗が今月下旬に名古屋市内へ引っ越してしまうという話。田舎ではあのレベルの舶来教育用玩具をデパートで選ぶことができないため、貴重な店舗だったのに……。
浜松市には、あの京野一郎先生がお住まいである。わたしは駿河湾名物だという白魚料理をご馳走になりつつ『なるほど、これが成長するとウナギになる。つまり、出世払いで可いというナゾか…!』と納得しながら、〈伝え聞く、さいとうプロの最近の苦境から察して、『ゴルゴ13』の連載の終わりがいよいよ迫っているのではないか? あるいは、御大なきあとも連載が続くような仕事モデルを構築中なのであろうか〉と、キワドすぎる質問をぶつけてみたが、京野先生はとつぜん口を濁され、それについて一切語られることはなかったのである。さらにわたしが深く追及しようとしたところ、「帰ってくれ! そんな話をするなら、もう帰ってけれですたい!」と、逃げるように一品料理屋を出て行かれたので、いそいでそのあとを追ってわたしも店外に駆け出そうとした刹那……!
「お客さん、困るんですよね。この不況でしょ。最近、多いんで……」と、ガタイの良い板前氏がわれらをブロックして片手を差し出すではないか。
そうなんだよね。ホンダがオートバイを作らなくなり、ヤマハもヤマハ発動機のとばっちりでピンチが来たとささやかれ、せっかくできたブラジル公使館もブラジル人労働者が帰ってしまって仕事がないとかいう、やはりここも、いろいろなことになっている気配の浜松市の夜は更けた。
さて航空自衛隊浜松基地は何をするところか。
まず航空教育集団がある。
別な基地(たとえばシズハマ)でT-7による初等操縦訓練をした生徒は、次に福岡の蘆屋でT-4に慣熟してからこっちに来るという。
そして、エンジンまで純国産のT-4練習機で1年間、合計96時間の飛行をすると卒業だという。
※これを12で割ると月に8時間となる。そんなもんなのか?
離着陸、緊急降下、ストールからの回復、地文[ちもん]航法によるナビゲーションの訓練などがカリキュラムに入っている。
ちなみにシズハマは古い基地なので低地にあり、霧は出ない。しかし最近なにかと話題な「静岡空港」は台地に造成したため、霧でたいへんだという。
基地の周辺はとうぜん市街地で、窓は全部二重サッシになのだと、京野先生が教えてくれた。T-4だから音のレベルも低い。
航空教育集団の下には、第1術科学校がある。
ここではF-15やF-2の整備員の教育をやっていた。整備訓練専用の機体が用意されているのだ。
一連の写真は、その地上整備訓練専用のF-2だ。パネル類がぜんぶ開けられて、丸裸状態でわれわれのカメラの前にさらされているのであった。
タイヤを撮影しておいたのは、このF-2のタイヤが1個30万円だという説明があったので、個人的に興味を惹かれたため。
パンクなどぜったいにしないかと思えば、そうでもなく、毎年1回以上は、必ず発生するものなのだそうである。原因は、滑走路に小石のようなものが落ちていて、それを踏むことによるらしい。そうか、戦闘機の弱点は、足にあったのか。
建設工事に詳しい加藤健二郎氏に訊いたら、タグボートが緩衝用に舷側に吊るしているタイヤも、あれもぜんぶ飛行機用のタイヤなのだという。自動車用タイヤでは、船舶のショックアブソーバーにはならぬらしい。(加藤氏もオピニオンリーダーのメンバーなのだが、16日はたまたま大場久美子のコンサートの前座演奏のリハが重なって不参加になってしまった。それにしても大場久美子氏がオレより1歳年上だったとは、なんだか信じられん。)
やはり浜松といえばAWACSであろう。
ところがあまりにも秘度が高すぎ、「格納庫内の撮影不可」「機内の見学もお断り」と知らされた。よって、写真が1枚もない。すいません。
しょうがないので、「教材整備隊」(空自の教育用に材木などからジェット機のスケール・モデルを手作りしてしまうなんともヲタッキーなセクション)が製作した模型の写真(エアーパーク内にあり)で、かんべんしてもらいませう。
実機の接写がダメだと事前にわかっていたら、京野先生のターボ付きジムニーで正門に乗り着ける前に外柵を一周してカメラ小僧たちといっしょに離着陸訓練中の実機を撮影しといたのにな~。
このAWACS区画は、浜松基地の中でもさらに鉄条網の囲いがしてあって、基地の広報官も、これまで立ち入ったことがなかったので今日はうれしいとか話していた。どんだけ秘密なのよ。
浜松の警戒航空隊は600人。三沢の警戒航空隊は360人ほど。
機体だが、日本のAWACSは世界でも珍しいE-767(双発機)である。米軍とNATOはE-3(四発機)である。こっちが普通だ。
浜松にはこのAWACSが全部で4機ある。うち1機は常にメーカーに預けて整備させている。だいたい半年間かけて整備するという。
1機のE-767の中には、20~36名が乗り組める。胴体後方には、くつろぎのためのスペースもある。滞空10時間、往復4時間だから、広くないと生身の人間の肉体がもたない。
操縦訓練は、民間の全日空(日航ではなく)に依頼している。
日本のAWACSには、ESM能力がない。※つまり北鮮ミサイルのテレメトリーなどは聴きとれない。おそらくその仕事はEP-3相当機がしているのか。
※さらに邪推。海自はいまや空自よりも、米国からみて「ティーチャーズ・ペット」になっているのだろう。
また日本のAWACSにはECM能力がない。つまり敵戦闘機やAAM/SAMに対する自衛能力はゼロなんである。チャフもフレアも無論なし。
あと驚いたのは、日本のAWACSは船舶の大小を識別できないという。その能力に関してはむしろ三沢に13機あるE-2Cの方があるという。
また、E-2Cは、離陸して1時間でシステムが立ち上がるが、AWACSはそれに数時間かかってしまうという。※ロイタリングの現場に着くのに2時間かかるようだから、2時間前後なのだろうと想像するが、もしそれ以上かかるのだとしたら、困っちゃうよね。
日本のAWACSは、地上や海上や空中の友軍と見通し距離通信でのデータリンクはできるのだが、「リンク16」を衛星経由でつなぐことはできないという。※信じ難いが、対衛星アンテナそのものがないという。すなわち海自が米海軍と一体なのに比し、空自は米空軍とは通信面で分離しているのである。
情報処理系のハードもソフトも、米軍/NATO軍のAWACS(E-3)に比べて2~3世代古いものであるという。しかしそれでもシナ軍のAWACSよりはマシなようだ。
空自はこんどの予算要求で、AWACSの能力向上をしたいと要求を出している。具体的には、ウェイポイントを〔顕著なランドマークや地文とまったく関係なく〕GPS座標のみでバーチャルに設定し、リアルに空路を確定して管制するという能力が、是非とも欲しいようだ。これはもう世界の趨勢なんだそうで、日本だけできないでは済まされなくなるという。
もうひとつ驚いたのは、日本のAWACSは、どこから飛んでくるかわからぬ巡航ミサイルは、まず探知などできない――とのご説明だった。北朝鮮のシルクワームは、いつどこから発射されるのかおおよそ分かっているので、日本のAWACSでも探知ができるのだという。
本当か? そもそもE-2Cを導入した理由が、ベレンコ中尉のミグ25を奥尻のレーダーサイトが失探したことであったのだから、低空飛行物体を探知できませんでは済まされぬ話だろう。それじゃ、これまでずっと納税者を欺いてきたのかい?
今じゃ、シナ軍、台湾軍、韓国軍も、みんな長射程の巡航ミサイルを装備しているんだぞ。どうすんの?
むかし戦車マガジン社からF-117についての別冊を出したことがある。たしかそのネタ元の一つであった洋書によれば、レーダーの反射信号の強さは、標的物体のサイズとは無関係なのであって、ただその形状とのみ関係があると書いてあったと記憶する。それを信ずるなら、特にステルス設計ではない旧世代の巡航ミサイルがAWACSで探知できないというのはおかしな話だ。もしそうなら、旧ソ連時代の潜水艦発射式の巡航ミサイルだって、探知などできない相談でしたよ――ということになるじゃないか。
この話を聞くにつけても、わたしは、空自はいまや米軍からは継子扱いされて放任されているのであり、海自だけが可愛がられているのではないかと疑わざるを得なかった。
浜松には空自の高射教導隊もある。
珍しかったのは、ペトリオットPAC-2スタンダードの米国における実射動画だった。まずいったん、いちばん高いところまで上がってしまってから、落下をしつつ標的に命中した様が、ビデオでは克明に撮影されていた。
※つまりその時点ではミサイルはモーターを吹かしておらず、慣性飛行。だから、敵機がハイG機動すれば、ふりきられる可能性もあるだろう。
PAC-3についての類似実射のビデオは、拝観することを得なかった。
写真の「発射機」は、銘鈑によると、2008年9月の三菱重工製だ。
PAC-3は、Fu(ファイアユニット)を構成する車両群が、従来の無線によるだけでなく、妨害等に強い光ファイバーででも接続できるようになっている。
空自隊員によるスティンガーの実射動画(於・米国)も、珍しいと思った。というのは、標的が、なんと、「MQM-107」という大型ロケット弾なのだ。それの上昇中にスティンガーの狙いをつけて発射して撃墜してしまうのだ。ビデオが編集されていたのかもしれないが、あまりのクイック・レスポンスなので、唖然とさせられた。
浜松基地のもうひとつの名物が、民主党の「事業仕分け」で槍玉にあげられた、航空自衛隊浜松広報館(エアーパーク)だ。
けっきょく、あの騒ぎのおかげで、いまでは入場料を¥400-とるようになっていた。
展示品の中でわたし的に珍しいと思ったのは、ラインメタルの双連20ミリ対空機関砲の実物だ。1970年代に、数セットを輸入して、千歳基地で運用試験をしていたという。が、けっきょくM-55の後継アイテムとしては、米国製の20ミリ・ガトリングの方に決まったのである。
あと、錆だらけの胴体とエンジンだけが回収されて、それに主翼などをつぎ足してレストアした零戦五二型も、吊るされていることは、みなさんがご承知の通りだ。
わたし的にはエアーパークよりずっと濃厚な内容に思えたのが、外見「あばら家」の「基地資料館」。
木造平屋で、目立たないことおびただしい。
この中には、西村得之という人が材木でゼロからこしらえたという約190機の「1/50」スケール・モデル・プレーンが展示してある。はたしてそれは、どのくらいの精密さなのか。とりあえず「九二式重爆撃機」でご確認いただきたい。
他にも、市販のプラモデルには過去に一度もなったためしのない激レアの旧陸海軍機がズラリと並んでいたのは圧巻なるも、ディスプレイのショボさが遺憾であった。
都合により、ここにピックアップしたのは、いずれも1/50の「イ式重爆」と「91式飛行艇」と「ユンカースK-37 (愛国號塗装)」のみ。
資料館には、他にも、「木製増槽」の実物(レプリカは札幌の開拓記念館にもあるが)や、初風エンジンの復元品などが保存展示されている。どうしてこれらをエアーパークの方に展示せぬのか、わたし的には理解不能であった。
最後に「資料館」への不満を書いておこう。戦中にここにあった、旧陸軍の重爆聯隊や「飛龍」関係の史料が何も無いように見えるのはなぜ? せっかく基地内にスケールモデルの工作隊がいるんだから、1/1モデルをつくったら、呼び物になるじゃないか。浜松空襲や艦砲射撃の史料が充実していないように見えたのも、拍子抜けだ。「艦砲射撃体験館」をつくりましょうよ。ぜったい面白いから。
(管理人 より)
結構、久しぶりの『資料庫』更新である。
兵頭ラジオが始りそうだったり、JSEEOの兵頭講演会はもうないのかな、などと思ったり、兵頭ファンには激動のこの頃である。
今年は兵頭先生、更なる飛躍の年になる筈である。どこまで高みを目指されるのか、兵頭ファンとして今年も『兵頭二十八』から目が離せない。