これを機会に押入れを整理するといい。わが押入れからは1984年以降の日記帖代わりの古いカレンダーが出てきたよ。

 デジタルに書き写して破棄しようとしているのだが、情報てんこもりのため、作業がいっかな進まねえ!
 おそらく2002年くらいまで、あるはずだ。初期には月刊誌『スクリーン』や『サイエンス』の年末附録カレンダーを利用していた。そういう附録がついた号だけ買っていたのだ。

 そしてわれながら呆れるのは、フルネームを書きこんである人の顔を思い出せないケースや、そもそもいったい誰であったのかもさっぱり思い出せないケースが、ままある! 人はこんなに気前良く、忘れることができるのか……。

 光熱費と通信費(黒電話)あわせて、毎月わずか数千円で済んでいた時代があったことも、確認ができる。
 今のケータイ料金は、やっぱり異常だ。庶民に5Gを売る前に、そこが正されるべきでは?

 次。
 Charlotte Jee 記者による2020-3-24記事「Coronavirus might last on surfaces for a lot longer than we thought」。
   米CDCPからの発表。乗客ゼロになってから17日経った『ダイヤモンドプリンセス』船内を調べたところ、物質表面に付着したウイルスは3日どころではない長期間、活性を保つんじゃないかという痕跡が……。

 キャビンで確認されたのは新コロの活性RNAである。ウイルスそのものではない。

 ※この記事では言及がなくてわからないのだが、船内はすっかり消毒をしたのではないか? 消毒後なので、ウイルス病原体としては不活化しているけれども、RNAはまだ活性であるということ?

 次。
 CAITLIN M. KENNEY 記者による2020-3-23記事「Marines to reduce force by 12,000, decrease artillery units and get rid of tanks in 10 years」。
    米海兵隊は、これから10年以内にM1戦車を全廃してしまうことを決めた。

 10年以内に削減するモノ。
 海兵隊の歩兵大隊はいま24個あるが、これを21個にする。
 砲兵大隊はいま21個あるが、これを5個にする。
 水陸両用車中隊は6個あるが、これを4個にする。
 F-35B/C戦闘飛行中隊は、各々、定数を今の16機から10機に減らす。

 オスプレイとスーパーコブラとシースタリオン(重輸送用)も減らす。ただしその数には言及せず。

 憲兵大隊(law enforcement battalions)と架橋隊は全廃する。

 海兵隊の総員を、現状より1万2000人減らす。だいたい7%弱である。

 沖縄の第三海兵遠征軍は近代化する。その中に、3個の「沿岸連隊」を設ける。これは対支戦争用である。そのために、米本土に本拠地がある、残る二つの海兵遠征軍から、資源を充当させる。

 長射程ロケット砲兵ユニットは、今より3割、増強する。

 次。旧資料備忘摘録。

▼石黒忠悳『懐旧九十年』いわぶん 1983
 この文庫版では七分の一ほど省略がある。
 初版1936-2-11pub. 非売1000部には、乃木家との交際録が。それも省略。

 幸田露伴が「蝸牛庵訪問記」の中で、石黒は森林太郎の目の上の瘤だったと。

 幕府の代官は、藩主と対等だった。しかし世襲は稀で、江川などは有名だが例外。
 江川の槍持は、ただのちゅうげんではなく、槍術の目録以上だった。

 血判は、小柄で、左手薬指の爪の左側を傷つける(p.46)。

 煙草は慶長以後のものだから、戦記には出て来ない。
 熊本籠城で一番つらかったのがタバコ欠乏だった。

 炭は灰をかけて消す。
 芸人はいくら寒くても足袋が許されない。代わりに下駄の緒が派手。

 信州追分の油屋という旅籠。中仙道では有名で、騎乗のまま家の中に入って乗り降りできた。女郎は別棟に50人もいた。

 主人が客に対面するときは、長刀は床の間に。かたわらには脇差を引きつけておく。
 幕末の刀は長いのが流行った。脇差は逆に短いのが流行った。
 訪問のとき、大刀は玄関に預ける。

 象山は虎の皮には座っていなかった。
 象山の「省【にんべん+兄のしたに言】[けん]録」に孫呉の「敵を知れ」へのコメントがある。
 象山のいう知彼知己とは、洋学をまず究めろ、の意。

 最も早い外科書として、ストロマイルの銃創論『ストロマイル砲痍論』。グロスの『創痍新説』もやはり銃創について。

 戊辰戦争当時、越後以北の水呑百姓家は、土間ばかり。長州人は、それが馬屋か納屋だと思って馬を引き入れたと。

 蘭書の7割は、ドイツの本の訳だった。それが日本のドイツ好みをつくっている。

 柘植材に字を刻む。河柳の小口切にそれをうちつけると、凹型ができる。そこにアンチモニー鉛を流し込んでも、河柳は燃えたりしない。鋳型の活字ができる。

 緋色のフランネルシャツ〔赤シャツ〕は、白だと汚れが目立つので。
 石黒は、留学を断った。

 フランスでは軍医の最高が大佐相当なのを、日本では、石黒の上司の松本が初めから少将待遇で迎えられた。
 町村自治は、山県が、徴兵義務に対する償いの意味を含ませた。

 寺内正毅大尉は、右上膊骨頭の骨折銃創で、ほんらい、肩先から切るべきを、砕骨を除いただけにして、ブラブラで残した。おかげで、予備役編入をまぬがれた。

 桃山乃木神社の村野山人は、条約改正15年前に、外国軍艦にコレラ検疫を行なうのを手伝った(pp.246-7)。

 ドイツが、砲車、輜重車、衛生車の車輪規格を統一したのは、普墺戦争のあと(p.260)。

 モルトケは、参本の一室に起臥していて、日常すべて、驚くほど簡単。
 石灰を溝の縁に打ちかける始まり(p.262)。

 グラントいわく。兵は給与減は忍んでも、糧食費減は忍ばない。
 「軍帽の白き日覆いと後垂れ」(p.300)。

 大臣となって能力が落ちなかったのは、石黒の知る限り、親友の兒玉と、陸奥のみ。
 大山は、人に知らせず、三角関数を独習していた。石黒は大山と共に旅行して、鋭い人物であると感じた。