兵頭二十八、没シリーズ『アメリカ大統領戦記』の企図を回想する。

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兵頭二十八、没シリーズ『アメリカ大統領戦記』の企図を回想する。

 シリーズ企画そのものが第二巻を以って中止となっております『アメリカ大統領戦記』ですが、筆者の関心はどこにあったかというお話をいっぺんしておこうと思います。
 と申しますのも、ただいまの新コロ流行を見ておりますと、第三巻に予定していた「1812米英戦争」を単発企画としてまとめあげられる日も、わたしが生きているうちにはもう来ないのじゃないかという予感がするからです。

 本シリーズは、米国の戦史をありきたりになぞろうとする企画ではありませんでした。

 20世紀の超大国となる運命が最初から決まっていた――なにしろ絶頂期の大英帝国と戦争して勝った――若い国家・アメリカ合衆国の最高指導者層には、どんな資質があったのか。
 それを日本国民が知らないのは、話にならぬことだと考えていました。

 歴代の米国大統領は、キャラクターが選挙に向いていて、しかも戦争指導ができなければなりませんでした。1930年代以降は、それに加えて経済福祉にも長じていなければ当選はできなくなります。

 どれもこれも、20世紀の日本の指導層には欠けた個人資質でした。
 この個人資質の落差のほどをわきまえないで、旧軍のエリート幕僚らは、米国留学組までも、そろって米国の戦争対応力を下算し、ほとんど日本を破滅させかけた。
 しかも戦後にその知識の欠損を埋めた形跡が見られないのです。

 第二次大戦は、《世界知》の足りない国民(日本人)が、《世界知》で上回っている諸国民に戦争を仕掛けて勝手に自滅した戦争です。FDRは日本のことなんかに関心はありませんでした。そんなに暇じゃなかったんです。日本人の方で一方的に「アメリカは日本を殊更に憎んでイヤガラセをしてくる」と思い込んでいた。ほとんど朝○人と似たような反応パターンでした。
 「日本の指導者は他と比較してあまりに無知であった/今も無知である」という自己判定も、今日なお、十分にできているとは思えません。敵を知らずに、己れも知らない。この認識欠損が埋められないままでは、戦後何年経とうとも、同じような自滅を際限なく繰り返すおそれがあります。

 本シリーズは、そのような国家間の知識ギャップが生み出す非生産的な諸事件を将来にわたって回避させる啓蒙書ともするつもりでした。
 版元さんに提案したときのシリーズ構成は、以下のようにするつもりでした。

 第一巻 独立戦争と George Washington

 第二巻 対英抗争から主権拡大時代
  John Adams ・ Thomas Jefferson ・ James Madison ・ James Monroe ・ John Quincy Adams ・ Andrew Jackson ・ Martin Van Buren ・ William Henry Harrison ・ John Tyler ・ James K. Polk ・ Zachary Taylor ・ Millard Fillmore ・ Franklin Pierce ・ James Buchanan

 第三巻 南北戦争と Abraham Lincoln

 第四巻 ラテンアメリカの制圧と太平洋への進出
 Andrew Johnson ・ Ulysses S. Grant ・ Rutherford B. Hayes ・ James A. Garfield ・ Chester A. Arthur ・ Grover Cleveland ・ Benjamin Harrison ・ Grover Cleveland ・ William McKinley ・ Theodore Roosevelt ・ William Howard Taft

 第五巻 第一次世界大戦から暗黒の木曜日まで
 Woodrow Wilson ・ Calvin Coolidge ・ Herbert Hoover

 第六巻 第二次世界大戦と Franklin D. Roosevelt

 第七巻 核時代の大統領
 Harry S. Truman ・ Dwight D. Eisenhower ・ John F. Kennedy ・ Lyndon B. Johnson ・ Richard Nixon ・ Gerald Ford ・ Jimmy Carter

 第八巻 ソ連の消滅と世界経営
 Ronald Reagan ・ George H. W. Bush ・ Bill Clinton ・ George W. Bush ・ Barack Obama

 しかし、武力衝突の勃発の地レキシントン以下、名前だけは――専ら航空母艦の艦名として――知られていますけれどもディテールがロクに伝わってはいない個々の会戦の経過確認にツイのめりこみました結果、計画の第一巻が、前・後2巻に膨脹。
 英国を遂に投了させたヨークタウン攻囲戦までまとめるのに、2年かかってしまいました。

 「War of 1812」というのは、どこかなげやりな響きのある呼称です。米国人は、この《引き分け戦争》を思い出したくないのでしょう。実際には講和が1814年末、戦闘は1815年まで続いた(大西洋の通信手段が帆船しかなく、遅かったため)という、米英間の相当規模の正規戦争です。ちょうど欧州でナポレオンがロシアで消耗してイギリスが最終勝者とはなったものの、疲れも出たという潮時に重なっていました。

 米国では、指導者層だけが、この戦争を記憶しようとし、この戦争から何かを学習しようという姿勢を持っています。上陸してきた英軍部隊のために焼き打ちされてしまったホワイトハウスの焦げた部材が、今も保存されているのはその象徴です。

 いろいろな意味で「転機」になった戦争でした。
 たとえば合衆国の指導者層は、英帝国の強さの中軸に大海軍力があるのだという、誰も秘密になんかしていなかった事実に、苦戦のさなかに気づかされました。

 はるか後のセオドア・ローズヴェルトも、政界を目指し始めたばかりのハーバード学生時代に、1812戦争の海戦データを徹底検証するマニアックな独自研究に打ち込み、それを公刊したことで、いきなり、海軍の問題にやたら詳しい将来の有望な国家指導者候補――としてまずエリート階層間に認知されるのです。このテディの方が、地政学者としてはマハンより格上だったという話は、拙著『地政学は殺傷力のある武器である。』でしておりますので、御覧ください。

 じつを言いますと、わたしが大統領戦記シリーズを出版社に提案したのは、この「1812戦争」までをじぶんなりにまとめてみたかったからでした。正直、これ以後の戦争は、書けなくてもいいやと思っていた。ラ米干渉戦争の局面ぐらいしか、時間を使って広範な調査をしてみたいという欲望も、かきたてられなかったんです。

 それはどうしてかといえば、たとえば南北戦争でしたなら、「全日本南北戦争フォーラム」の小川寛大さんたちのような本当に物好きな人たちがすでに大活躍をされているわけです。事実の紹介に関しては、わたしなどが後から出る幕じゃないという気がする。いやもちろん南北戦争やWWIの米軍についていっぺんじぶん流に総括をしておくのが無意義なはずもないんですけれども、一度しかない人生の時間を割いて投入するからには、やはり、前人未踏の分野の方を、選びたいと思いませんか? (ボーア戦争の本を書いてみたいと思っているのも、同じ動機に基づいています。誰も書くわけない、というところが、わたし的には、面白いわけ。)

 ここで、せっかくの機会ですので、だいぶ前に第三巻を書くために英文ネットで調べてメモ書きしておいたテキストを適当につなげ、梗概式に、1812戦争の片鱗なりとも、ご紹介しましょう(他史料によるチェックをしておらず、また、兵頭の意見も含まれていませんから、そこはご承知ください)。

 1812戦争勃発時の大統領は、第四代のジェイムズ・マディソン。
 フランスとの交易を洋上で実力で妨害されたり、米国人船員を拉致されたり、北米インディアンに武器を与えて反米ゲリラ戦争をけしかけたりするので、アメリカの方から怒ってイギリスに宣戦布告した。
 だから、「マディソン氏の戦争」と、呼ばれたりもする。

 国防長官は、ジョン・アームストロング。彼は、英軍は一寒村にすぎないワシントン市になど来やせんわ、と請け合った。
 やってきたのは、ナポレオン相手の戦争で歴戦の「ウォー・マシーン」となっている英兵4500人。
 合衆国はとっくに正規軍など解散させていたから、慌てて5500人のミリシャを集めた。しかし当時のミリシャは、訓練も戦争経験もゼロに等しい烏合の衆。だいたい訓練は年に一度。それも、隊内の互選で選ばれた大尉が、中隊を飲み屋へ引率し、そこで1日潰しておしまいだった。

 こうなった責任は、前任のジェファソンにあった。ジェファソン大統領は、税金を安くし、連邦政府を小さくした。連邦海軍もゼロにした。米国を弱くする政策ながら、有権者からはウケがいい。マディソンは、このジェファソン路線を継承した。人気取りのために。

 前半の主戦場は五大湖とカナダ国境。米国人有権者は、カナダを併合する欲得戦争として開戦を支持していた。
 米国人がこの戦争を忘れたがっているのとは反対に、カナダでは、この戦争がとてもよく記憶されている。カナダ国民は、この戦争で一体となったから。

 英帝国は、1813年にチェサピーク作戦で反撃。そのさい、黒人奴隷を軍艦に拉致したが、黒人からみたら、ありがたい「解放」だった。

 合衆国の首都防衛責任者は、軍歴のパッとしないワインダー准将だった。政界の「おともだち」人事で抜擢されたワインダーは、無能ぶりを遺憾なく発揮した。

 たてなおしたのは、国務長官のモンロー。彼が第二線を構築した。

 攻め手の英軍は、陸軍のロス将軍と、海軍のコックバーン提督。
 防禦軍は、軍靴もなければフリントもない、そんな無準備状況だった。
 マディソン自身も、ピストル2梃を肩からかけて、駆けつけた。頭上を、英軍の新兵器であるロケット弾が飛翔した。
 ミリシャは隊列を崩して潰走し、そのまま自宅まで逃げ戻ってしまった。

 ホワイトハウスでは、大統領夫人ドリー・マディソンが午後3時にディナーとするのが日課だった。その準備中に解放奴隷が馬で駈けて来て、「みんなにげろ~! アームストロング将軍の命令だ~!」
 夫人がくだした決断。ジョージ・ワシントンの肖像画のカンバスだけはがして、別な場所へ隠しなさい。もしダメなら破壊し、けっして英兵の手に渡してはなりませぬ!
 おかげでそれは、いまもある。

 続いて住民がおしよせて、銀器などを略奪して去ったという。

 英軍は「放火」には慣れていた。家具類をホワイトハウスの建物内の数箇所に積み上げ、火薬を振りかけて、点火。ジェファソンがパリで購入した家具もこれで灰になった。

 英軍はついでに国会議事堂も焼いた。財務省と陸軍省の建物も焼いた。

 コクバーンは、新聞社の活字の「C」を全部、押収させた。だからアメリカ人はコクバーンの悪口を書けなくなった。
 港内にあった軍艦は、アメリカ人自身の手で自焼させられた。

 英軍は公共施設を焼き打ちしたけれども、米国住民の私有財産には手はつけていない。強姦も無し。特許局は保全された。そこは、文明国間の戦争だった。五大湖のこぜりあいからも、戦時国際法上の重要な前例が生まれているほどだ。

 街のあちこちが火災となった。住民は寝ずにそれを見物した。
 マディソンはヴァジニアへ逃げ込んだ。
 民衆は、大統領夫妻を罵ったという。
 マディソンは、ホワイトハウスの図書室が焼かれたかどうかを気にしていた。焼けたに決まっていた。

 英軍はすぐに軍艦に引き揚げた。そしてポトマックを遡上して次の都市を目指した。
 司法長官はモンローを急かした。早く政府としての公式声明を出せ。さもないと英国がストーリーをでっちあげてしまうぞ。
 そこでこの大敗は、あたかも偉大な勝利のように宣伝された。これはアメリカの伝統となった。

 どちらも疲れていたのでゲント条約はすぐ結ばれた(1814年12月)。おおむね、開戦前に戻す。
 この知らせが本国に届く前に、アンドリュー・ジャクソンはニューオリンズの陸戦で大勝利していた(1815年1月)。一躍有名人になったジャクソンは、将来の大統領候補に。

 近年、メキシコ湾の英軍の指揮をとったパケナム少将に対する英本国からの秘密命令が、ロンドンで発掘されている。もし講和の話を聞いても、関係なく戦え、と。
 それによると、英政府は、対米講和に関係なくニューオリンズを占領し、それによって合衆国のルイジアナパーチェスそのものを蹂躙しようという企図を蔵していた。
 英国は、ナポレオンがトマス・ジェファソンにルイジアナを売った契約は無効だと考えていたのだ。
 けっきょく、英艦隊はモービルに退却した。それ以後、米英間では戦争は起きていない。

 マハンやセオドア・ローズヴェルトの世代にとって、「1812戦争」を調べることは、今のわたしたちが第一次大戦や日露戦争をあらためて調べるような努力です。しかしそれが国家の方針策定のためにとても有意義であることは、米指導層の間ではちゃんと理解はされていました。
 以下、それに関するメモ書きも、羅列してみます。

 アルフレッド・マハンは1890年に『The Influence of Sea Power upon History, 1660~1783』を書いたが、続編の1812戦争の部分はほぼテディの研究の受け売り。すなわち、1811年以前の海軍政策が不都合だったから、英国から舐められ、外交が成功せず、まずい開戦を余儀なくされたのだと。

 マハンの大著は、英国が一躍世界帝国になったのは全く海軍力のおかげなんだと主張した点で、革命的だった。テディもそこまでは言ってなかった。
 マハンいわく。英国が海軍を強化していたときに、フランスその他はそれにおくれをとった。だから英国が世界の勝者になった。

 1781年のヨークタウンの決着についてのマハンの考え。
 フランス海軍が海岸を制圧していたので、英軍は脱出できず、増援も受けられず、降伏するしかなかった。
 その時点では、海軍に関するフランスの政策決定が、ものすごく正しかったのだ。
 ぎゃくにナポレオン前後のフランスの海軍政策はなってなかった。だから負けたのだ。

 強調したこと。世界最大の艦隊を持て。その艦隊は戦艦で構成しろ。
 どんな陸軍も海軍による封鎖には勝てない。
 マハンはこの主著のあと20冊書いているが、いずれも最初の本の補論である。

 マハンは、リトラル戦争を考えていた。海からの陸戦支援は圧倒的であると思っていた。
 マハンは多国間の自由貿易システムも考えていた。そのシステムのための、米国の制海権。

 マハンの主張。将来どんなに海軍関係の技術が進歩しても戦争には不確実部分が残る。だから未知の将来に直面する海軍士官がどこまで偉くなり得るかは、表層的ではない歴史の読み込み努力如何にかかっている。
 新案を得たいか? ならば古い本を読め!

 マハンは南北戦争中、小艦を指揮して南部のブロケイドに従事していた。海戦には遭遇していない。

 後日、南北戦争におけるカリブ海やミシシッピ河、レッド河(テキサスとオクラホマを南北に分ける大河で、ニューオリンズの少し上流でミシシッピと合流している)の作戦について、本を書かないかといわれた。

 それがマハンの真の最初の本『The Gulf and Inland Waters』であり、それは1883に出版されている。
  ※この本があったから1886にいきなり海大校長なのだ。

 1815までの海戦史を書き上げたところで、マハンは次に、北軍の提督の伝記を書いた。
 1897刊の『ファラガット提督』は、マハンがリトラル作戦+大河作戦を総括する才能をまたしても示した。

 艦隊を欠いた南部軍は、内陸の河川すら思うままに利用ができなかった。
 北軍は、海陸合同作戦により、あっさりとニューオリンズを占領してしまった。モービルも。
 このジョイント作戦能力が北軍の勝利の一大要因なのだとマハンは見る。

 マハンは強調する。揚陸作戦というのは、モタつくものであり、艦隊の行き足は止まるし、一地点に拘束されて自由がなくなる。そこを攻撃されると艦隊がヤバいことになる。だから、完全な制海権を握った側だけが、アンフィビアス作戦ができるんである。 ※海大が所在するロードアイランドの攻防がまさに好戦例。地元だから史料もいくらだって残っていたはず。居ながらにして現地地形を確かめることもできただろう。

 コルベットが、マハンは洋上決戦にばかりこだわったと難じたのは当たっていない。水陸協同作戦の前提が、制海だったのだ。

 マハンは1885にローマ史を読んでいて、大発見をした。と自分で回想している。
 カルタゴはどうして海上機動しなかったんだ? とマハンは思ったわけだ。
 このパターンは、17世紀後半から18世紀の欧州列強の戦争にすべてあてはまるとマハンは見た。

 マハンが海軍史論家として知られるようになる1890年代、アメリカ大陸の経済発展の可能性は終わったのではないかと人々は疑った。
 1893にウィスコンシン大学の教授が、フロンティアの消滅とその後に来る社会停滞を警告した。
 国内人口の爆発が止まったのだから、あとは、国外の市場を元気満々に開拓するしかないぞと。

 マハンは、産業革命をおえた東部の工業製品は、たちまち国内では売れないほど製造され、あとは海外で捌くしかないはずだと見通していた。
 では、海外の市場へのアクセスを担保するものは何か。それは合衆国政府の強制能力であり、それは具体的には「商船隊」「戦艦をズラリそろえて列強海軍を圧倒できるだけの米国海軍」「グローバルに給炭港の連鎖を設定し、かつ、維持すること」の三本柱だ。

 海軍のための中継基地整備を重視したのは、マハンの創見ではない。南北戦争直後、ウィリアム・シューアード(またはスーアード)国務長官(在任1861~69、つまりリンカン政権からジョンソン政権)は、アジア貿易航路の中継港とするためにアラスカを1867に購入。さらにハワイと条約を締結してハワイ経済をがっちりと米国経済にしばりつけた。

 のみならずシューアードは、カリブ海にも適当な港湾拠点を買収しようとした。
 そしてシューアードは最後に、コロムビアのパナマ地峡地区に運河を建設する条約を議会が批准せよと求めた。

 しかし南北戦争後の大課題は南部の再建であり、上院はとてもそんな余裕はないとしてシューアードの目論見をすべて潰してしまった。
 スペインとの敵対が始まった1898-5に、マキンリー大統領は、上下両院の合同決議によって、ハワイ併合を決めた。
 それに続いて、対スペイン戦争の完勝。

 これでマハンの欲した給炭港チェーンはかなり揃った。すなわち、プエルトリコ、グァム、比島である。
 その5年後、米国はキューバから、グァンタナモ湾を永久租借した。※スペインから独立させてやったのだから、そのくらい見返りに寄越せ、というわけか。

 マハンは、海上貿易は、富を蓄積する捷径であった、と強調する。
 制海権のある国家は、戦争になれば、世界中の戦争資源を決定的な場所に集中してくることが、簡単にできる。
 だからこそ、平時においては、それのできる体力ある国家は、できる限り強力な海軍を建設すべきなのである。

 巡洋艦によって洋上で敵国商船を1隻づつ発見して破壊し続けたところで、敵国の全商戦隊の活動を止めることはムリである。

 敵国の主要港をブロケイドすることによってしか、敵国の通商を機能停止させることはできないのだ。そのブロケイド艦隊は、相手国が戦艦艦隊をさしむけてきたときにそれを撃攘できるだけの交戦力をもっていなければ話にならない。つまり、ブロケイド艦隊も戦艦で構成されていなくてはいけない。

 ※マハンは機雷を無視する。南北戦争時代から、米国はロシアにならぶ機雷技術国になったのだが……。

 ブロケイドを続けるためには敵艦隊を全滅させねばならん。ブロケイドを破るためにも敵艦隊と海戦しなくてはならん。ということは、軍艦は戦艦だけが必要なのだ。これが、マハンの結論。

 ※ブロケイド突破は水雷艇でもいいというのがコルベットの反論か。現代では、地対艦ミサイルがあるから、水上艦によるブロケイドなんて考えられない。

 欧州列強間の植民地主義的競争は、1880年代から熾烈化した。

 蒸気動力により、鉄製船体の商船を動かせるようになったことが、富の稼ぎを莫大化しつつあった。穀物や鉄鉱石などのばら積み輸送の効率が格段によくなったので。

 ネルソン伝と、1812年戦史の2冊においても、マハンは自説を補強する事例をあつめてみせている。
 この2冊のテーマを述べるならば、「英国はいかに世界支配勢力に成りあがったか」。それに尽きる。

 ※兵頭いわく。「国家の地勢の封鎖されやすさ」「封鎖されたときの困りの程度」が大事で、英国はそのどっちでも強い立場だった。

 マハンは米国政府のための最良戦略だけを考えた。
 マハンは、アメリカが19世紀英国のように海軍強国となり、20世紀の世界ナンバーワンとなることを望んだ。イギリスの真似をしてくれ、と。

 英国が、商業大資本と結託したエリート支配政体だったときは、海軍に大投資がなされた。ところが、小資本の民主制に傾くにつれ、英国の海軍予算は減らされた。
 その結果、20世紀の現在、英国は、世界の海上貿易を仕切れなくなっている。

 マハンの見解では、いかなる民主主義国も1国ではこの負担は仕切れない。
 そこでマハンは言う。20世紀の海洋の自由は、複数国の協同によって実現するより他にないと。
 これはあらたまった条約では実現しないだろう。政治的な利権の衝突、紛争が無い状態が、しぜんに実現してくれよう。

 マハンは結局、英米合同で世界の海を仕切れという結論だ。米国は弟分として、英国についていく。
 米国がこの役割を演ずるなら、巨大海軍は必要ない。
 英国が欧州との戦争で海軍力が劇的に弱まってしまったという場合をのぞき、米国は、世界一海軍を目指す必要はない、とマハン。

 マハンが予期した事態。西側連合が、拡張主義ロシアを封じ込める。英独戦争。そして、欧州文明とアジア文明の衝突。

 マハンは米国が世界の単独最強海軍国になるとは予期しなかった。
 マハン自身は海軍兵学校で、木製帆船+前装砲で教育された。
 彼が退役するときは19世紀末で、軍艦は蒸気動力。砲熕は後装式になっていた。
 1880年代から米海軍は組織として巨大化する。そのため行政的人材がもとめられ、気質は官僚化した。海戦野人ばかりが必要ではなくなったのだ。

 彼の父デニスは、戦争では高級指揮官がいちばん重要なんだと常々語っていた。
 デニスが言いたかったことは、戦場では指揮官は、不完全すぎる情報をもとに、敵よりもできるだけ早く、判断と決心をしなければならんということ。これは、どんなに補助機械が発達しても、指揮官の苦労としては、存在し続けるはずだ。

 では若い将校の卵はどうしたらいいか? 父デニスの結論は、とにかく過去の作戦史をたくさん読んでおきなさい。それしかない、と。
 マハンが自分の作文を最初に活字にしたのは、1879年のことで、そこで何を論じたかというと、海軍の教育は間違っていると。技術偏重だと。もっと人文系素養を身につけないとダメだと。

 危険と不確実に直面しながら判断と決心をする。そのモラルの質を涵養しなくては。
 マハンは後期には、景仰される指揮官を育成する方法にも関心を示した。
 マハンは主著の中でも、技術よりも人のよしあしが海戦を決めると強調している。

 指揮官は、あとで法的に処罰されるかもしれないというリスクのジレンマにも直面する。
 エンジニアにはそんな心配はない。だからエンジニア教育ではだめだ。また官僚は、ものごとを遅くするのはいっこう平気で、自己責任の分散にぬかりがない。そんな人間を製造しても戦争には勝てない。

 マハンには、では主力艦はどう設計すべきか、といった具体的デザイン力はなかった。
 マハンはフィッシャーの弩級戦艦をけなした。これについてはまったくマハンの負けであった。

 かといってマハンは最新機械が生理的に嫌いだったわけじゃない。
 マハンは、機械の進歩が意思決定の不確実性を解消してくれることはないと強調したのだ。そのエトスを海軍軍人が失えば、その国の海軍はほろびるのだ。

 技術がいくら進歩しても、指揮官の負担は変わらない。頼れる指揮官は戦史を多読してきた者のみ。

 雑なメモであるため、以上の出典を記せないことは恐縮です。※印以外は、わたしの意見ではありません。

 大統領戦記の話をする最後に、フーバー大統領をとりあげましょう。
 大恐慌に対処できなかった無能な指導者……だったんでしょうか?

 やはり、英文ネットから集めておいた雑メモをもとに、ミニストーリーをご紹介しましょう。

 フーバーは1784年にアイオワで生まれた。少年期に両親を亡くしているが、1891年にスタンフォード大に進学。
 土木系の学問を修めて鉱山技師となり、40歳までに海外に5回出張した。

 WWIが勃発したときロンドンに居たフーバーは、中立NGOを立ち上げて、独軍に占領されていた900万人ベルギー市民のために食料を援助した。海上を英海軍が封鎖していたので、英政府と話をつければそれは可能だった。

 彼はウィルソン大統領から食料庁長官に指名され、1917から18まで務め、休戦と同時にヨーロッパにまた出張。
 荒廃した欧州二十数ヵ国のために食料を援助する米国援助局の長になった。
 彼はそこで東から広がる共産主義運動を見た。

 1919-9に帰米。
 パリ講和会議にはウィルソンの上級アドバイザーとして扈従したが、欧州諸国の強欲さに、ほとほと呆れた。
 フーバーは、過去250年間にアメリカと欧州は途方も無く違う社会になってしまったと認識した。
 米国を、他国発案の社会実験の場などにさせてはならないというのが彼の得た確信だった。

 1921にフーバーはハーディング内閣の商務長官になる。

 フーバーの大疑問。なぜアメリカは旧世界とは違うのか? なぜアメリカだけがこんなにユニークなのか。
 その問いに自分で答えたのが、この『アメリカの個人主義』という1冊だった。

 個人主義といっても彼は不羈なレッセフェールを信奉してはいない。ただの個人主義は暴動とイコールだと理解していた。したがってソーシャル・ダーウィニズムではない。

 彼は、「機会の均等」が担保された社会においてこそ、個人主義はプラスの面が極大化すると把握した。
 アメリカ社会も最も大事な理想は、機会の均等だと、フーバーは見切った。

 政府はアンパイアに徹するべきで、政府がビジネスを所有したりするのはいけないことだ。
 大統領となった彼はその信念を貫いたのだが、大不況に対する無策を国民は納得しなかった。

 1933に彼は、まるっきり社会主義でしかないニューディールとの政争がこれから始まる、と予言した。
 フーバー元大統領は1964年まで世界を見届けた。


(管理人Uより)

 右や左の旦那様からのご喜捨は、確かに兵頭先生へ送金されています。本当にありがとうございます。

『兵頭二十八の放送形式 Plus』は当サイトが兵頭先生へお金を払って記事を発注する企画です。

 残念ながら前回同様、決して十分な金額ではありません。私は出版業界の事を全く知りませんが、そう思います。
 激安価格で請け負っていただいた兵頭先生には感謝の一言です。 『アメリカ大統領戦記』シリーズが中止されています。私はその事実がとても悲しい。
 中止されているのなら、その後の『私が気になる部分』をエッセンスだけでも書いてもらおう──それが今回の発注です。

 私が大いに期待し待ち焦がれていたのは、第一次世界大戦終幕から第二次世界大戦開幕直前を描く『大統領戦記』です。狂騒の20年代と世界恐慌を兵頭本として読みたい。
 100年以上遡っての米英戦争も、もちろん読みたいです。しかしあくまで私の一番の興味は戦間期です。

 世界恐慌時にフーヴァー大統領が『何をしなかったのか』、ルーズヴェルト大統領は『どんな情報から何を判断したのか』、それを兵頭本として読みたかったのです。
 コロナ禍により急激に破壊される経済の中で生活すると──もちろん世界恐慌時と現在は違うでしょうが──より一層、そう思います。 

 現時点では『アメリカ大統領戦記』シリーズは中止されています。改めて──私はそれがとても悲しい。何とかなりませんかね? 誰に言っているのか自分でもわかりませんが……。

 『兵頭二十八の放送形式 Plus』をあなたが楽しんでくれたなら──このサイトを作った兵頭ファンの私は、とても嬉しいです。


アメリカ大統領戦記1775-1783: 独立戦争とジョージ・ワシントン1


アメリカ大統領戦記1775-1783独立戦争とジョージ・ワシントン2


「地政学」は殺傷力のある武器である。